インド3
異文化に触れてさほど時間の経たないうちは、誰もがその異質さに度肝を抜かれる。そしてそのショックからこう考える。彼らは何か特別なものを内に秘めていて、それらが外部に析出しているのだと、そう勘違いする。我々は緩慢な日常を放棄するべくそこに非日常を見出そうとする。
しかし、その作用もそう長くは続かない。非日常はすぐに日常へと堕落する。彼らとの差異にばかり目がいってしまうが、それと同じぐらいの等質性に気付かされる。彼らと我々ではそう大きくは違わないのだ。私が眺めていたのは彼らの幻影であり、どこにも存在しないものである。
彼らは彼らのルールに則って動いているだけなのだ。我々とは異なった何か特別なことをしている訳ではない。ただ我々の理とほんの少しだけ違うだけだ。寝て起きて食べ働きサボりおしゃべりし休み昼寝をし物を買いお茶を飲みスマホを見て誰かに電話をしてメッセージを送り歩きバイクに乗り車に乗りバスに乗り椅子に座り祈りを捧げ水を浴び眠る。
よくよく観察してみると、端正な秩序が完膚なきまでに破壊された爽快感などもう何処にもない。背中に絡みつくのはグローバリズムの暗い影。どこに行ってもどこまで行っても似たような景色が広がっている。多少の違いはあれど、全てルールの範疇にある。はみ出したものは皆見えていない。あのちっぽけな茶色い枯れ葉の行方など一体誰が気に留めよう? それらは世界から消えてしまうのだ。ルールこそが全て。ルールこそが! 禍々しいほどの制約が地面のすぐ下には広がっていた。どこかからか集まって来た泥水がゆっくりと地面に浸透していく。
ここまで来て、私は強烈な疎外感に襲われる。あの輝かしい一体感などまるで嘘であったかのように。グローバリズムは私を歓迎しているのだろうか。この私を? そうなのかもしれない。あるいは……