6.私たちの異文化交流
「……本当に、魔導具がお好きですね」
「仕方ないだろう。生まれて初めて見たのだから」
手合わせを終えて汗を拭いていると、ギルディス様がまた私の手を取った。最近、毎日のようにこうして眺めている。よほど気になるらしい。
「テルミナの人間族は、本当に面白いものを作るのだな。これを山ほど作ることができれば、最強の軍隊を生み出せそうだ」
「ところが、そう簡単な話でもないんです」
メルティンが用意してくれていたピッチャーの中身を、二つのグラスに注ぐ。中身は、レモンの輪切りを浮かべた冷たい湧き水だ。
グラスの片方をギルディス様に渡し、もう片方に口をつけながら、考え考え答えていく。
「魔法を使うという妖精族とは異なり、私たち人間族は魔法を使うことはできません。けれど魔法と似たような力を、物にこめることができます。それが、魔導具です」
「人間族であれば、みな魔導具を作れるということか?」
興味を少しも隠さずに、ギルディス様が尋ねてくる。何だか子どもみたいだ。
「一応は。ただ、一人前の魔導具職人になるには、最低でも十年ほどみっちりと修行する必要があるんです。しかもそこまで努力しても、生まれ持った素質がなければ大したものを作れませんし」
「なるほど、武術と似ているかもしれないな。だが、もっと困難そうだ」
「ええ、そうなんです。そんなこともあって、職人の数が少なくて……しかも熟練の職人ほど、手の込んだものを作ろうとするんです」
「それはそうだろうな。己の力を試してみたいと思うのは当然のことだ」
ギルディス様はすっかり、話にのめり込んでいる。
人間族の魔導具と、獣人族の武術。それらはまるで違うものだけれど、それぞれが得意とし、長年に渡って技を磨いてきたものではある。そんなこともあって、彼はそれらを重ね合わせて見ているらしい。
「ただそうやって強い力を有することになった魔導具は、どうにも癖の強いものになってしまうんですよね」
そう説明して、手首にはめられている銀色の輪に触れる。
「……私が今身につけているこの魔導具ですが、素晴らしい腕を持つと評判の職人が全身全霊をもって作り上げた結果、誰も起動できない代物に成り果てました」
ちなみに、作った本人は「これぞ我が最高傑作、悔いなし」と言っていたのだと言い伝えられている。使えない傑作って。
「コリン家の宝物庫で数十年眠っていたこれを、たまたま私が起動させることに成功したんです。他の人はやはり使えなかったので、そのまま私がもらいました」
最初にこの魔導具に目をつけたのは、マナだった。装飾品としても十分に美しいこれを、彼女は宝物庫から勝手に持ち出して、身につけていたのだった。
そこをコリン公爵に見つかり、雷を落とされた。そしてそこに居合わせた私は、この魔導具を宝物庫に戻すよう公爵に頼まれたのだ。
で、私が魔導具を手にしたとたん、いきなり起動して……あのときの騒動は、今でも思い出すだけで苦笑が浮かんでしまう。
「そう言われると、俺も魔導具に挑んでみたくなったな」
そんなギルディス様の言葉に、ふといたずら心がわき起こった。
「……触ってみます? それともいっそ、身につけてみるとか」
「できるのか!?」
私の提案に、ギルディス様がぱあっと顔を輝かせる。わっ、すごい喜びようだ。
「ええ。少しだけ、待っていてくださいね」
そう答えて、両手の魔導具を外す。繊細な模様が彫り込まれた金属の板をつないだこれは、つなぎ目で自由に外したりくっつけたりできる。こうすることで、大きさを調整できるのだ。
ぱちんぱちんとつないでいって、元よりも大きな輪をこしらえた。
「それでは、はめてみますね」
そう言って、ギルディス様の右手首に魔導具の輪っかをはめる。
「さすがに、何も起こらないか。いや……気のせいか、やけに右腕が温かく……」
「あ」
「うわっ! 何だこれは!」
ギルディス様の手首にはまった魔導具が、淡く光っていた。間違いない、起動している。彼の指先からひじの辺りまでを順につついて魔法の障壁を確認しつつ、説明を続ける。
「……魔導具、起動しちゃってますね……これ、かなり癖があるのに……使い手が見つからずに、数十年もお蔵入りするような品なのに……」
呆然とする私をよそに、ギルディス様は目を真ん丸にして自分の腕を眺めていた。
「何だか、不思議な感覚だな。肌の上に、雲の塊が触れているような……」
「それが、魔法の障壁なんです。これを鈍器代わりにして殴りかかってもよし、逆にこれで攻撃を防いでもよし」
「前に、俺の一撃を受け止めたあれだな」
「ええ、あれです。あのときは、両手の障壁を重ねることでどうにかしのぎました」
そんなことを話している間も、ギルディス様は頬をほんのり染めて、魔導具に見入っていた。……こんなに気に入っていて、しかも起動できるというのなら、貸してあげてもいいのかも。
「ギルディス様、よければこれ、少しお貸ししましょうか?」
しかし予想に反して、彼はぶんぶんと首を横に振る。
「いや、いい。これはお前が持っていろ」
彼はにっと笑って、言葉を続けた。
「これは、お前が身を守るためになくてはならないものだ。お前の身のこなしは見事だが、筋力は俺たち獣人族には遥か及ばない」
魔導具のはまっていない私の腕に、彼は優しく触れる。まるで、壊れ物を扱っているかのように。
「たまにでいいから、また触らせてくれ。それで十分だ」
そう言った彼の笑顔は、とてもまっすぐで、温かなものだった。つい、見とれてしまうくらいに。
朝、急ぎの書類を一緒に片付ける。それから手合わせをして、昼食後一休み。あとは夕食まで、ひたすら書類仕事。私たちは最近、そんな風に日々を過ごしていた。
彼は王子として、ここミルファの一部を自分の領地として統治している。これがミルファの伝統らしい。
いきなり王となり国全体を治めるのではなく、こうやって少しずつ統治の練習を積むのだ。
「……というのは建前で、執務を分散しないと王に負荷がかかり過ぎる、というのが本音のところだな」
昼食をとってくつろいでいる間に山積みになった書類を眺めながら、ギルディス様が疲れたようにつぶやく。
「ミルファは、そのほとんどが獣人族で構成された国だ。自然と『力こそ全て』という考えがはびこってくる」
獣人族は生まれつき、強い肉体を持つ。そして、自らの肉体に誇りを持っている。それは、こちらに来てよく分かった。
おっとりと穏やかで友好的な執事イリアエですら、手合わせに引きずり込んだら予想外の大暴れを見せていたから。馬の獣人族、蹴りが強すぎる……。
ちなみにメルティンは時々、自主的に手合わせに参加してくる。こちらは楽しげに笑いながらの猛攻がとっても怖い。狼の獣人族だけあって、全身を使って跳びかかってくるのだ。
「そのせいで、内乱やら小競り合いやら、大小様々な争いごとには事欠かない」
「……何だか、分かるような気もします……」
「俺もこの城に引きこもって執務に励んでいるが、それでもたまに、奇襲をしかけてくる者もいるからな」
「奇襲、ですか!?」
「落ち着け。王子の力を試しにくるだけだ。大したことはないし、メルティンが嬉々として叩きのめしてくれているから問題ない。あれはメイドより、兵士に向いている」
王子の住む城に奇襲、という物騒かつ無謀極まりない言葉に、思わず立ち上がってしまう。
「もしかして、私が嫁いできたとき、『城の中はまあまあ安全だから自由に過ごせ』っておっしゃたのは……」
「うかつに外に出れば、そういった連中と鉢合わせないとも限らない。政略結婚で迎えた妻ではあるが、危険にさらすのは趣味ではないからな」
視線をそらして、ギルディス様が不機嫌そうにつぶやく。最初に会ったときの表情と似ているけれど、こちらを拒むような、そんな色はない。
「……お優しいんですね」
彼の言葉が嬉しくて、微笑みながらそっとささやく。彼は真っ赤になって、勢いよくこちらに向き直った。
「べ、別に、当然の気づかいだろう! それに今はもう、政略結婚だとは思っていないからな!」
政略結婚だとは思っていない。それって、つまり。
あの決闘を始まりとして、彼とは少しずつ打ち解けてきた。その努力が、ようやく実ったのかもしれない。
「……ありがとうございます」
短くそう答えて、ぐっと唇を噛む。目元が熱い。これ以上喋ったら、泣いてしまいそうだ。
「お、おい、なぜ泣く!? 俺が何かしただろうか!?」
そうやっておろおろしているギルディス様を見ているうちに、今度は笑みが浮かんできた。その拍子に転げ落ちた涙を、すぐ近くまで来ていたギルディス様がさっと拭ってくれた。
「全く、泣きそうならきちんと言え。焦ったぞ」
「ふふ、ご迷惑をおかけしました」
そんなやり取りをしながら、胸がぽかぽかと温かくなっているのを感じていた。