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替え玉令嬢と子猫王子のハッピーな政略結婚  作者: 一ノ谷鈴
第1章 妻は替え玉、夫は獣人
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3.分かり合いへの第一歩

 自分の番だと宣告した次の瞬間、ギルディス様の姿が消えた。自分の目を疑ったその時、上から気配……というより、殺気? を感じた。


 ばっとそちらを向くと、丸太のような木剣を両手で握り、大きく振り上げたギルディス様の姿が目に入った。一階の屋根よりもずっと高くまで、彼は跳び上がっていた。


 普通の人間には絶対にできない、音もしない、助走もない大きな跳躍。それはとても美しく、しなやかだった。


 彼は心底楽しそうな笑みを浮かべ、澄んだ青い目でまっすぐに私を見つめていた。


 その表情に、どきりとしてしまう。今が決闘の真っ最中であることすら、忘れそうになった。


 思わず見とれそうになるのをこらえ、身構える。


 ここからよけるか、受け流すか。けれど、どちらもできそうにない。そのことを、瞬時に悟った。


 私が彼の間合いの外に出るより先に、木剣が私の体に触れてしまう。魔導具で守れないところにかすりでもしたら、ただでは済まない。


 そして、短剣ではあれに対抗できない。魔導具の力を借りてはいるとはいえ女性が片腕で振るう短剣と、男性が全体重を乗せた大きな木剣。そもそもの威力が違いすぎる。


 だったら、取るべき手は一つしかない。


 両手を突き出してひじを曲げ、顔の前で交差させる。こうすれば魔法の障壁が重なって、より強度が上がるのだ。


 そのまま両足を広げて腰を落とし、衝撃に備える。構えた腕越しに、ギルディス様の影が見えた。


 次の瞬間、腕がずしりと重くなる。踏ん張っていたのに、よろけて転びそうになった。魔法の障壁に木剣が食い込んで、ばちばちという小さな音を立てている。


 殺し切れなかった衝撃が、全身を走り抜ける。どうにかこうにかそれを耐えて、ふうと息を吐く。一呼吸ほどの間に、びっしりと冷や汗をかいていた。


「……今のを耐えたか」


 必死に息を整えている私に、ギルディス様はこの上なく楽しそうに声をかけてきた。見開かれた青い目には、生き生きとした光が宿っている。


「……耐え切れなかったら、どうされるおつもり、だったんですか」


 今の一撃はとんでもなかった。私が格闘術を学んでいなかったら、この両手足の魔導具がなかったら、正直無事では済まなかった。


 ついついにらみつけるような表情になってしまう私に、彼はやはり上機嫌で答える。


「実のところ先ほどの一撃は、ぎりぎりのところで外すつもりだった。だがお前が受けようとしていたから、あえて軽く当ててみた」


 空中に飛び上がったあの状態から、わざと外す? そんなことをやろうと思ったら、空中で体をひねって、木剣の勢いを下半身の勢いで打ち消すとか、とにかくめちゃくちゃな動きが必要になるはずだ。それをギルディス様は、とても気軽に口にしている。


 ようやく衝撃の名残も去ったので、ゆっくり立ち上がる。いつの間にか、片ひざをついてしまっていた。ギルディス様が手を差し出してくれたので、遠慮なくつかまる。


「先ほどの蹴りの威力からすると、お前なら耐えられるかもしれないと思ってな。はは、俺の読み通りだ」


 彼は私の手首にはまっている魔導具を、やけに優しい目で見つめている。それから、私に向かって笑いかけた。


「全く、思いもかけない相手と素晴らしい戦いができた。獣人族の女でも、ここまで暴れ回る者は珍しいのだが……人間族はどうなんだ?」


「そうですね。貴族の女性で戦う術を身につけている者は珍しいです。平民となると、また事情が違うようですが」


「獣人族は男女とも、可能な限り強さを追い求めるんだがな」


「ただ男性、それも兵士や騎士といった方々は、とてもしっかりと鍛錬されていますよ。私も、騎士たちにけいこをつけてもらいましたから」


「お前にけいこを、か。一度、人間族の騎士とやらにも会ってみたいな」


 無邪気な笑みを浮かべていたギルディス様が、ふと何かを考えているかのようにぴたりと口をつぐむ。それからちょっぴり照れくさそうな表情で、私に会釈してきた。


「そうだ、今のうちに言っておかねば。先の発言は取り下げよう。お前はか弱くも、口先だけでもない。強く美しい、よい女だ。悪しざまにののしってしまってすまなかった」


 ……この口ぶり、人間族全体と、それに女性全体に対する評価は変わっていないのだろうなと思う。でもとりあえず、私のことは見直してくれたらしい。それに、案外素直に謝罪してくれた。


 やっぱり彼、悪い人ではないのかも。少々口が悪くて、若干無愛想で、手合わせが結構好きなだけで。


「……あの、ギルディス様。申し訳ないと思ってくださるのなら、一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」


 ふっと胸に、名状しがたい温かな思いがこみ上げてくる。突き動かされるようにして、彼の目を見つめ、頼み込んだ。


「……ラーライラ、と呼んではもらえませんか。『マナ・コリン』は公式な場でのみ用いる名で、親しい相手にはラーライラと呼んでもらっているので」


 もちろん、これは嘘だ。私はマナとして、ギルディス様のもとに嫁いだ。


 本当は、この身代わりの話を受けたとき、もう自分の名は捨てるつもりでいた。嫁入りに当たって改名したのだと、そう思うことにしていた。


 けれどギルディス様との決闘を経て、その決心が揺らいでしまったのだ。自分でも驚くくらいに、あっさりと。テルミナにいたころの私は、かなり意志の強い娘だってよく言われていたのだけれど。


 ともかく私は、マナのふりをするのではなく、本当の自分としてギルディス様に歩み寄り、分かり合っていきたいと、そう思ってしまったのだ。


「テルミナの人間はややこしいことをするのだな。まあいい、ならば今後はラーライラと呼ぶことにしよう。……個人的には、そちらの名のほうが似合っていると、そう思う」


 そして彼は、私の頼みを疑うことなくすんなり受け入れていた。それからううんと伸びをして、目を細めている。


「ああ、体を動かしたらすっきりした。このところ、ずっと座りっぱなしで……全く、書類仕事は好かん……」


 そのさまは、大きな猫の寝起きの姿にも似ていた。あの、柔らかく伸びていく感じが。


「ラーライラが来てくれて、ちょうどよかったな。また決闘……ではなく、もっと気軽な手合わせに付き合ってくれ」


「はい。それもいいですが、書類仕事も手伝わせてください。そうすればギルディス様も、もっと自由な時間が取れますよ」


「いや、それは駄目だ。お前はミルファの者ではないし、人間族だからな」


 私の提案を、彼はすぐに拒否してしまった。どうやらそちらについては、まだ心を許すつもりはないようだった。あの執務室の状況からすると、明らかに人手が足りていないだろうに。


「……本当にどうして、あなたは私を妻にしようと思われたのですか?」


「先ほども言った通り、テルミナとの縁を作りたかった。それだけだ」


 一応尋ねてみたら、そっけない答えが返ってきた。まあいい、ここについてはおいおい突き詰めていこう。


 ただ、それはそうとして。一つとっても気になっていることがある。


「あともう一つ、その帽子……どうなっているのでしょう?」


 あれだけの大立ち回りをしたにもかかわらず、彼の帽子はまるで頭に張りついているかのように、微動だにしていなかった。


 決闘を挑んだ時に、彼があの帽子を取るんじゃないかと期待していた。


 帽子を被ったまま戦い始めた時は驚いたけれど、動き回っているうちにあの帽子も外れるかもしれないと思っていた。あるいは、攻撃するふりをして落とせないかな、とも。


 要するに私は、あの帽子の下が気になってしまっていたのだ。どんな耳なのだろう。彼は何という種類の獣人族なのだろう、と。そもそもかっちりとした上着のせいで、尻尾も見えないし。


「……見せんぞ」


 私の熱い視線が帽子、というよりその中に注がれていることに気づいたのか、ギルディス様がしっかりと帽子を押さえた。どうしてそこまで懸命に隠そうとするのか。


「この城に来るまでの旅の間に、獣人族を多々見てきましたが……そうやって頭を隠しているかたは見かけませんでした」


 探り探りそう言うと、ギルディス様が露骨にぎくりとした。この人、隠し事が下手なのかも。


「……もしかしてその服装は、王子としてのたしなみとか、そういったたぐいのものなのでしょうか……?」


「あ、ああ、そうだ! 王子たるもの、人前でみだりに耳をさらしはしないのだ」


 ふと思いついて付け加えたら、すぐに乗ってきた。この感じだと、たぶん本当の理由は別にある。


 ギルディス様はどうにも、隠し事だらけだ。でも私も、人のことは言えない。自分の正体だなんてとんでもないことを隠しているのだから。


 そういう意味では、私たちは案外似た者同士かもしれない。浮かんでくる笑いをこらえながら、懸命にしらを切っているギルディス様を見つめていた。

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