森川 菜々美は小説家になろうと思っている
森川 菜々美は、商業作家としての小説家デビューを目指している。処女作を完成させたのが八年前。それからの八年間、小説投稿サイト内での執筆や公募企画への参加等を続けてきた。
一次選考、二次選考を通過出来たことはあるが、書籍化に繋がるような受賞の経験はない。
高校二年生の冬休みまで、自他ともに認める活字中毒だった菜々美にとって小説は「読むもの」であり、「書く」ことなど考えてもみなかった。
そんな菜々美に「私にも書けるんじゃないか?」と感じる出来事――、趣味が「読書」から「執筆」に変わる出来事が起きた。
当時一大ブームを起こしていた小説を読んだことである。映画化、ドラマ化、マンガ化などにより知名度は広がり、普段読書など無縁のようなクラスメイトたちまでもが「泣いた! 泣いた!」と大絶賛していた小説。
作者は二十歳の美しい女性で、メディアによく取り上げられていた。莫大な金額を手にしたと下世話なサイトに書いてあるのを見かけたこともある。
菜々美は、その小説にも作者にも興味はなかったがクラスメイトたちに強く勧められ、とりあえず読んでみた。
読み終えた菜々美は嘆息した。
(こんなつまんない話、久しぶり……)
全く面白くなかった。
何を、何処を楽しめばいいのかも分からなかった。
小説なのか、誰かの日記なのかも分からなかった。
そのときに感じた「この程度なら、私にも書けるんじゃないか」が執筆を始めるきっかけになったのである。
それが八年前。
高校を卒業し、菜々美は地元の精密機器メーカーに勤めている。
残業、休日出勤が多いため、執筆の時間を学生の頃のように作れない。稀にまとまった時間を作れたとしても、日々の疲労によって集中出来ない。
いっそ、退職したら――。
貯金で生活しながら、毎日、長時間執筆を続けたら――。
今よりもずっといいものが書けるんじゃないか。
デビューの可能性が一気に高まるんじゃないか。
数年前からこのようなことを菜々美は考えているが、踏ん切りがつかない。
自信より不安の方が大きいから。
八年間、鳴かず飛ばずの自分が仕事を辞めた途端に傑作を書けるほど甘い世界じゃないと分かっているから。
お金の心配さえなければ、思いっ切り執筆にハマれるのに――。
――――
そんなことばかり考えていた菜々美に夢のような幸運が舞い込んだ。
以前、試しに十枚購入した宝くじの高額当選。
何度もスマートフォンに表示された番号と宝くじの番号を見比べたが、間違いない。
これはもう、神のお導きというヤツではないだろうか。
菜々美は普段、このような考え方をしない。現実主義者で明確な根拠がない行動を嫌う。
しかし、今回は「神のお導き」を信じ、選んだ。大して迷うこともなく、約六年間勤めてきた会社を退職することを決めた。
数日後、退職と宝くじの当選金受け取りに関する様々な手続きをようやく終えた菜々美はノートパソコンを開く。久しぶりの執筆。時間の心配はいらない。
(……あれ?)
菜々美は戸惑っている。
(書けない?)
何故か指が動かない。
正確には、指を動かす気力がない。
退職前から細々と書いていた小説の続き。
ストーリーの展開は頭の中にハッキリと入っている。完璧なプロットを書き上げてから、本文を書きはじめたのだから。
しかし書けない。書く気にならない。
菜々美は一旦、書きかけの小説が表示されているページを閉じ、大手通販サイトを開いてみる。
軽く動く指でずっと欲しかった高級ブランドのバッグと長財布を購入した。
今の菜々美にとっては端金だった。
次に自費出版を請け負うサイトへ移動する。
簡易見積もりで、去年完成させた15万文字の小説を千冊注文した場合の金額を調べた。
今の菜々美にとっては端金だった。
小さくため息を吐く。
そういうこと…………?
菜々美はパソコン内の今まで書いてきた小説を全て削除した。その手に迷いはない。
思わず呟く。
「こんなつまんない話、久しぶり……」
菜々美は静かに目を閉じた。
――――
少しくすんだベージュの天井が見える。
目を開くとベッドに寝ていた。
菜々美は身を起こす。
夢か……。会社、行かなきゃ。
出勤の準備を始める前に、菜々美はノートパソコンを開いた。
今まで書いてきた小説を全て削除する。その手に迷いはない。
思わず呟く。
「こんなつまんない話、久しぶり……」
菜々美は静かに目を閉じた。
「八年ぶり」
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
御感想、評価ポイント(☆)頂けると励みになります。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。




