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第2話「全裸悪魔と聖水の拳」

コミカルに描いてはいるけど、結構おおごとですよねこれ。


「……いえ、分かってはいるのです……。

これは、パウロ様を救うため……そう、愛の拳なのでございます……」


 


 ぎゅ、と革のグローブを握り締めて、私はリングの外から祈るように見守っていた。

目の前のリングでは、今日もジュリアさんが聖水グローブでパウロ様を容赦なく殴りつけている。


 


「おほほほほ! それでも男ですのぉ!?♡」


 そう叫びながら放たれるパンチは、まるで聖母の慈悲のように的確で残酷。

しかも今日のジュリアさんは、やけにノッていた。


 


「恥ずかしい声、出ちゃいましたわね? さすがは“屈辱”を嫌う悪魔さん♡」


 ……いくらなんでも、そのセリフは恥ずかしすぎます。


リングサイドで口元を押さえている私に、シスター見習いの少女が耳打ちしてきた。


「奥様も少し、挑発してみたらどうですか? 外からでも悪魔に屈辱を与えられますよ?」


「えっ、わ、わたくしが……?」


「愛の力で、悪魔にダメージを!」


 少女はきらきらと目を輝かせた。言っていることはまっとうである。私も、できることはやらねば。


 


「……お……おっほほ……。ええと……その……やぁねぇ……わたくしのパウロ様が……」


 周囲の目を感じながら、お嬢様風に手を口元に添えてみる。


「女の人に……あんなに……やられちゃって……っ、まぁ、はしたない♡」


 ──言ってから、自分で顔が沸騰するように熱くなった。声も裏返った。


 


 ジュリアさんがチラリと私を見て微笑み、リング内でさらに気合いを入れる。


「……では、“仕上げ”とまいりましょう♡」


 


 パウロ様がふらつきながら膝をついたその瞬間、ジュリアさんはスッと彼の顔の上に足を乗せた。


「──我が足の下、屈辱の極みを味わいなさいっ!」


 


 パウロ様が、ぴくりと身体を震わせた。

……その震えとともに、リング上に漂っていた冷たい空気が、ふっと消えた気がした。


 


「……ふぅ。これで、本日の儀式は完了でございます」


 


 ジュリアさんはグローブを外し、ぺこりとお辞儀をした。リングの中では、倒れたパウロ様がぼんやりと天井を見上げている。


 



 


「さて、メイ様。明日の件で、ひとつ申し上げねばならぬことがございます」


 儀式後の控え室で、ジュリアさんが聖水グローブを箱に収めながら言った。


「明日、私……女子ボクシングの防衛戦がございまして、どうしても不在となりますの」


「……女子ボクシング?」


「はい。実は私、現在この国のライト級チャンピオンでございます」


 さらりと恐ろしい事実を口にした。


「そもそも、私たちシスターズ・ジムは、悪魔祓いの布教活動の資金源として、ボクシングを副業にしているのでございます。

いまでは、教会よりもジムとしての知名度のほうが高くなってしまいまして……ふふ、困りましたわね」


 


 いや、それは困るとかの問題ではない。


「ですが、明日は他のシスターも全員出払っておりまして、ジム本部からの援軍も期待できません。そこで…」


 ジュリアさんは、私の手に小さな木箱を渡してきた。


 


「中には、聖水を染み込ませた特製のグローブが入っております。“顔を踏む”という強めの屈辱を与えましたので、2日は発作を起こさないと思いますが……万が一の際は、メイ様がパウロ様を殴ってくださいませ」


「む、無理ですわ! 私、ボクシングなど……!」


「大丈夫です。悪魔憑きの方は、肉体の制御がまともにできておりませんので、ぶっちゃけ弱いです」


 ジュリアさんは屈託なく笑った。


「それに、パウロ様って……ガリガリですし。聖水グローブなくても、まあ勝てるかと」


 


「……ガリガリとは、失礼ですわね……」


 つい口に出してしまった。


 



 


 翌日。


 私は屋敷のあちこちを落ち着きなく歩き回っていた。


 いつ発作が起きるか、パウロ様がどこで豹変するか、常に神経が尖っていた。だが──


 何も起きなかった。


 


「メイ? 大丈夫?」


「……え、あ、はいっ。あの……今日のあなたは、とても……穏やかですわ」


 


 久しぶりに戻った、穏やかなパウロ様。ふたりで一緒に紅茶を飲み、庭を眺めて、何の変哲もない時間が過ぎていく。


……これが、私たちの本来の姿。そう思えるひとときだった。


 


 夜になり、お風呂の準備をしていたその時──


「ギョォオアアアアアア!!!」


 風呂場から、地の底から響くような咆哮が聞こえた。


 


「パウロ様!?」


 バスタオル片手に飛び込んだ私は、衝撃の光景を目にした。


 


 ──全裸で暴れる夫。


 


「ふひぃ……! 解放されたぞ……! 魂の殻が、破れたあああッ!!」


「み、見ちゃ……いけませんわ!!」


 私は叫びながら、慌てて聖水グローブを引っ掴み、目をそらしたまま拳を構えた。


 


 だが──


 


「きゃっ……!?」


 目をそらしていては、当然当たらない。むしろ、グローブに気づいたパウロ様(というか悪魔)は、悲鳴のような声を上げて走り出した。


 


「ど、どこへ行かれますの!?」


 


 裸の夫が廊下を全力疾走するという、令嬢人生で想定していなかった事態に、私はもう涙目だった。


 このまま屋敷の外にでも出られたら、きっと警察沙汰だ。新聞に載る。社交界での立場が消し飛ぶ。


 


「お待ちになってぇぇぇぇええええ!!」


 気力を振り絞って、私は全裸の夫を追い詰めた。ついに階段の踊り場で対峙する。


「め、メイ……やめろぉ……それ以上近づけば……!」


「殴りますっ!」


 叫んで、拳を叩き込む。


「こんな……はしたない格好で……! わたくし、耐えられませんわ!」


 


 右ストレート。左フック。背筋を震わせながら、私は夫に拳を重ねた。


「女に殴られて……恥ずかしくないんですの!?」


 


 ──バタン。


 その瞬間、全裸のパウロ様が、静かに崩れ落ちた。


 


「……メイ……?」


 ぼんやりと見開かれた目に、正気の光が宿っていた。


私は、そのままパウロ様を抱きしめた。


「よかった……本当に、よかったですわ……」


 


 裸の夫を胸に抱きしめながら、涙が滲んでくる。私は、救えたのだ。愛する人を。


 


 その時、扉が開いた。


 


「ただいま帰りました。無事に防衛成功……え?」


 


 ベルトを肩にかけたジュリアさんが立っていた。目の前には、全裸の男と、それを抱きしめる女。


「──仲がよろしいことで♡」


 


 私の顔は、これまでにないほど真っ赤に染まった。


 


(……いつか、ジュリアさん。絶対に貴女を、一発殴りますわ)


 


(つづく)

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