劉備との出会い
「張飛、やっぱり会いに行こうか?」
関羽はどうにも気になって仕方がなかった。
ほんの10日ほど前に初めて出会い、たまたま一時限りの仕事を一緒にしただけだ。なぜこんなにも気になるのか、今までにない感覚だった。
「だから言ったんだ。オレは最初から会いに行った方が手っ取り早いって思ってたぜ」
張飛は弟分だ。なぜか気が合い一緒に行動を共にしている。腕が鈍るから、と張飛が言うものだから、たまたま募集されていた仕事をこなしただけだ。ここらでは名の通った富豪が自分の荷物を運ぶのに人手が欲しかったらしい。最近は黄巾賊がそこいらで暴れ回っているため、人夫というよりも護衛が欲しかったようだ。報酬も悪くないので腕に覚えがあればいい仕事と言える。
「あの人はなんであの仕事に募集したのかな?」
「それも知りたいから会いに行って聞くんだろ?兄貴は戦の時は思い切りがいいのに、こういうことは今ひとつなんだな」
「ふんっ!お前みたいに単細胞じゃないからいろいろ考えてしまうだけだ!」
「まあいいよ、酒と肉も用意した。突然訪ったってそんなに気が引けることもないよ」
張飛はいつの間に用意したのか、酒瓶と包みをぶら下げている。
「こういうことには抜け目がないな。よし、では行こう」
日が暮れ始めている。もう戻っていてもおかしくない時間だろうと思い、関羽は歩き始めた。戻っていなくとも待つつもりだ。
家が見え始めた時、人気があることに関羽は気づいた。あの人かどうか、とにかく誰もいないわけではなさそうだ。張飛も気づいているようだ。
家の前まで来た時、ちょうど扉が開き、籠を持った青年が出てきた。
「あんたたちは...」
「この前の商隊の護衛の仕事で一緒した者です。私は関羽、こちらは弟分の張飛です」
張飛がゆっくりと深々と頭を下げて挨拶をした。普段は乱暴者のような振る舞いの張飛だが、意外に礼儀正しいところがある、と関羽はあらためて思った。
「ああ!あの時の二人か。あの仕事はほとんどあんたたち二人の働きのおかげだ。惚れ惚れした!」
「あれくらいのこと、準備運動にもなりゃしなかったよ」
「張飛、この方の指揮があってのものだったのだぞ」
「そりゃわかっちゃいるさ」
関羽が張飛をたしなめるように言った。
「いやいや、あれはあんたたちの武勇があってはじめて成り立ったようなものだ」
「いえ。そんなことよりも、今日は実はお聞きしたいことがあって訪ねて参った次第です」
「聞きたいこと?」
「聞いてよいものか迷ったのですが...」
ここまできてまたか、と張飛は思い心の中で小さく舌打ちをした。関羽はうつむいて話しづらそうにしている。
「あの仕事が終わった時、これからも商隊を指揮してくれないかと誘われたのを断っていたでしょ?その理由が知りたいんですよ」
関羽が焦ったいので張飛は単刀直入に聞いた。
「またお前は軽々しく!」
「ああ、そのことか。俺には他に思いがあってね。今は誰にも雇われたくないんだよ」
「他の思いとは?」
「人に話すようなもんでもないさ」
青年は籠を扉の横に置こうといた。
「あ、それがしが」
関羽は籠を半ば強引に受け取り、扉の横のいつも置いているであろう場所へ置いた。
それを張飛が少し驚いて見ていた。張飛には自尊心の高い関羽がかしずいているように見えたからだ。
「なんのお仕事をされておるのですか?」
「筵を売っているのさ」
「筵...」
「お袋がおっていてね、それを俺が売ってくるのさ。まあ生活の足しにはなかなかならんがね」
確かにこれを売ったところで二人で暮らすのは苦しいだろう。
「ところで、あんたの名前を聞いてもよろしいですか?」張飛が尋ねた。
「失礼した。私は劉備と申す。見ての通りただの貧乏浪人さ、はっはは」
「劉備、どの……」関羽が心に刻みつけるように呟いた。
「劉備殿、話したくはない思い、我らに話してもらえまいか?オレも関の兄貴もあれ以来あんたのことが気になってこうやって訪ってきたんだ」
「話すと思いは叶わぬものになりそうだからな。それにきっと笑われるだけだ、分かってはもらえまい」
「話もせずにわかるものか。それに俺は笑わないぜ。聞いてもいないがあんたが真剣に話すことなら笑うわけないさ!」
「張飛の言う通りです!我らは劉備殿のことが知りたいのだ!あれ以来気になってこの町も離れられなかった。今日は思い切って会いに来ました。ご迷惑と思い踏ん切りがつかなかったが、張飛が聞いてみなければわからん、と言うし、その通りと思い来たのです!劉備殿の思い、我らに話してくださらんか!?」
「熱意は伝わってくるが日も暮れてきた。また明日にせんかね?」
「酒と肉も持って来た。今日は是が非でも聞きたいと思って来た。飲みながらお聞かせくだされい」
「酒と肉は張飛が気を利かせたのです。それは気になさらず今宵じっくりと語り合いとうござる!」
関羽はいつになく熱っぽい自分を感じていたが、ここは引けないという思いだった。
「ふぅ、仕方がない。追い返せそうにもない勢いだ。まずは上がられよ。近所にも迷惑になる。今日のところは酒と肉に釣られておくことにしよう。ただ、むさ苦しいところだがね」
「なんの!野宿も気にせぬ我らです。それよりお話ができるだけでありがたい!おい、張飛!すぐに支度してくれ!」
「おうよ!」
「いや悪いね張飛殿、家の中のものは好きに使ってくれい。」
関羽は来てよかった、という安堵の思いと、この劉備という青年がどんな思いを抱え、何を語るのか、それを受け自分がどう感じるのか、少し高揚している自分に戸惑いながらも、期待の方が大きかった。
調理場ではすでに張飛がてきぱきと支度を進めていた。
「いや、お袋の分までかたじけない」
「気にせんでください、こっちが勝手に押しかけて来て手ぶらも失礼でしょう。ご母堂がおられるとは聞いておりましたので当たり前です。」
張飛はちゃんと四人分を用意していた。実際は繊細なところがあるのだなと関羽はあらためて思い見直した。
劉備も干し肉を用意してくれ、思っていた以上のちょっとした宴会のようになった。
中に入ってみると贅沢をしているわけではないが貧乏というわけでもない。だが筵を売って成り立つほどの生活ではない、本当に何者だ?と関羽は不思議に思った。
「村の人が何くれとなく面倒見てくれてな、いろいろ持ってきてくれるのさ、おかげで不自由はあまりないよ」
関羽の気持ちを見透かすように劉備が言った。
「筵を売る以外にも何かしておられるのですか?」
「軍学などを教えたりもする。だがこれもあまり金を取るわけにもいかんので、用心棒のようなことをやっている」
「この前のような募集に応じるわけですか?」
「それもあるし、村人が困り事で相談に来た時に応えてやったりな、まあこれもあまり金にはならんからもっぱら前回のような仕事で生活をささえているよ」
なるほど、商隊の護衛をしつつ自警団のようなこともしているということか、と関羽は整理した。任侠親分のようなものだ。
「さて劉備殿、あんたの思い、聞かせてくれまいか?」
「おい張飛!お前は単刀直入過ぎるぞ」
「兄貴に任せておくと聞きたいことも聞けずに終わりそうだから代わりに言ってるんだよ」
「ははっ、本当の兄弟より仲が良い感じだな」
「いやいや、手を焼かされてます」
親のような言い方に自分も気づき、照れ臭くなってしまい椀の酒を一気に煽った。酒も入り、関羽はいくぶん気持ちが落ち着いて来た。また劉備が気さくな人柄で緊張がほぐされるようだった。何か包み込んでくるような懐の深さも感じた。
「俺たちは腕っぷしには自信がある。この乱世、腕に覚えがあればいくらでも栄達を望めると思っている。だがそれだけでなんとかなるとも思っちゃいない。兄貴も同じだ。俺たちは誰か、この人は、という人について行きたいんだ。」
張飛が一気に本題へ持っていった。直球過ぎると言ってきたものの、聞きたいことをまっすぐにぶつける張飛が頼もしくも思えた。
「先だっての仕事で劉備殿の差配に我らは感心した。それよりもその後の報奨の配分の公平さにもっと感心した。しかも士官を断った。張飛も同じく、それがしはこの人は付いていくに足る人ではないか、と感じたのです」ここは張飛の補足をすればいいのだと思い、関羽は張飛に任せることにした。
「なに、それはさっきも言ったがまだ雇われの身になりたくないだけよ」
「ほかに思いがあるというやつか。俺たちだってつまらんやつについていく気はない。それなりの気概を持っててほしいさ。俺も兄貴もあんたがそういう人なんじゃないかと思って今日来たわけだ。それをぜひ聞かせて欲しいんだ」
張飛の思いは真っ直ぐだった。それは関羽も同じだ。劉備は椀に残った酒をゆっくりと煽り、椀を置いてから一息吐いて語り始めた。
「俺は、俺が成したいことは天下太平だ」
関羽も張飛も、劉備が何を言ったのかわからないという顔になった。互いに顔を見合わせ、聞き間違ってないよな、という表情になった。「天下太平」?それができるのは天子だけだろう、と。この人は天子になりたいのか?二人とも椀を口に運ぶのも忘れ、劉備の顔を見て次の言葉を待っていた。
「今の世の中は乱れに乱れきっている。だからこそ成り上がることもできる」
乱世に乗じて功を成したいだけかと、関羽は少しがっかりした気持ちになった。
「今は皆そう考えているだろう。だがそういう連中は『漢』という国に忠節を尽くしていない。成り上がるのは結構。だがそれは自分のためでもあるが『漢』のため、ひいては民のための結果でなければならない。」
「自分の栄達のためではないと?」
自身の利益よりも民草のことを考えているのか、張飛が聞く。
「そりゃまあ、立身出世はしたい、貧乏するよりはいい。今の世の中、誰もがそう思っているだろ。だが『漢』はもう終わりだといい黄巾賊のような振る舞いが許されるのか?力をつけ好きなことをする、それは秩序を乱すことだと思わんか?」
「だがそれが今の世の中だろ?各地に力を持った豪族出の奴らが『漢』の名を利用して好き勝手やっている」
張飛はあえて劉備を挑発するような言い方をしている。
「そういうのが嫌なんだよ、俺は。『漢』という名のもとにあるのが世の中だと思っている。世の秩序を乱して民草を苦しめて自分たちだけ栄達する、そんなことは許せんのだ」
「だがその『漢』が情けないので今の世の中になっているんだろ?『漢』のもとで何ができるんだ?」
張飛は核心をついている。まだ飲み始めたばかりなのに関羽はすでに一斗も飲んだような気分になった。
「情けないのは仕えている連中だ。天子を支えるだけの力がないから世を乱しているんだろ。俺は『漢』の名の下、それを正して、世の中を平穏にしたいんだ!みんな楽しく美味い酒を飲める方がいいだろ?ま、結果栄達もついてくればなおいいがね、はっはは」
劉備は正直に話してくれていると感じた。意外と感情的な人物かもしれない。落ち着きがあるのだが、熱い思いがあり、国を思い、何より民を思っているが野心もある。関羽は惹き込まれ始めていた。
「それができりゃ苦労はない。あんた『漢』の宰相になりたいのか?」
「いや、そんな大げさなことは知らん。ただ民草に平穏な暮らしをもたらす集団の、俺はその親分でいたい。義侠心というやつさ」
「おもしろい!」
関羽が椀の酒を一息で飲み干し、大きな音を立てて椀を床に置いた。
「天下太平を望む義侠の人か!我らもその志に乗らせてくださらんから!?そうだろ張飛?」
「確かに。こんな大ボラ酒を飲んでいても言えまい。だがこの人は本当に思っているようだ。県令や刺史くらいを望んでいるのかと思っていたら、天下太平ときた。こんなにわくわくする話もあるまい!」
「笑わないのか?こんな片田舎の浪人風情が何を大言壮語をと?俺はこんな話を人に語るとただ笑われるだけだと思っていたし、また心に秘めているだけで軽々と語るものでもないと思っていた。」
「笑いません!ここまでの大志を抱いている人にはお会いしたことがない。今日から私と張飛をぜひ傘下に加えていただけませんか?」
関羽は無意識のうちにそう頼んでいた。張飛になんの相談もなく言っていたが、ちらりと見ると張飛も同じ気持ちのような顔をして劉備を見ている。
「傘下になど、俺は今はたった一人。兵を養っているわけでもないただの浪人だ。そんな男の傘下に加わったとて、苦労しかない。あんたたちほどの腕があればもっと力を持った者がいい条件で迎え入れてくれると思うが?」
「ご迷惑ですか?」
「いや、迷惑など。俺なんかでいいのか、ってことだよ。ただの任侠男だぞ」
「大将がそんな弱気じゃ困るぜ。これからじゃないか、今日これから始めるんだ!」
「張飛の言う通りです!」
関羽が劉備の空になった椀に酒を注ぎ、ついで張飛の椀、自分の椀に注いだ。
「今日はこれを飲んで帰ります。だがこれは我ら三人の門出を祝う酒だ。劉備殿を大将に、私と張飛が劉備殿の最初の家臣となった日を記す酒です」
三人で椀を軽く当てて、一気に飲み干した。
「劉備殿、明日また二人で来ます。これからのことを話し合い、進むべき道のための準備をいたしましょう」
「俺の話を聞いても笑わず、そこまで言うてくれるか。あんたたちは気持ちのいい人物だ。俺もあんたたちが気に入った!あんたたちとは家臣というより兄弟に近い関係がいい。どうだ、この酒は俺たちが義兄弟となった証にしないか?」
「そりゃあいい!劉備殿が長兄、関の兄貴が次兄、俺が末弟だな!」
「義兄弟か。いいことを言う張飛。劉備殿、よろしいか?」
「茨の道をあえて歩むと言うてくれるのに、否やはない」
「では決まりだ!では明日、またあらためて参ります!」
話を聞くだけのつもりが、主君に出会うことになった。悪くはない。そういう人に出会えたのだ。張飛も嬉しそうだ。訪ったのは間違いではなかったと、今は思えた。帰りの道すがら、急に酔いが回ってきたのか、身体が熱く感じた。夜風が気持ちよく感じられた。