第28話 それぞれの時間 (2)
書庫。
いくつもの書棚が立ち並び、本の匂いが部屋中に漂う。
書庫に出入りする人間は少ないからか、今はゼインの貸し切り状態だった。
「こんなにあるのか!宝の山じゃん!」
受付にいた司書によると、書庫から二冊までは貸し出しが許可されているらしい。
ゼインは集めた本の中から、どの本を借りようかと吟味していると、突然視界に男の顔が現れた。
「ねえ、聞いてる?」
「うわっ!びっくりした!」
ゼインは思わず椅子から転げ落ちそうになる。
誰かと思って顔をよく見ると、レイムの弟だった。
「さっきから声掛けてたんだけど」
「あ、ごめん。本に夢中になってたから。えーっと、ハクト?さん?」
「合ってる。ハクトでいいよ。堅苦しいの嫌いだから。兄さんに君に稽古をつけて来いって言われたから来たんだけど」
「え、今忙しいから無理」
「…ここまで清々しく断られるの初めてだ」
ハクトはどうするか思案すると、ゼインの横に座り、机に突っ伏した。
「じゃあ、稽古したことにしていいかな。暫くここで身を隠すから」
やっぱりレイムと違う雰囲気だ。レイムは貴族と言われても違和感はなかった。
でも、ハクトはどちらかというと、こちら側というか…レイムより話しやすい気がする。
「あんた、変わってるな。王子様なのに」
「いつかは兄さんがこの国の王になるし、俺は気楽に暮らしてるだけだよ。兄さんは俺にあれしろこれしろ言ってくるけど、面倒くさいんだよね」
ゼインは本に夢中で心ここにあらずだった。
「ふーん」
「話振ったくせに、聞いてないのか…」
「ふーん」
ハクトはゼインが積んだ本からいくつか取り、パラパラと捲る。
つまらなくなったのか、ハクトは立ち上がる。
「じゃあ、俺行くから。兄さんが来たら話し合わせておいてよ」
「ん?ああ、分かってないけど分かった」
「ちゃんと頼むよ。バレたら怒られるの俺達なんだから」
「分かってるよ」
「兄さんから頼まれてるんでしょ?ホムラの警護もちゃんとしてよ」
ゼインはハクトの言葉を反芻する。
ホムラの警護?
警護…。
「ハッ!忘れてた」
◆
二人の笑い声が部屋に響き渡る。
「そうなんです!ゼインは研究のことになると目がなくて。いつも僕が起こしてるんですよ」
「ふふっ、ゼイン様もそんな一面があるのね」
ゼインの話題が落ち着くと、ホムラは別の話を切り出した。
「そういえば、ログはなんで自分のことを僕って言うの?」
「僕の両親は男の子が欲しかったらしいんです。だから、せめてと男のように振る舞っていた癖が抜けなくて」
「…そうなの。ごめんなさい。辛い話をさせてしまったわね」
空気が重くなったことを察し、ログは慌てて補足する。
「いえ!もう昔のことだと割り切ってるので大丈夫です!今はゼインもシリルもいるから寂しくないですし」
「皆、色々あるのね。そう思うと少し楽になるわ」
「それは、どういう…」
「私は自分の力を恨んできた。こんな力なければよかったのにって。そうすればお兄様達に迷惑をかけることもなく、ただ楽しく一緒に過ごせたのにって」
誰よりもホムラが忌み嫌ってるのかもしれない。自分をこんな場所に閉じ込め、周りに影響を与えてしまう力を。
「ってごめんなさい、変な話しちゃったわね!」
「今度はシリルのことを知りたいわ。何が好きで、何が嫌いで何を見てきたか、何をしたいか。いいかしら?」
「任せるニャ!」
夢中になって話していると、チェイズがホムラに耳打ちをする。
「ホムラ様、そろそろお時間が…」
壁時計を見ると、もう十八時を過ぎていた。
窓がないから時間の経過に気がつかなかった。
「まあ、もうこんな時間!たくさんお喋りできて楽しかったわ」
「僕もです」
「…明日も来てくれる?」
ホムラは不安そうにログを見る。
「もちろんです!」
ログは安心させるように笑顔で答える。
それを見て、ホムラもにこやかに笑い返した。
自分達の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、ちょうどゼインと鉢合わせする。
「うわっ!」
「びっくりした。どこ行くんだ?ここの姫さんのとこに行ってたんじゃないのか?」
「もう時間も遅いから。また明日行くけど」
「そうか、じゃあ俺も明日一緒に行くよ」
「ゼイン、どうせずっと書庫にいたんでしょ」
「あそこは凄いぞ。ずっといたいくらいだ」
ゼインの手には二冊の本があった。
書庫から借りてきたらしい。
夕食後、ゼインは夜遅くまで静かに本を読み耽っていた。
◆
翌日、約束通りホムラの部屋を訪れるログ。今回はゼインも一緒だった。
書庫から借りた本も持ってきている。
警護する気があるのかとも思ったが、ここの警備体制を見ていると、ホムラが危険な目に遭うことはないように感じる。
「ゼ、ゼイン様!?」
ホムラは湯気が出るほど顔が赤くなっている。ゼインなんかにそんなに緊張することもないのに。
「レイムさんからホムラさんの警護を頼まれました。ログと一緒にここにいてもいいですか?」
「も、もちろんですわ!よろしくお願いします!どうぞ、私のことはホムラとお呼びください」
一国の姫といえど、緊張した面持ちで話す姿を見ると応援したくなる。
ホムラは軽く咳払いをすると、丁寧にお辞儀をする。
「ゼイン様、先日は腕の傷を治していただいてありがとうございました」
「あー、いいよ。別に大したことしてないし」
昨日と同様チェイズが紅茶を淹れてくれたので、皆でテーブルを囲む。
「ゼ、ゼイン様は、その、研究がお好きだとか…」
「あ、まあ、そうだけど」
「よかったら研究のお話をお伺いしたいのですが…」
ホムラの言葉にゼインは嬉しそうに話を始める。
昨日書庫で読んだ本で得た内容は自分で既に調べて知っていたとか、ある魔物が同じ木の実ばかり食べていた理由が分かったとか。
最初は楽しそうに聞いていたホムラもあまりに長く専門的な話の連続に放心状態になっている。
ホムラの大きな瞳が今では点になってしまっている。
だが、話を遮るとゼインは不機嫌になってしまう。
最後まで話をしてもらった方が丸く収まる。そう思っていたが、予想よりも話が止まらない。
今の話が終わっても、まだ話を続きそうなら、ゼインの機嫌が悪くなったとしても止めに入ろう。
そう思っていたとき、部屋にハクトが姿を現した。
「探したよ」
「あ、ごめん」
ようやくゼインの話が途切れたと胸を撫で下ろす。
何故ハクトがここに来たのかと思ったが、そういえばゼインに稽古をつけるという話をしていた。
しかし、ハクトはゼインを連れ出すどころか自分もテーブルに着席をした。
稽古をつけに来たわけじゃないのか?
チェイズがハクトの分も紅茶を用意する。
ハクトが来たことで、ホムラは少し落ち着きを取り戻したように見えた。
暫く四人で世間話をしていると、レイムが勢いよく部屋に入ってきた。
「ハクト!ゼイン!」
「げっ、兄さん」
「何をしている!稽古してないじゃないか!ほら、行くぞ!」
レイムはゼインとハクトを掴むと、部屋の外へと連れ出して行った。
一瞬の出来事に圧倒される。
賑やかな雰囲気から一転して静けさが広がる。
だが、この機を待っていたかのように、ホムラはログの手を取る。
「ねえ、ログ!私、今日はあなたとしたいことがあるの!」
嬉しそうに笑うホムラをログは不思議そうに見つめる。




