表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
関羽  作者: 須野亜希菜
4/10

脱出

 いかなる誘いにも乗らなかった。劉備の妻子を守る。それが役目と定め、劉備の妻子にあてがわれた館の前に毎日立っていた。劉備と張飛がどうしているのか、少ない配下を偵諜に放ち、状況だけは掴むようにしていた。劉備は袁紹の元にいるようだ。張飛の行方は掴めない。

 曹操からは毎日のように呼び出される。囚われているとは言え役目があるからと、時間を定めてもらうことにした。捕虜のくせに何様だ!という声もあることは知っている。だがそれで処罰されるならとっくに曹操がそうしていよう。劉備ほどではないが小さいながらも自分なりの駆け引きだと思っている。

 しかし嬉しいこともある。張遼をはじめ、何人かの曹操軍有力武将が訪ってくれるのだ。張遼は呂布戦の時に助命をしたことを恩義に感じてくれているようだ。そんなことをいつまでも気にしてくれるなと言っているのだが、義を想う気持ちが強く、そこは自分と同じ部類の人間だと感じ、気が合って話し込むことが多い。

 徐晃という武将も同郷ということもあって気が合った。自分より年上でもあり、弟分のように何くれと面倒を見てくれるので、関羽は尊敬の念と親しみを抱いている。捕虜ではあるが待遇は悪くなく、そこは曹操の度量だろうと感嘆している。たかだか義勇軍にすぎない将軍の一部将に対する待遇ではない。だがそこは劉備に一目置いていることの現れではないかと思う。

 しかし、関羽は曹操に仕える気はなく、恩を返して劉備の元に戻るつもりでいる。恩の返し方は、自分は戦場でしか返せないと思っている。今曹操は袁紹との本格的な戦になるという。袁紹軍には劉備がいるが、この戦で恩を返して劉備の元へ帰りたい。そう思っていたところへ、袁紹との戦に従軍するようにという使者が来た。関羽は袁紹の元に劉備がいるのに、ということよりもこの重要な戦で手柄を立てて曹操の元を去れる絶好の機会だと考えた。

 曹操は今袁紹と天下分け目の大戦中だった。袁紹は華北四州を地盤に、しかも名門ということもあり人が集まる、今や天下に最も近いと言われる人物だ。一方曹操は出自はいいものの、戦力を上げられず、だが黄巾賊100万の大軍を制したことで一気に名を上げ天下に名を馳せた。しかも帝を擁している。名門袁紹か、野心家曹操か、という図式になっており、今がまさに直接対決の最中であった。そんな中、捕虜の自分に声がかかったのだ。曹操は相当苦しいとわかる。

「しかと承った。されど主君の奥方のことはくれぐれもよしなに。それが条件でござる、条件と言うのもおこがましいが。」使者は、「とにかくどうあっても来て欲しい、というのが命令です。条件はお聞きしましたのですぐに出立してください」との述べ、関羽は曹操軍がよくない状況だと感じた。……

 関羽はすぐに出立し、袁紹軍と対峙している白馬に向かった。白馬では袁紹軍の顔良が曹操軍をことごとく撃退し、曹操も頭を悩ませているという。普通に考えれば、張遼や徐晃はもとより、夏侯惇・夏侯淵、曹仁など名だたる武将がいるので顔良がいかに強くともなんとかなりそうだが、戦力差がそのようにはさせない状況らしい。先に名の上がった将軍は曹操軍の10倍ほどもある袁紹軍を各個で応対せねばならず、顔良の相手ができないようだ。こうなると兵力差はそのまま戦力差になる。関羽はそれを理解して、任務は顔良の首と定めた。

 また一人顔良に斬られたという報が入った。関羽は軍議の場に進んで行った。途中衛兵に止められたが突き飛ばして入って行った。

「それがしに行かせてくだされ!」大音声に言った。

「雑兵が何をっ!」「門番風情が!」など怒声が飛び交った。関羽は曹操軍に囚われてから確かに何もしていない。守衛の役割しかしていない、どうでもよかった。

「顔良の首を取ればよいのでしょ?守衛が一人飛び出して、仮に死んでも痛くも痒くもありますまい。」

 場はざわついたままだが曹操が「関羽にやらせてみよ」と一言言っておさまった。

「かたじけない!」関羽は飛び出して行き、馬を一頭借りて出陣した。顔良は確かに剛のものだが、関羽には自信があった。

 関羽は戦場へ駆けた。袁紹軍にはダレが見える。次はだれだという雰囲気だ。ではこのまま駈けようと関羽はそのまま進み顔良を目指した。


 曹操軍から一騎駆けてくるという報が入った。顔良はまた刀の錆にしてくれると思いながら来襲に備えた。

 ものすごい勢い、形相で駆けてくる。顔良は慌てて迎撃体制に移ろうと得物を取り上げながら馬に跨った。

「出遅れたか」

 鬼のような形相のその男の勢いは今までのんびり構えていた自分の気力と雲泥の差であった。刃を交えたと思った。一瞬熱いと感じた。それ以降何もわからなくなった。


 関羽は馬を駆けていたが、顔良を見つけると一直線に向かい、首を獲ることしか考えていなかった。顔良が慌てて迎え撃とうとしている。準備不足か?どうでもよかった。関羽はそのまま突き進み一刀のもと斬り伏せた。顔良が馬から落ちる。関羽は馬主を返し、顔良の元に駆け寄る。首を斬り落とし、刃の先に首をかかげた。

「顔良討ち取ったり!!」そう叫び関羽は曹操陣営に悠々と戻った。両軍呆気に取られたようにこの様子を見ていた。

 関羽は陣に戻り、曹操の前に顔良の首を振り落とした。

「曹操殿からの恩義はこれで返した。これを手柄としていただき、それがしを兄上の元へ行かせていただきたい!」


 曹操は汗が出てきた。認めないわけにはいかない。働きとしては最上である。顔良を討ち取ったのだ。あれだけ手こずらせた相手をあっさりと。見事としか言えない。だが関羽が去る。受け入れられないことだった。しかし関羽は義を通し、忠に従っている。自分に対してもしっかりと役割を果たして見せている。認めないわけにいかない。だが手放したくない。手放したくないが、やはり無理かとも思う。ならば自分が認めた豪傑に対する礼を尽くそうと思った。

「少し待て関羽。此度の戦果の報奨もある。そこでお前の言い分も含め沙汰を出す。」

「はっ!」

 顔良が倒れたことにより形勢はいっきに曹操軍に傾いた。しかし局地戦に過ぎない。あくまでも戦全体では袁紹軍有利は変わらない。それでも袁紹軍きっての勇将が討たれたという事実は、曹操軍の士気を高めたし、袁紹軍に少なからず動揺を与えた。

 関羽の処遇が問題になった。功績は誰もが認めるが、劉備の元へ行かせるというのはだれもが反対した。曹操は帝に報告して関羽に寿亭候の位を授けた。関羽は固辞した。帝からと言ってもそれは曹操から与えられる官職だ、そう感じたのだ。

 曹操はまだ頭を悩ませた。関羽を取り込みたいがそれは無理そうだ。だが功績に対する官職も与えたい。それが公平な評価であるからだ。今回の顔良を討ったことは見事としか言えない。最高の評価をしなくてはならない。曹操は悩んだがふと思いついた。改めて関羽に官位を与えるようにした。寿亭候ではなく、漢寿亭候とした。関羽は感激した。これならば曹操からではなく漢からの任命となる。断る理由はない。関羽は拝命した。しかしこれは曹操の機転とも言える。曹操はそこまでして関羽を配下にしたかったが、関羽は決して揺るがなかった。関羽の忠義は真っ直ぐに劉備に向かっている。曹操はそこに感嘆した。こういう人物がいるのだ、と素直に驚嘆した。そしてこういう人物が配下にいる劉備を羨ましく思った。張遼や徐晃など、関羽に親しい武将からの話を聞いてもやはり関羽はなびかないと思った。関羽は去る。止められないと理解した。

 関羽からいとまを告げにきたと報告があった。曹操は会わなかった。関羽は出ていきたくとも出られなかった。けじめとして挨拶をする必要があったからだ。

 曹操は会わなかった。それで関羽を引き留めることができたからだ。関羽はよわった。悩んだ末、曹操に置き手紙を書いた。魅力的な男だとわかる。だが関羽はやはり劉備が最良だった。だが最高の待遇をしてくれたことはわかる。囚われの身であるが、曹操の扱いは客将扱いだった。それでも劉備の元に馳せ参じたい。関羽は追手が来ることを承知の上で離れることを決めた。これまで関羽に与えられた賜り物に封をし、曹操に手紙を捧げて別れを告げ、袁紹に身を寄せた劉備の元へ向かうことにした。

 曹操はその忠義に感嘆し、関羽を追いかけようとする部下に対し、彼を追ってはならないと言い聞かせた。曹操のこの処置のおかげで、関羽は劉備と再会を果たせた。

 だが袁紹軍に合流したわけではない。劉備は南部で撹乱したいと進言し、さらにこの時汝南で劉辟が曹操に反旗を翻したので袁紹は劉備に劉辟と合流するように命じ派遣した。劉備は数県を攻め落とし、そのため次々と周りの県も劉備について曹操に反抗した。そんな時に関羽は合流したのだ。袁紹本軍に合流したわけではなく劉備の元に帰ったのだ。

「よく帰った、関羽!」

「長兄...!」関羽は言葉に詰まった。久しぶりに会った劉備は相変わらず人を惹きつける目をしていた。腐っていない。

「顔良を斬ったと聞いた時は若干冷や汗が出たがな。わしは袁紹軍におるのだぞ」

「申し訳ございません、猪武者で。しかし手柄を立てねば離れられぬと、曹操に義理が立たぬと思ったのです。長兄は狡賢い、きっとなんとかすると思い、自分のことだけで行動してしまいました。」

「狡賢いとは、それは褒め言葉なのか?はっはは!しかしこうしてまた合流できたのだ、心強いわい!」

「あとは張飛ですな、私も情報を集めていたのですが、張飛の行方はつかめておりません。」

「心配ない、張飛はあれで逞しいぞ。お主の監督がない分どこかでお山の大将をやっているだろう。また合流できる。我らはなかなか良い位置にいるのだぞ。」

 袁紹と曹操の戦いは天下を左右する。どちらの陣営に付いても勝ち側にいればいい思いができよう。しかし配下になるしかない。負け側になったとすれば破滅しかない。しかし劉備は袁紹陣営に付きながら、いつでも離れられるところにいる。袁紹も自軍のみで戦いたい、という気持ちがあるようだし、その辺りの気持ちをうまく利用している。協力者くらいで、袁紹配下になりきらないあたり、狡賢いとあらためて思う。

「このまま南側で騒動を起こして曹操の背後を脅かし、うまくいけばここで地固めをしたいが難しいだろう。おそらく荊州の劉表を頼ることになる。劉表に曹操牽制の打診はしているが乗ってこん。このままではここでの動きはうまくいくまい。このまま袁曹戦から離れ、劉表のところへ流れる方が得策だ。劉表は守りの人だ。袁曹戦には関わるまい。どういう結果になろうが我らが北の防御になると言えば受け入れよう。」

「用心棒のようなものですな。傭兵軍団としては悪くない。」

 関羽は劉備の考えを聞いてすんなり受け入れられた。劉備は独立した勢力でいたい。だがそのためには利用できるものはなんでも利用する。その辺りが曹操に囚われていた間にわかってきた。劉備が何をしたいのか、先読みができるようになった気がする。

「まずは荊州を頼り、また自力を付けるしかありませんな。」

「そうなるな。関羽、お前なかなか読みが深くなったな?」

「いえ、張飛より考えられる程度です。張飛はどうしてますかね?」

「心配いらん。張飛は一人の方が上手くやれるぞ。そしてきっと合流する。それまで張飛に笑われんように地場を固めねばな。」

 実は張飛はすでにこの南方で山賊のようなことをしていた。旧劉備軍を集めて調練をしながら袁曹戦の後方撹乱をしていた。目立たないが地味に動いていた。目立つ動きは控えていたといってよい。劉備はそんな張飛の動きをちゃんと掴んでいた。張飛から小まめに連絡があったからだ。張飛は関羽には知らせを出さず、劉備のみに出していた。関羽は曹操軍に降っていたからだ。張飛はがさつを装っているが実は緻密なところがある。関羽は張飛合流のことを劉備に任せるように切り替えた。

 南側での劉備軍の動きは曹操軍を悩ませた。

「長兄、ここでの我らの動きは曹操軍にはこたえているでしょうな。」

「鬱陶しいとは思っておろう。だが袁紹はうまくやれない気がする」

「曹操軍が勝つと?」

「そんな気もする。それ以上に袁紹軍は一枚岩ではない。袁紹の采配も疑問だ。袁紹軍の中にいて見えてきたものもある。文醜が討たれた延津の戦にはわしも出ていたからな。あんな動きをする者が袁紹軍で最も信頼されている、精強で一致団結している曹操軍に足元を掬われるのではないかな?曹操は寡兵で果敢に戦って来て、都度ものにしてきたしな」

 関羽は劉備の元へ戻ることばかり考えていたが、劉備は冷静に状況を見ていたようだ。袁紹軍に依ったのも一時のことでしかなかった。

「ではそろそろ潮時ですかな?」

「そうなるだろう、張飛との合流も近いな。」

 結果的に袁紹軍はこの劉備たちの働きを活かせなかった。劉備たち南のことだけではなく、あらゆることが空回りしていた。離反する者まで現れ、官渡で袁紹は曹操に敗れた。まだ軍が壊滅したわけではない。華北四州を領していることに変わりはなく、ただ曹操に押されて前線は大きく後退した。何より勢いを失い、逆に曹操軍の士気は大いに上がり、世間の目も曹操軍に屈したという目で見るようになった。

 関羽は劉表の元へ手紙や使者を出していた。曹操軍が官渡で勝てば、自分たちの掃討に出る余裕が出るのでその時は受け入れてほしい、といった内容を伝え、承諾を得ていた。

「曹操軍が南下してくる素振りを見せたら荊州に入る、ということでよいですかな?」

「それでよい、その時は張飛も一緒だぞ。張飛にはもういつでも合流できるところで動いていろと伝えておけ。」

「それはすでに伝えております。あとは荊州入りの時期の確認が取れれば、それを伝えるのみにしてあります。」

「関羽、周到になったな。」

 劉備がニヤリとして言った。

「ただ猛進するだけでは駄目だということに気づき始めたのですよ。」

 関羽も笑い返した。

「成長したな関羽、今のお前にならいろいろと頼み事、相談ができそうだぞ」

 劉備のことを狡賢いと思っていたが、立ち回り方がうまく、そのために周到に準備をする、そして見切りがいい、これらを総じて狡賢いと感じるのだ。関羽は以前はただ狡賢いとしか思わなかったが、最近になりその理由が自分なりに整理できたと思っている。そしてその考え方を自分も少し真似始めただけだった。それを劉備は成長した、と感じた部分なのだろう。一州を治めるにはさまざまなことをしなければならないと徐州の時に感じたが、今はあの時以上にそう思い、だが何をする必要があるのか、少しずつ見えて来ていると関羽は感じていた。

 それから数日して曹操軍南下の報が入って来た。

 劉備はすぐに退散することにした。袁紹から預かっていた兵は返し、劉備軍のみで荊州に向かう。関羽は劉表と張飛に使者を出して、劉備軍はすぐに荊州へ向かった。荊州の劉表はだいぶ歳で、戦は避けたがっているという。袁曹戦も傍観を決め込んでいる。一度戦乱に巻き込まれたら、果たして防げるのだろうか。いろいろ思いながら、やはり早く地盤が欲しいと関羽は思った。だが一番そう思っているのは劉備だろうと、今はそこまで考えられるようになった。

 曹操軍との直接の戦をすることに今得なことは一つもない。張飛の軍がすぐに追いつき合流して、劉備軍は6,000の陣容で荊州に入った。

 荊州の風は穏やかに感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ