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関羽  作者: 須野亜希菜
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樊城攻略戦、そして

 関羽は荊州の守備を士仁、麋芳に任せて曹仁の守る樊城攻略のために出陣した。帯同するのは子の関平と都督の趙累である。正直、士仁と麋芳には期待していなかった。特に麋芳は兄の麋竺や劉備の側室となった麋竺の妹である麋夫人の七光なだけで実力はなく、そのくせ威張るような小物だった。だが荊州は今盤石であるし、守備だけならば何とかなるだろうと思っていた。

 関羽はすこぶる機嫌が悪かった。孫権に対してである。関羽は孫権に救援を求めたが、のらりくらりとしている。

「腐れ孺子が!樊城を落としたら次は孫権を滅ぼしてやる!」

 そう罵倒するほどであった。関羽はもともと孫権のことが好きではなかった。若輩者のくせに、という気持ちが強い。「孺子」と口走るように、若造と思っているのだ。生意気な小僧くらいにしか思っていないためやることなすこと気に入らない。樊城を落としたら本気で孫権を攻めてやると思っていた。

 一方で、曹操は于禁を援軍として送り込んできていた。于禁は曹操軍の中でも曹仁にも劣らぬ勇将である。用兵の術も随一だ。曹仁に絶大の信頼を置いている曹操が、これまた絶大な信頼を置いている于禁を援軍に送るとは、曹操も相当警戒していると言える。それほど関羽は強敵であり、樊城は重要地という認識なのだろう。

「于禁か。曹仁といい曹操軍の中でも勇将中の勇将。相手にとって不足なし、天下をかけた最高の戦だわい。」

 関羽は怯むことはなかった。

「さすがは父上。私は少し緊張します。父上や叔父上が勇将と認めるような将軍と相対するのはなかなかないので。」

「平や、お主もすでに立派な武将だ。しかも若い。わしもついておるし、臆さず思い切り暴れよ。共に樊城を落として兄上に朗報を届けようぞ。」

「はっ!父上に認められる働きをしてみせまする!」

 張飛には人材不足だと言われ、それは致し方なしと思っていたが、関羽はこの息子が今は頼もしく、また楽しみでもあった。関平がいれば人材不足も補えよう、と思った。

「しかし父上、樊城には曹仁、北からは于禁の援軍、曹操もいよいよ樊城だけは抜かせぬ、という気概が伝わってくる配置ですが、いかにして攻めましょうか?」

「お主はどう思う?」

 関羽は関平を試したくなった。ちょっと前なら、そんなことはまず自分で考えろ!とすぐに怒鳴りつけていた。しかし最近の関平の成長をみていると、上から押さえつけるのではなく、まずは意見を聞いてから、という気持ちになった。

「樊城は荊州の北の要地。簡単には抜けぬ城です。しかし最近は天候が悪い。曹仁はある程度わかるかもしれませんが、荊州の地に疎い于禁は、そこに付け入る隙があると思います。そこを活かして于禁の軍を封じられれば我が軍の士気は大いに上がり、曹操軍は挫けましょう。ますば于禁の鼻を明かしてやることが我が軍に利すると考えます。」

 関羽はにやっとした。いい着想だ。関羽は樊城の天候がどんどん悪くなることを知っていた。すでに手は打ってある。関平も見えるようになってきたなと思った。

「平や、そこまでわかっておるならわしも安心じゃ。わしはすでに水攻めの手配をしておる。この雨は長くなる。于禁には思いがけない戦になろう。はっはは」

 関羽は于禁を認めながらも、この戦で打ち負かすつもりであった。

 

 樊城の地域は悪天候が続いていた。于禁は七軍を率いていたが、思うように動けなかった。関羽はこの長雨はまともに歩けなくなるほどになると思っていた。荊州に長く滞在していたため、なんとなくそういうことがわかるようになっていた。だからあらかじめいくつもの小舟を用意していた。この小舟に兵を乗せて指揮をとり于禁軍に攻撃を仕掛けた。

「于禁は優秀な将軍だが、この荊州の長雨の対策は知らぬと見える。準備のない大軍など身動きの取れないただの的よ」

 関羽は笑いながら小舟の隊を指揮する。

「父上は舟まで用意されていたのか!」

 関平は舌を巻いた。荊州のことを知り尽くしている。どのように于禁軍を押さえ込むのか、具体的な手段までは関平には思いついていなかった。

「これが父上の戦か...!」

 軍神。関羽が一部でそう呼ばれていることを関平は改めて感じた。

 于禁軍は水没して身動きもままならない。まともに動けぬまま、関羽の繰り出した小舟からの攻撃になす術がない。勇将于禁の軍はあっという間に壊滅し、およそ3万人が降伏した。于禁自身も降伏した。于禁ほどのものがあっさりと負けたのである。

 樊城城内は震え上がった。


「ええい!なんだこの雨は!」

 于禁は焦っていた。大軍であるが故に余計に動きが取れない。陣取る場所もないほど足元も悪い。なんとか陣取った場所からほとんど動けない状態だ。水かさは増し、川のようになっている。陣取るというよりは、地面が水面の上に出ている場所を見つけて留まる、といった状態だ。戦どころではない。

 小舟が何艘も見えた。すぐに関羽軍だとわかった。

「これではただ的にされるだけだ...!」

 于禁はほぞを噛んだ。これまで多くの戦場で結果を残してきた。困難な負け戦の中でも自分が殿となり曹操様の窮地をお救いしたこともある。そういう自負が音を立てて崩れようとしていた。

 なす術なく兵が倒されていく。武器を捨てて降伏している者もいる。

「于禁殿、関羽でござる。ここは無駄な抵抗はおやめなされ。これでは存分に動くこともかないますまい。」

 一艘の小舟から大きな男が船頭に立ち呼ばわっている。関羽に間違いない。関羽は曹操軍に身を寄せていた時期があるので見紛うはずもない。

「関羽殿、わしは降参する。兵たちも抵抗できない状態だ。殺すのはやめてくれ。」

 于禁の場数は相当なものだ。これは戦闘にすらならない。七軍を全滅させるわけにはいかない。于禁の降伏はそういう経験と思いからだ。降伏を恥として命尽きるまで闘う、自分一人ならばそれでよいが、大軍を預かる身でそのような判断はできない。

 将兵の命を大事に思い、于禁は恥を忍んで降伏を選んだ。


 この時、樊城の北に駐屯していた龐徳という者も関羽は包囲した。龐徳はもともと馬超配下の将軍であったが馬超が曹操に敗れた折に曹操に降伏していた。龐徳も剛の者であった。その龐徳は降伏せず徹底的に抗戦した。

「父上!龐徳の首、この関平が獲ってご覧にいれまする!」

 関平は関羽の言葉を思い出していた。関羽がいる、思い切り暴れる。関平はそれを実践しようとした。

「龐徳!我は関平!いざ尋常に勝負!」

「小賢しい!みくびるでないわ!」

 関平は元気いっぱい戦った。しかし龐徳はかつて馬超の右腕とも言われたほどの実力者で、じりじりと押され始めた。

「おのれっ...!」関平は意地でも引き下がらない覚悟で戦っていたが、経験の差もあり徐々に分が悪くなっていた。

 関羽は銅鑼を鳴らして関平を下がらせた。

「父上、何故引き上げを!?」

「平、お主もわかっていたであろう。龐徳は手強い。お主も立派に戦っていたが、あのままでは討ち取られていたであろう。」

 関平は頭を下げ、その口の端から血が垂れていた。悔しさでいっぱいなのであろう。

「恥じるな、平!龐徳ほどの者とあれだけ渡り合えればお主も成長しておるわい。」

 関羽は正直にそう思った。息子が逞しく育っていることに満足と安心を覚えた。

 于禁軍を打ち破った勢いのもと、関羽は一度龐徳に降伏を進めることにした。しかし関羽の降伏勧告にも「ようやくこれはという主に出会えて満足な働きをしようと思っているのに、なぜ貴様のような小物に頭を垂れねばならんのだ!死ぬまで戦ってやる!」と、罵倒して使者を切り捨てていた。

 関羽は腹を立てた。良い将だと思い敬意を払っていたつもりだが、無礼ものめ!という気持ちになった。だが内心ではこういう人物は嫌いではない、とも思っていた。孫権のように裏でこそこそ動くようなものと比べてよほど気持ちがいい。それでもこの種の敵は決してこちら側に付くことはない。関羽は斬るしかない、と思っていた。関羽は軍を進めて龐徳を攻撃した。龐徳は奮戦していたが、関羽が自ら出向いた。無駄を承知で語りかけた。

「龐徳、我が殿に仕えんか?」

「寝言は寝て言うものだ!」

「致し方なし!」

 龐徳は薙刀を振り回しながら向かってきた。かなりの使い手だとわかる。十合ほど斬り結んだところで関羽の一撃を受け流しきれず、体勢がぐずれたところを関羽の一刀を受けて斬り倒された。


 この戦いで曹操側の将士が多数降伏し、于禁や龐徳といった将軍までも投降、戦死した。関羽は樊城を完全に包囲した。さらには襄陽までも包囲した。

 関羽の名声が一気に轟いた。

 もともと関羽の名は天下に知れていた。官渡の戦いで顔良を斬った時に一気にその名が知られるところとなった。それ以降は大きな戦功を立てられていなかったが、曹操の誘いを断ったことも忠臣として知られた。そして今回の武功である。今回の戦功は大きく、再び天下に関羽あり、と知れ渡ることとなった。

「父上、樊城を抜くのも目前です。天下の耳目は今父上に集まっております!」

 関平が興奮したように言った。

「曹仁はそう甘くない。だが勢いは大事だ。ここで仕掛けるぞ。于禁を降した今が機会だ。ここで曹操に不満を持っている連中を煽る。益州の殿にも状況報告しておけ。」

 この機に乗じて関羽は方々に印綬をばら撒いた。樊城での戦の結果、関羽の名声に加え、印綬までも受けられて、梁・郟・陸渾といった曹操領内の群盗などが一斉に蜂起し、中原は大騒ぎになっていた。印綬を授けることができるのは王だけである。蜀の場合でいえば劉備以外の者はそんなことはできない。だが関羽は斧鉞を賜り、荊州に関してはかなりの権限を持たされていた。印綬についても、戦術的にも味方を増やす手っ取り早い方法であったため、王の代理ということで劉備の許可を得ていた。

 思った通り、印綬は王からの賜り物なので、曹操領内の不満分子が一気に関羽に靡いた。

 南からは関羽の圧力により樊城を抜かれるかもしれない、内部では方々での一斉蜂起、中原は激震していた。

 関羽の勢いは中原を飲み込むほどであった。

 待ちに待った天下をかけた戦のど真ん中におり、しかも向かうところ敵なしの状況であった。関羽はこれまでになく満足していた。思えば長坂の逃避行、益州攻め、漢中攻略、それら劉備の苦労した局面に自分は居合わせたことがなかった。その劉備と、今は連動して、そして今この時は自分が中心にこの戦が動いている。関羽は高揚していた。

「曹操!待っておれ!この関雲長が全て終わらせてくれよう!」

 中原を制する。それが目の前まで来ていた。


 曹操は本気で関羽を恐れていた。部下たちに、「今の関羽の勢いにあたれる者は我が軍におるまい。わしは天子をお移しして遷都をしたほうがよいと思うが、どうじゃろうか?」と相談するほどだった。

 天子を関羽に奪われでもしたら大義がなくなる。それは絶対に避けねばならず、そのための遷都だった。だが関羽の勢いに恐れをなして都を移した、となれば曹操の世間での評判はがた落ちになる、それもやはり避けねばならない。だが評判を落としてでも天子を取る、曹操はそこまで追い詰められていた。

 弱気にさせていた理由の一つに、于禁のことがあった。于禁は信頼していた武将の一人であったのに、降伏するとは夢にも思っていなかった。しかも軍艦の報告によると龐徳は頑として抵抗し、于禁は結果的にはあっさりと降伏した格好だ。

「于禁は30年勤めてくれた。その于禁が10年そこそこの龐徳におよばないのか...」と嘆いた。

 于禁が挙げた戦功は数えきれない。そんな于禁でさえ関羽に敵しえなかったことは曹操に大きな衝撃を与えていた。

 しかし司馬懿と蔣済がこれを諌めた。

 于禁の行動は仕方がなかった、七軍を預かる于禁と龐徳を直接比べるのはあまりに酷だ。責任の重さが違い過ぎる。于禁は将兵の命を優先したのだ、と。

 そして打開策を提案した。

「関羽の成功を孫権は望んでいません。そして孫権と関羽はうまくいっていないようです。ですから、孫権に関羽の背後を襲わせるのです。孫権は荊州に欲がありますし、関羽のことを快く思っていないので、おそらく乗ってくるはずです。さらには、孫権に江南を治めることを追認してやるのです。背後の危機によって関羽の樊城包囲は自然と解けるでしょう。」

 曹操は、かつて袁紹軍の猛将顔良を切った関羽の実力を思い出し、さらに今の現状を鑑みると遷都もやむなし、と考えていた。だがこの言葉で冷静さを取り戻した。そして、すぐ実行に移すよう命じた。合わせて樊城の曹仁救援のため徐晃を遣わせた。さらに徐晃には、樊城の曹仁軍と関羽軍に孫権参戦の情報を伝えるように指示した。

「徐晃軍が救援に駆けつける。さらには孫権も連動して荊州を南東から攻める。」

 使者の伝令を聞いた樊城の曹仁軍の士気は大いに上がった。

 曹操、孫権は繋がっていた。形の上では孫権は曹操に臣従している。だが劉備との同盟があるため、臣従は形だけのものだろうと関羽はたかを括っていた。やはり関羽に駆け引きは向いていない。荊州は磐石に見えたが、人材は不足していた。関羽一人では回るわけもない。荊州の情勢はどう変化するのか。関羽だけがそのことを考えていなかった。荊州は磐石だと思っているから。関羽の荊州統治が、関羽の知らないところで崩れ始めていた。だが表面上はまだ関羽の勢いは洛陽を落とす勢いだった。関羽が樊城を抜くのが先か、曹操・孫権の裏工作が先か、荊州の情勢は見えるところと見えないところの戦いにもなっていた。


 関羽は勢いに乗じ、上庸の劉封・孟達に援軍を求めた。ここは一気呵成、各方面から曹操軍を攻め上げ、樊城を抜いて長安、洛陽に迫りたいと思った。孫権軍の力は頼りにならなくとも、漢中まで押し出している劉備本軍に、上庸からの援軍で勢いをつければ樊城を抜くのがさらに容易くなる。関羽は上庸からの援軍がいつ頃になるか想定し、今後の樊城を抜く計画を練っていた。上庸からの救援は当たり前のものだと思っていた。しかし、事態は想定通りにいかなかった。

 劉封・孟達から、上庸が未だ安定していないことを理由に援軍を断ってきたのだ。

「機を見れないのか!」

 関羽は吐き捨てるように言った。確かに上庸は重要な土地であり、しっかり固めねばならない。だが今は樊城を締め上げ、曹操領内でも反旗を翻している豪族も多い。曹操はこの事態に狼狽して遷都まで考えるほどだという情報も確認している。勢いは完全に蜀にある。上庸が安定していなくとも、曹操軍の今の状況でそちらに靡くようなことはない。

 孟達は力はあるが小狡く立ち回るところがあるのでわからなくはない。だが劉封は甥ではないか。ふと思いあたる節がある。劉備に劉禅が産まれたとき、劉封の存在が後々問題となる、という話を劉備にしたことがある。つまり後継問題だ。もしかすると劉封はそのことを根に持っているかもしれない。国家の大事になんたることか。

「父上、私が上庸へ直接行って参りましょうか?」

 関平が怒りを抑えながら聞いてきた。関羽はその様を見て少し落ち着きを取り戻した。自分が感情的になってはいけない。

「よい。あの二人には通じまい。ましてやその程度の者が来たとて役には立つまい。」

 関羽は上庸をあてにするのをやめた。

 速やかに樊城を攻め上げ、劉備本軍と長安、洛陽で合流する。正攻法でいくべし、それが事を成就させる最善だと思い直した。

 そんな時に揚州から使者が来た。関羽は揚州に対しても警戒を怠っていなかった。同盟しているとはいえ、魯粛がいなくなってからの揚州には信用が置けなかったからだ。そのため、長江沿いに守備兵を置いていた。

 だが今回の使者が伝えてきたのは、呂蒙が病気となり後任に陸遜という者になる、ということだった。

「陸遜?あまり聞いたことのない名だな」

「周瑜殿に師事していたと聞いたことがあります。若いが優秀とのことですが。」

 関平が言った。

 関羽は陸遜という者を知らなかった。関平よりも若いという。関平が知っていたことも意外であった。

 その陸遜から、自分は若輩であり、まだまだものがわからない。呂蒙にいろいろ教えてもらいながらと思っていたが病気でそれもままならない。関羽は天下に名高い名将なので、いろいろご教示願いたい、という阿ったような手紙が届いた。

「そうか、陸遜というのはまだ若い将軍か。今後のことを見据えて若い将軍を育てる意味でこの荊州に派遣されたわけだな」

 関羽はすっかり気をよくし、警戒を解いてしまった。

「しかし父上、この荊州を巡っては孫権も並々ならぬ野心を持っております。そこにそのような頼りない者を遣わすでありましょうや?」

 関平は難しい顔をして言った。

「見込みのある若者なのであろう。だがわしと渡り合えるほどの経験はまだあるまい。案ずるな、平。」

 関羽は全く警戒していない風であった。関平は何か引っ掛かるものを感じたが、確かに実績のない若者にそこまで気を回すこともあるまい、と関羽に従うことにした。

 関羽は江陵・公安からさらに兵・物資を前線に送るよう指示を出した。

「父上、人が増え過ぎております。曹軍三万の降伏兵のこともあります。援軍が加われば兵糧が懸念となります。ましてや後方が手薄になり過ぎです。」

 関平が今の切実な問題を訴えてきた。兵糧は現地調達が基本ではある。ただ于禁の軍を降したのはいいが、降兵三万を抱えることになってしまった。兵糧は倍は必要になる。そこは想定外であった。ただ于禁と三万の降兵は江陵へ送ったので、一時の負担で済んではいる。ただ一時とはいえ降兵を抱える想定はしていなかったため兵糧は厳しくなっていたのは確かであった。

「兵糧については孫権軍の備蓄を借りることにしよう。後方は、孫権軍の後任が陸遜という若い将軍で、経験も浅いようなので心配いるまい」

 関羽はさほど気にした様子もなく答えた。

 呂蒙がいれば何かと厄介ではあったが、呂蒙が引いたこともあり、関羽は孫権軍の軍需物資を強奪した。借りるのではなく奪取したのだ。同盟軍であるし、後で返せば問題なかろう、という軽い判断であった。

 だが揚州の関羽への不信、怒りは確実に高まっていた。関羽が「樊城を落としたら孫権を滅ぼす」と言ったことも揚州にも伝わっていた。そういったこともあり、揚州での関羽の評判はすこぶる悪かった。そして今回の強奪である。孫権はついに堪忍袋の尾が切れた。

 呂蒙の病は嘘であった。謀だ。孫権は関羽の留守を狙っていた。呂蒙は自分が引き、まだ名の知れていない陸遜を後任にし、さらに下手に出る手紙を送れば関羽は油断する、そうにらんでいた。

 そして関羽はすっかりのせられた。守備兵を前線へ送るよう指示を出した。

 孫権は呂蒙・陸遜らに命じて関羽への攻撃を開始した。関羽はそれを知らない。前線では関羽の名が轟いていたが、自軍後方で綻びが生じ始めていた。関羽が樊城を抜くよりも先に、孫権の後方戦略の方が先に結果を出し始めた。

 関羽は劉備の天下しか考えていなかった。劉備の天下のために粉骨砕身の働きをする。自分がこの人と決めた人を天下人にするために働く。それが全てであった。だが部下は違う。関羽はそういうところに無頓着であった。劉備の天下のため、全軍が、全将が、そうだと信じて疑わない。純粋であるが故に隙が多いと言えた。

 その隙の一つが部下のことである。麋芳と士仁は、関羽から侮られていた。樊城攻略から戻ったら取り締まらねば、と言っていたことに怖れてもいた。小物であるものの、小物であるからこそ何をしでかすかわからない。ましてや関羽のように将に厳しい上司は、配下のことがわからないことが多い。

 そこに着目した呂蒙は、両者に誘いをかけた。二人はあっさりと寝返った。関羽は重要な拠点である江陵・公安を失った。関羽はまだ気づいていない。呂蒙は自分の兵士を商人に化かせて荊州に潜り込ませる周到さを見せた。その後も陸遜らの働きで荊州の劉備領は次々に攻略されていった。


「申し上げます!江陵、公安が孫権軍の手に落ちました!」

 急報が関羽の元に届いた。関羽はこの使者が何を言っているのか理解できなかった。そんなことがあるわけがない、何を言っているのか?樊城落城は目の前だ。孫権は同盟軍だ。なぜ我が荊州領を襲う必要があるのか?関羽は思考が追いつかなかった。徐晃の軍が迫ると同時に曹仁軍の士気は上がった。確かに徐晃は優秀な軍人であった。だが于禁軍の壊滅を目の当たりにして徐晃軍が来たとしてもそう簡単に士気が上がるとは思えなかった。だが、孫権が曹操に付いた。それは関羽軍が挟撃されることを意味している。曹仁軍の士気が上がるわけだ。

「父上、孫権の裏切りです!ここは兵を引いて状況が落ち着くのを待った方が良いのではないでしょうか?」

 関平が言ったが、関羽は百も承知であった。だが引く場所がない。ここは逆に一気に樊城を抜いて後顧の憂いを断ちたかった。樊城を落とせば流れは一気に劉備軍に傾く。曹操軍の援軍は徐晃だ。徐の旗がたなびいている。徐晃は関羽が曹操軍にいっとき身を寄せていた時に親しくなった数少ない武将であった。

 関羽は徐晃が陣を敷いたのを見て、話をしたくなった。

 陣頭に立ち徐晃に語りかけた。

「大兄、その後息災でありますか?」

 関羽は親しげに語ったが、徐晃は当たり障りなく応答した。その後徐晃から関羽には信じられない言葉を聞いた。

「関羽の首級をあげた者には千斤の賞金を出す!」

 関羽は狼狽し、「大兄、これはどういうことか!?」と訴えた。徐晃の回答は簡潔であった。

「私は国家に仕えている身だ。お主とは親しく付き合いはあるがそれは個人としての話だ。国家の大事に私情は挟まん。」

 関羽は情の人でもある。ここではそれが甘さに繋がった。関羽は情に訴えて徐晃と事を構えることを避けようとしたが、徐晃は軍人としての仕事を全うしようとした。徐晃の軍が関羽軍に攻撃を仕掛けた。

「戦いたくない相手だがやむを得ん。大兄覚悟!」

 関羽も意を決して交戦に当たったが、最初から関羽を撃つ気で気力のみなぎっている将と、気を入れ直した将との軍の差は大きかった。襄陽・樊城を包囲し、勢いあたらざるものがあった関羽だが、結局どちらも落とせぬまま、後方がおかしなことになった。その動揺が治まらぬ間に徐晃に攻撃を受けた。

 関羽は敗れた。徐晃も良い将軍ではあったが、それ以上に関羽に本来の力がなかった。徐晃とは親しい付き合いのはずが冷徹にも自分を襲い、何より孫権の攻撃、しかも江陵、公安が落ちた事実を受け入れられないまま、戦闘になっていた。おそらく江陵、公安が孫権の手に落ちたことは確実だと思っていたが、そんなはずがあるか!という思いもあり、関羽は混乱したままだった。力を出し切れるわけがない状況であった。その状況もあり、徐晃に敗れた。関羽は樊城の包囲を解かざるをえなかった。

 樊城の包囲が解かれたことで曹操軍の士気は大いに上がり、関羽軍の勢いは失われた。印綬を受け取り関羽についた者たちもみるみる離脱していった。

「父上、上庸の孟達殿、劉封殿に援軍を頼まれるべきではありませんか?荊州の危機であれば駆けつけてくれるやもしれません。」

 関平が進言してきた。切迫したものを感じる。だが関羽は無駄なことだと思った。来るわけがない。しかし息子の気持ちを大切にしてやりたいと思い、使者は出すことにした。

 関羽が敗れたことを知った孫権は、関羽軍の輜重を奪った。

「父上!輜重隊が襲われました!」

 関平が血相変えて報告に来た。

「ぬぅ...!」

 関羽は唸るしかなかった。

「輜重が襲われたとなれば、このまま軍を留め置くことはできん。一度退くしかない。」

 関羽は襄陽の包囲も解いた。関羽は撤退しはじめ、呂蒙に使者を送った。だが呂蒙は会おうとしなかった。関羽は何度も使者を送り呂蒙と連絡を取ろうとした。話せばわかる、そう関羽は思っていた。だが、呂蒙はそのたびごとに関羽や関羽の部下の妻子たちを捕虜にして、厚遇していることをわざと使者に知らせた。そして関羽と会うことは決してしなかった。使者の口からこのことを知った関羽の部下たちは闘争心を失ってしまった。孫権軍に対して敵とは思えなくなってしまったのだ。

「父上!兵が動揺しております。このままでは戦どころではありません!」

 関平は、もうこれ以上抑えることはできないと訴えてきた。兵が脱走しそうだというのだ。

「なんとか士気を保つのだ。」

 関羽は言ったが、無理だろうなと思っていた。

 一人、また一人と兵士が去って行った。関羽にそれを止めることはできなかった。一人でも去れば芋蔓式に兵は去っていく。それを止める術はないと関羽は悟っていた。それに、闘争心を失った兵を無理に留めておくことは他の兵にも悪影響が出る。それ以上に関羽は兵たちの気持ちがよくわかり、去って行くのを止める気になれなかった。

 やがて関羽の軍は四散し、大半の将兵が孫権軍に降伏してしまった。関羽軍は事実上瓦解した。

 関羽は関平と僅かに残った兵と共に当陽まで引き返した。なんとか体勢を立て直そうと思った。益州へ退くしかない。荊州は孫権の手に落ち、それを取り返したくともそれだけの兵がない。益州まで退きそこで兵を借り、自分の手で荊州を取り戻す。一時劉備には迷惑をかけるが必ず荊州を回復する。そう気持ちを立て直そうとした。

 いったいどうしてこんなことになってしまったのか?于禁の七軍をあっさりと破り、樊城も襄陽も包囲し、許都近辺では関羽に付く者も多数いた。曹操は遷都も考えていた。樊城を抜くのも時間の問題だったはずだ。

 孫権が裏切った。しかし裏切りなのか?自分のまいた種ではないのか?孫権を侮り孫権軍を侮り、後方から崩された。自身の部下までも裏切る始末だ。

 再起できるだろうか?

 張飛や趙雲がいてくれればこんなことになっていなかったはずだ。張飛の言葉が思い起こされる。

 人材不足に加えて守りよりも攻めの人、今度のことはその守りに隙ができた結果だ。攻められる時に守る、ということではく、攻めている時の拠点守備、というところが甘かった。悔やんでも遅い。

 今はなんとか益州の劉備の元まで辿り着きたい。劉備とも長く会っていない。叱責されようとも劉備の元に行き、そこからまた荊州を取り返したい。今はそれだけを思っていた。


「申し上げます!江陵に孫権自ら兵を率いて参戦している模様です!」

「孫権……!今頃になってのこのこと……!」

 関羽は頭にきたが、抗しきれないと思い一度西の麦城に入ることにした。そして劉備に使者を送った。一度益州に寄り、兵力を整えて荊州を取り戻す、という意思を伝えたかった。しかしその使者はとうとう劉備の元にはとどかなかった。陸遜が麦城から西、益州へ向かう道を塞いでいたためだ。

 そして、孫権から降伏を勧告する使者が派遣されてきた。

「降伏せよだと……!孫権如き孺子に頭を下げるわけがあるまい!」

 そう強がってはみたものの、現実には退路が絶たれている以上八方塞がりの状況であった。兵の数も五万を超えるほどであったのが、わずか千にも満たないほどにまで減っていた。麦城は大きな城ではなく、籠るにしても援軍が望めなければあまり役には立たない城であった。

「降伏するふりをして脱出を図るしかありますまい。」

 関平が言い、関羽はその言葉に従った。

「益州まで退き、必ず荊州を取り戻す。皆耐えよ。我が軍は一度ここで解散する。故郷に帰りたい者は帰るがよい。益州まで退くものは付いてくるがよい。だがここからは少人数で動こう。目立たぬように少人数で益州を目指す。皆、益州でまた会おうぞ。」

 関羽はそう言って脱出を図った。

 関羽は息子の関平と数人で脱出を図った。しかし、目の前に孫権軍が現れ、引き返そうにも後ろにも孫権軍が迫って来ていた。

「戻れぬか...」

 矢が飛んできた。関羽は飛んでくる矢を薙ぎ払うものの、孫権軍に完全に囲まれた。なんとか包囲を突き破ろうと暴れ回った。

「長兄、張飛...!」

 関羽は心の中で呟いた。最後に一目会いたかった。懐かしい面々と酒を飲みたかった。益州の攻略以来ほとんど顔を合わせていない。

 数は少なくとも皆で力を合わせて戦場を駆け巡っていた頃が思い出される。あの頃は苦しかったが楽しくもあった。一人ではなかったから。今は一人だった。

 そんなことを思い出しながら関羽は抗っていた。関平が馬をやられて放り出された。すぐに体勢を立て直し暴れ回っている。しかし馬から落ちてしまえば数には勝てない。関平は鬼の形相で斬りまくっていだが、ついに獲物を封じられ、寄ってたかって取り押さえられた。

「平!」関羽は悲壮な叫び声をあげた。鬼神の如く暴れ回った。関羽に触れそうな者はことごとく斬り伏せられるといった状況だった。しかし、関平と同じく馬の足を折られ、地面に投げ出された。さっと体勢を立て直し、やはり関平同様斬りまくった。しかし、数には勝てず、方々から飛び出してくる熊手のような捕り物で武器を落とされ、取り押さえられた。

「無念...」

 関羽はついに捕縛された。

「英傑関羽も囚われの身か。何か申すことはあるか?」

 潘璋という若い将が関羽に聞いた。関羽を最後に取り押さえた将軍だ。

 関羽は目を瞑ったまま何も答えなかった。ゆっくりと目を開き、関平の方に顔を向けて静かに語りかけた。

「わしは、わしの人生に悔いはない。おもいきり乱世を駆け抜けた。長兄や張飛と共に。最後はこのようにわし一人となってしもうたが、それもまた致し方あるまい。だがそちがいた。最後までようついてきてくれた。そちにはわしの人生に付き合わせた格好になってしまったな。そちの人生を謳歌して欲しかったが。許せ。」

「何を申されます!私は父上と共に闘えて満足でした。私の力が乏しいため、このような恥を父上にかかせてしまったこと、いたらぬ息子でそれがしこそ、まことに申し訳ござりませぬ。」

 関平が縛られたままの状態で頭を下げた。

 関羽は関平を見つめて言った。

「平、良い息子を持って幸せであったよ。」

 関平は頭を上げ関羽を見た。目が涙で濡れている。

「共に逝こう、平や。」

「父上...!」

 関羽は関平を見てにっこりと笑い、そして再び目を瞑った。

 (さらば、長兄、張飛...)

 関羽が心の中で言った最後の言葉だった。

 関平は頷き、やはり目を瞑りった。

 二人とも覚悟はできているという姿だった。

 潘璋は二人の姿を見て胸が熱くなった。そしてこれ以上は失礼になると思った。

 潘璋は刀を構え、掛け声とともに振り下ろした。関羽と関平の親子の首が飛んだ。

 時に219年12月、関羽は関平らと共に当陽県の臨沮において、捕虜となり斬首された。

 一時は、曹操に遷都まで考えさせたほどの武威を見せた関羽、天下の形勢を変えるほどの勢いを見せたものの、あっという間に滅亡へ転落してしまった。この時代一の豪傑関羽の最後であった。


 

結びに

 群雄・関羽の首級は、孫権の使者によって曹操の元へ送られた。孫権は形式上曹操の配下、ということになっていたからだ。(その後孫権は呉を打ち立て皇帝になるのでこの時期は、という条件付きではある)孫権は諸侯の礼を以て当陽に関羽の死体を葬った。漢寿亭侯という称号を持ち、一州を治めていたためであろう。

 一方、曹操も諸侯の礼を以て洛陽に関羽の首級を葬った。


 関羽は劉備の配下ではあるが、実は第四勢力として独立していたのでは、という説もあるが、それは言い過ぎではないか。あくまでもかなりの権限を持った配下、配下の中では筆頭という立ち位置だったのだろう。関羽は劉備に対して常に臣従していた。

 ただし周りからは一勢力をもった諸侯の扱いを受けた。関羽の最後となった樊城侵攻での武威がそうさせたのかもしれない。また、劉備配下の中でも別格扱いに見えたのかもしれない。劉備が益州に入ったのち斧鉞を賜ったことによることが大きいかもしれない。

 章武2年(222年)、関羽を殺された劉備は孫権に対して夷陵の戦いを起こしたが大敗を喫し、この戦が原因となり劉備は世を去る。この戦の直前には張飛も暗殺されている。

 劉備よりも前に曹操は他界している。

 曹操、劉備らの死により、乱世を生きた英雄はいなくなり、関羽や張飛のような豪傑もいなくなった。豪傑たちが個性的に活躍した時代が終わりを告げた。蜀は荊州を失い、魏、呉、蜀の三国の領土が大方固まり、このあとは小競り合いを繰り広げるだけで大きな領土変更はなかった。ここより三国鼎立の時代が始まったと言える。

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