39.王子たちは押しつけあう
「あ、父上。それに、母上も。よかった、来てくれたんですね」
レンディス様ののどかな声に、弾かれるように立ち上がる。
部屋の入り口に立っていたのは、豪華な服をまとった中年の男女だった。黒く長い髪と意志の強そうな金色の目をした男性と、白い髪に黒い目の気弱そうな女性。
で、レンディス様がああ言ったということは、このお二人はミルファの現王陛下と妃殿下で、ギルディス様とレンディス様のご両親だ。
「シャイア、ほら、あなたも立って」
「どうして?」
ぽけっとした顔で座ったままのシャイアに小声で言ったら、彼女は小首をかしげていた。
「ああ、構わない。彼女は妖精族なのだろう? 私たちの礼儀作法を知らなくて当然だ」
現王陛下が、にっこりと笑う。反射的に頭を下げて、自己紹介した。
「初めてお目にかかります、陛下、殿下。私はテルミナ王国ニュイ侯爵家の娘、ラーライラにございます。こちらの女性は、妖精族のシャイアです」
「ああ、君たちのことは聞いている。私はダリス、こちらは妻のティナン。気軽に名前で呼んでくれ。ラーライラ、ギルディスがとても世話になっているようだな」
「いえ、私のほうこそよくしてもらって……」
「世話になったどころか、彼女のおかげで俺は、誇りを手に入れることができたんです」
ダリス様と話していたら、ギルディス様が遠慮なく割り込んできた。彼は席を立ち、私の隣までやってくる。
「母上、俺が弱かったせいで、あなたには迷惑をかけてしまいました」
彼の堂々とした様子に、ティナン様が目を見張った。
ミルファの王妃は、子猫の王子を産んだことで肩身の狭い思いをするようになり、ついに王宮を離れて暮らすようになったと、そう聞いている。
レンディス様のさっきの口ぶりからすると、今日のこの話し合いに合わせて、ティナン様にも王宮に戻ってもらったとか、そういった感じなのだと思う。
「弱かろうが何だろうが、これが俺なんです。誰にけなされようが、そのことに変わりはありません」
ギルディス様は、朗々たる声でそう言い切った。思わず聞きほれずにはいられないくらい、立派な口調だった。
「どれだけ努力しても、変えられないものはある。でも誰かと手を取り合うことで、越えられない壁の向こうに行くことができる」
そうして彼は、私をそっと抱き寄せてくる。
「そんなことを、彼女に教えられました。彼女がいなければ、今の俺はありません」
一瞬こちらを見て、ギルディス様は微笑んだ。底抜けに優しく、甘く。
「父上、母上、人間族との縁組を認めてくれて、ありがとうございます」
そうして、二人一緒に頭を下げる。獣人族の王子が、人間族の娘を妻にする。そんな前例のないことを許してくれたのは、この二人なのだから。
と、ティナン様の震える声がした。
「ギルディス……立派になって……謝らなくてはならないのは、わたくしのほう。わたくしは誰も信じられなくなって、周囲の声に耳をふさいで逃げてしまった」
顔を上げると、彼女はうっすら涙ぐみながら、寄り添っている私たちをじっと見つめていた。
「でも、今のあなたたちを見ていたら分かったわ。わたくしも、もっとダリスを頼りにすればよかったのね。……それに、思い切って暴れてみればよかったのかもしれない」
黒い目にまだ涙を浮かべつつ、ティナン様は小さく笑ってみせた。はっきりと、私だけを見つめて。
「あ、あのときは、ギルディス様の立場をよくするために、仕方なく派手に暴れてみせただけで」
「ううん、ラーライラは楽しんでた」
とっさに弁明しようとしたら、シャイアが茶々を入れてきた。
「まあ、そうだったの。ラーライラは勇猛なのね。ギルディスにはお似合いだわ」
「そのうち一度、私も手合わせを頼みたいな。噂に聞く魔導具とやらの威力、この目で見てみたい」
ティナン様は嬉しそうに微笑み、ダリス様はちょっぴりわくわくしている。
見た目はあまり似ていないけれど、こうしているとこの二人は、ギルディス様とレンディス様のご両親なんだなと、実感できる。どことなく、雰囲気が似ているのだ。
それはそうとして、ついさっきまで陛下と妃殿下との面会の場になっていたはずなのに、今ではいつも通りのお喋りが飛びかっている。
「ああそうそう、父上と母上が来てくれたならちょうどいい。さっきの話の続きをしようか」
穏やかな表情で私たちのやり取りを眺めていたレンディス様が、突然そんなことを言った。すっと立ち上がり、今までに見たことのないくらいに真剣な表情をする。
「父上、母上。僕は王位を継ぐ気はありません。シャイアとともに、このミルファの地を富ませるための研究に生涯を捧げるつもりです」
彼はとんでもないことをさらりと言って、それからちらりとこちらを見た。
「それにギルは、民思いのいい王になります。断言します。彼はラーライラを通じ、テルミナの人間族とも友好的な関係を築いていけるでしょう」
いつもなら、シャイアが「わたし、まだあなたと一緒に行くって決めてない」とかなんとか言うところだろう。
しかし彼女も、何となくこの状況を察したのか、おとなしく口をつぐんでいた。
そしてその代わりとばかりに、ギルディス様が声を張り上げる。
「おいこらレン、勝手に宣言するな!」
ギルディス様はレンディス様にそう言ってから、またダリス様とティナン様に向き直った。
「俺も、王位は辞退します。俺は今の自分に誇りを持っていますが、人々の意識はそうやすやすと変わるものではありません。先日の戦いの記憶が薄れていけば、また俺をうとんじる者たちが出てこないとも限りません」
そこで小さく息を吸って、彼は胸を張る。
「レンであれば、少なくとも王本人が後ろ指をさされるようなことはありません。……それに、シャイアに振られて、獣人族を妻に迎える可能性もまだありますし」
「ちょっとギル、それはひどいよ!」
「別に俺は、事実をそのまま述べただけだ。だいたい、口ならお前のほうが立つ。さっきも、うまいこと俺に王位を押しつけようとしていただろう」
「仕方ないだろう、僕は研究がしたいんだ。王の執務に明け暮れていたら研究なんてできないし、調査のためにあちこち足を運ぶなんて、夢のまた夢になる」
「だが俺が王になったら、ほとぼりの冷めたころに反子猫派が再結成されかねないぞ。まあ、遠慮なく返り討ちにしてやるつもりではあるが。しかしそうなると、どうしても治安が悪くなって、民に迷惑がかかる」
二人はそう言って、一歩も退かない。
「……ふむ。つまり二人とも、次の王になる気はない、と」
そんな二人を見つめて、ダリス様がふとつぶやいた。
「しかも、どちらを次の王にするのがよいのかについて、決定打がない、か……」
ダリス様はそのまま、あごに手を当てて考え込んでしまった。隣のティナン様が、心配そうに見守っている。
「まあいい。私はまだしばらく引退するつもりはないからな。ティナンも戻ってきてくれたし、こうなったらじっくりと決めよう」
突然、ダリス様のそんな声が響き渡る。言い争っていた二人が、ばっと姿勢を正してダリス様に向き直った。
「レンディス、ギルディス。お前たちにはこれから、次の王としてふさわしいかを、その身をもって示してもらう」
その場の全員が、ダリス様の言葉に耳を傾けていた。
「領地を整備し、領民を富ませ、そしてミルファに貢献せよ」
……ん? それって、真面目にやったら王様にされる、ってこと……? だったら両者がいかに相手よりさぼるかっていう、とんでもない競争になりそうな……。
「……そしてこの勝負に負けたほうを、次の王とする」
ダリス様の最後の一言に、全員が凍りついた。なるほど、それなら二人とも全力で頑張るし……じゃなくて。
「あの、普通は『勝者が次の王』となるのでは……」
ついそんなことを言ってしまった私に、ダリス様も重々しくうなずく。
「そうなのだ。しかし息子たちときたら、王位をまるで貧乏くじか何かのように扱っている。まあ、気持ちは分かる。自由な時間は減るし、気軽にあちこち出かけるのが難しくなるし……」
色々思い出しているのか、ダリス様が不服そうに唇をとがらせた。王というより、すねた子どものような表情だ。
「とはいえ、いつまでも次の王が決まらないというのもな。だから、これが一番いい策だ」
「でも……負けたほうが、国を治める……大丈夫、なの……?」
とまどいがちに、シャイアが口をはさむ。彼女にしては珍しく、おずおずとした物言いだ。
「大丈夫だ。私の自慢の息子たちは、今すぐにでも私の跡を継げるだけの力を持っている」
ダリス様は目を細め、ギルディス様とレンディス様を順に見る。
「そんな二人を、全力で競争させる。たくさん経験を積み、試行錯誤を繰り返し……すると、勝者のみならず、敗者までもが大きく成長する。ほら、何も心配はない」
「しかもその過程で、ミルファはさらに富み栄える。ふふ、素敵な案ね、あなた」
「そうだろう、ティアン。ああ、お前のそんな笑顔を見られたのは、何年ぶりだろうか……」
「あなたにもたくさん迷惑をかけてしまったわね。これからは王妃として、あなたを支えるから……!」
まるで十代の初々しい恋人たちのように、ダリス様とティナン様は見つめあってしまった。
「……自分たちだけの世界に、入った……?」
「入ったね。元々父上と母上は、とても仲がいいから」
そんな二人を見て真剣な顔で尋ねるシャイアに、レンディス様がやはり真顔で答えた。
「そんな母上を王宮から遠ざけてしまったことが、やはり悔しいな」
「ギルディス様、過ぎたことは過ぎたことです。ひとまず、目の前の試練をなんとかしましょう」
そんなことをささやきあいながら、私たちは自然と向かい合っていた。私の隣にはギルディス様、そして私たちの向かいにはレンディス様とシャイア。
「父上の命令について、思うところはあるけれどね」
「ひとまず、勝敗をきっちりつけてから、だな」
そうしてレンディス様とギルディス様が、笑顔でがっしりと握手をかわす。王位を押しつけあうためだけの、なんとも奇妙な戦いの火ぶたが、今切って落とされたのだった。




