41.番外編・そのころの二人
「シャイア、愛らしい花だね」
「下痢の薬になるわ」
「ほらシャイア、きれいな色の石が落ちているよ」
「あれ、毒だから」
「見かけない鳥がいるね、君は知っているかい?」
「人の髪をむしって巣にする鳥。気をつけて……遅かったみたいね」
明るい森の中を、レンディスとシャイアが連れ立って歩いていた。二人はダリス王から命じられた勝負の一環として、こうして森にやってきていたのだ。
レンディスのつややかな髪を数本引っこ抜いて飛び去っていく鳥を見送って、シャイアがため息をつく。
「……どう考えても、私とここに来る意味、なかったと思う……」
「そんなことはないよ。君たち妖精族は、獣人族や人間族が暮らせない深い森の奥や高い山で平然と暮らしているだろう。その知識と知恵は、きっと今後の統治に生かせる」
「そもそも私、まだあなたのつがいになるって言ってない。王様の命令に従う必要なんてない。……どちらが勝とうと、関係ないもの」
「でも、僕のお願いは聞いてくれただろう? 僕の領地にある、手つかずの深い森。そこを、一緒に探索してほしいっていう」
レンディスの指摘に、シャイアが言葉に詰まる。
「僕は、一目で君に夢中になった。しなやかな姿、凛とした態度、自らよりも樹木をいたわるその姿勢、全てが新鮮で、僕の心をひきつける」
「……そういうの、妖精族では別に珍しくない」
突然口説き始めたレンディスを、シャイアはぴしゃりとはねつけた。口調こそいつも通りにそっけないものの、その視線はほんの少しさまよっている。この姿をギルディスやラーライラが見たなら、照れているのだとすぐに判断しただろう。
二人が出会ってからというもの、レンディスはシャイアに対して、ことあるごとに称賛の言葉を惜しみなく投げかけている。
最初のうち、彼女は彼のことをうさんくさそうな目で見ていた。やがて、彼は無害らしいと考えるようになった。そして最近では、彼の言葉に動揺するようになっていた。
元々彼女は表情にとぼしいほうなので、はっきりと顔に現れてはいなかったが。
しかしレンディスは、彼女のそんな変化をきちんと見抜いていた。そうしてより熱烈に、彼女に声をかけ続けていたのだった。
とはいえ、中々甘い雰囲気になりそうもなかった。彼の甘く優しい言葉は、いつも彼女のそっけない返事でかき消されていたから。
レンディスは我慢強い性格で、不平不満を顔に出すことはめったにない。しかしそんな彼でも、心の中で思わずにはいられなかった。ギルがうらやましいな、と。
「……何、考えてるの?」
考え込んでしまったレンディスの顔を、シャイアがのぞきこむ。顔の意外な近さに内心どきりとしながら、彼はさわやかに笑った。
「君がきれいだなって、そう思ってたんだ」
「……本当、口が軽いね。ギルディスは普通なのに」
しかしシャイアのその言葉が、レンディスの笑顔にひびを入れる。
「……君は、僕がギルみたいだったらよかったって、そう思う?」
突然態度が変わったレンディスを、シャイアは目を丸くして見つめていた。
「……僕も、たまにそう思う」
「ど、どうして? レンディスはレンディスで、それでいいのに」
彼の言葉が完全に予想外だったのだろう、シャイアの無愛想な仮面にも、やはりひびが入っていた。
それを聞いたレンディスが、ふっと切なげに微笑む。
「ありがとう。でもね……僕はギルほど強くない。かつて彼は逆風の中、たった一人で立っていた」
そうして彼は、どこか遠くを見るような目をした。
「きっとあれは、強がりでもあったんだと思う。でも僕だったら、あそこまで強がれない。さっさとお腹を見せて降参して、王子の座も何もかも投げ出していたよ。平穏な暮らしを得るために、ね」
シャイアは、何も言わない。ただ彼を気づかうような表情で、じっと立ちつくしていた。しかしふと、身を震わせる。
「……この感じ……逃げないと!」
彼女の言葉と同時に、森の奥からゆっくりと大きな狼が姿を現す。獣人族ではなく、真の獣だ。
「深緑の狼!? 初めて見たな……」
そしてレンディスも我に返ったような顔で、狼をじっと見つめている。
「あの狼、人里には出てこない。普通の狼より凶暴。早くここを離れないと、囲まれるわ」
珍しくも焦った様子のシャイアに、レンディスが真剣な顔でうなずいた。狼をにらみつけながら、距離を取るためにじりじりと後ずさる。
しかしそのとき、シャイアが小さく声を上げた。二人はいつの間にか、深緑の狼の群れに囲まれてしまっていたのだ。
妖精族は、争いを好まない。だから、狼や熊と出くわしても、魔法を駆使してさっさと逃げている。
しかしこの狼たちは、それは執念深く追ってくるのだ。妖精族が戦う数少ない相手、それがこの緑狼だった。
集団で獲物を取り囲み、四方八方から入れ代わり立ち代わり襲いかかることで獲物をしとめる、そんな狼たちをどうにかするには、飛んで逃げるか、あるいはどこかの一角を切り崩して突破するしかなかった。
「シャイア、僕の背に!」
そう叫んだかと思うと、レンディスの姿が変わる。柔和な青年から、雄々しい大鹿の姿へと。彼は正面の狼をにらみつけながら身をかがめ、背に乗るようにとシャイアに視線だけでうながした。
彼女はためらいつつも、彼の背によじ登り、首にしがみついた。そして、目を見張る。
「え……?」
とまどいの声が、シャイアの唇からもれる。二人を取り囲んでいる深緑の狼たちは、襲いかかってくることはなかった。
先ほどまで威勢のいいうなり声をあげていたのが嘘のように、身を伏せてしまっている。その太い尾がゆっくりと下がり、後ろ足の間に入り込んでいく。
レンディスは、やはり身じろぎ一つしない。声を上げるでもなく、立派な角を振り立てるでもない。しかしその優美な姿からは、言いようのない威圧感がただよっていた。
シャイアを、守りたい。今の彼の頭にあるのは、それだけだった。その思いがそのまま気迫となって、彼の体からほとばしっているようだった。
やがてじりじりと、狼たちが下がっていく。レンディスとシャイアを囲む輪が、どんどん広がっていく。
そして狼たちは、ばらばらと駆け去っていった。茂みをかきわける音がしばらく続いていたけれど、やがてそれらの音も聞こえなくなった。
「緑狼が、何もせずに、引き下がった……信じられない……」
静まり返った森の中に、シャイアの小さな声がする。と、大きな鹿の姿がふっとかき消えた。ふわりと落ちるシャイアの体を、人の姿になったレンディスがしっかりと抱きとめる。
「無事に君を守れて、ほっとしたよ。最悪、あの姿で戦うしかないかなとも思っていたのだけれど……そうすると、また木を傷つけて君に嫌われかねないし」
「ううん、そんなことはなかった。わたしたち妖精族も、あの緑狼とは戦う。そうしないと食べられてしまうから」
彼女の説明を聞いて、レンディスは心底ほっとした顔になる。
「そうか……本当に、よかった……かなり、緊張したけれど……」
「それはそうと、いつまでも抱きかかえていないで、下ろして」
シャイアのそんな主張に、レンディスがちょっぴり残念そうな顔をしながらも、彼女をすっと地面に下ろした。
彼女はほっと息を吐きつつ、ぐるりと辺りを見渡す。と、あるものが目についたようだった。
「あの実、とても甘いのよ」
そう言った次の瞬間、シャイアのほっそりとした体がふわりと浮き上がる。そうして、高い枝の先についていた実をもぎとって戻ってくる。
「さっき守ってくれた、お礼。レンディス、敵から逃げなかった。強い。偉い」
彼女の片手にすっぽり収まるほどの大きさの赤い実を差し出して、シャイアはかすかに微笑んだ。
「……でも……わたし、自分一人だけなら飛べるから……守ってもらわなくても大丈夫だったけど」
そうして、照れ隠しのように付け加える。
「……翼が、生えているみたいだった……」
しかしレンディスの耳には、彼女の言葉が届いていないようだった。目をきらきらと輝かせて、シャイアの手もろとも赤い実をにぎりしめている。
「あの石舞台で、君はラーライラをギルディスのところに飛ばし、それから自分も飛んできたって聞いてはいるんだけど……いかんせん、サータ侯爵軍に気を取られていて、はっきり確認する余裕がなかったんだ」
いつもよりちょっと早口に、そんなことをまくしたてている。
「君はこんなにも、華麗に飛ぶことができるんだね! まるで、空を泳いでいるようだった!」
感嘆のため息をついて、彼はシャイアに顔を近づけた。
「ああ、やっぱり僕は君から目が離せないよ……僕の伴侶は、君しかいないんだ」
「だから、まだ決めてないって言ってるでしょ」
両手をしっかりとつかまれてしまったシャイアは、もじもじしながらいつもの言葉を叩きつけた。しかしその頬は、手の中にある実と同じくらいに赤かった。
誰もやってこない深く明るい森の中、頬を赤く染めた二人は手を取り合い、そのままじっと向かい合っていたのだった。
ここで完結です。
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近日中に新連載を始める予定ですので、どうぞそちらもよろしくお願いいたします。




