11.ちょっと不思議な夫婦円満
お互いの秘密を打ち明けあった二日後、私はいつも通りに朝食の席に顔を出せるようになっていた。
既に食堂にいたギルディス様が、私の姿を見るとぱっと顔を輝かせた。きっちりと帽子をかぶった、いつも通りの姿で。
「おはよう、ラーライラ、調子はどうだ? 無理はするな。お前のために、消化の良いものを作らせているから。ほら、席に着くといい」
「ギルディス様、おはようございます。でも、もうすっかり元気ですよ。……毎晩子守唄を聞かせてもらっているおかげで、ぐっすり眠れるんです。ありがとうございます」
またしても私の世話を焼こうとしているギルディス様に、とても幸せな気持ちで礼を言う。
「ならばこれからも、歌ってやろうか? ずっと」
すると彼は、にやりと甘く笑い、意味ありげに流し目をよこしてくる。ええと、それはつまり、これからもずっと、彼が私の枕元にやってくるということで。
「……いえ、そこまでご足労いただくのも悪いですし」
「だったら俺たちの寝室を移動させようか。使われてこそいないものの、この城にも大きな寝室はあるぞ。二人で悠々と眠れるくらいに大きな寝台がある」
……貴族の屋敷には割とある、大きな大きな寝台が置かれた部屋。基本的には、そこの当主夫妻が使うもの。
とはいえ、夫婦の仲が冷めてくるのと同時に自然と使われなくなって、気がつけば開かずの間になっていることが多い、そんな部屋。
そこを、ギルディス様と二人で使う。夫婦としては当然なのだけれど、ちょっと心の準備が……。
「あら、いいですね。でしたら大至急、準備を整えますね。今日の夕方には、そちらで休むことができるように」
悩んでいたら、料理を運んできたメルティンがすかさず口をはさんできた。
「そういうことですので、私はちょっと席を外しますね。あとはお二人で、ごゆっくり!」
「えっ、ちょっ、メルティン……」
彼女は明るい声でまくしたてて、足早に立ち去っていく。私はろくに反論することすらできずに、彼女が飛び出していった扉をぽかんと見つめていた。
「ふむ、あいつがあそこまでやる気になったということは、これはもう確定だな。……夜が楽しみだ」
しかしギルディス様は、心底嬉しそうに目を細めていた。そんな彼を見ていたら、それ以上何も言えなかった。
朝食後は、久々にギルディス様の執務の手伝いだ。張りきった足取りで、彼の執務室に入る。しかし私の目に飛び込んできたのは、以前とは違う妙な光景だった。
「あの、これは……?」
いつも私が使っている机と椅子は隅のほうに移動させられていて、代わりにふかふかのソファがどんと置かれていた。しかもそのソファには、大きなクッションと、肌触りのよさそうな毛布まで載せられている。
「お前は病み上がりなのだから、こちらに横たわっていろ。体を冷やしてはならん。普通の椅子に座っていたら、疲れてしまうだろう」
いたって真面目な顔でそんなことを言い放つギルディス様に、ちょっぴり混乱しながら言い返す。
「しかしそれでは、書き物ができません。私、あなたの仕事のお手伝いに来ているんです」
「書類を読むくらいはできるだろう。目を通して整理してくれるだけでもかなり助かる。というか、そこにいてくれるだけでもいいんだが」
「いるだけ?」
さらに訳の分からない言葉を投げかけられて、きょとんとしてしまう。そんな私に、ギルディス様がとうとうと語りだす。
「ああ。お前が寝込んでいる間、びっくりするくらいに仕事が進まなかった。お前の気配がしないというだけで、やけに胸がざわざわしてな。まさか、お前の寝室で仕事をするわけにもいかないし、じれったい思いをしたものだ」
深々とため息をついて、ギルディス様が力強く私の手を引いた。
「さあラーライラ、こちらだ」
仕方なく、ソファに横たわる。すると彼は毛布を広げて、すっぽりと私をくるんでしまった。
「うむ、これでいい。寒いようならすぐに言え、追加の毛布を持ってこさせるから」
とても満足げな彼の顔を見ていたら、嬉しくなってしまった。ここまで心配してもらえるなんて、思わなかったから。……でもちょっと、心配しすぎ?
「あの、ギルディス様。この間から思っていたのですが」
そろそろと問いかけたら、彼は小首をかしげて私の言葉の続きを待っていた。
「……あなたって、普段の態度はぶっきらぼうなのに……意外と、過保護な一面があるんですね」
「そうか? これくらい普通だと思うが」
「普通じゃないですよ。……でも、大切にされているんだなって思えて、幸せな気分です」
くすりと笑ったら、ギルディス様が一瞬赤くなった。それから大急ぎで、顔を引きしめている。人間族だったら、耳まで赤くなっていたかも。そのとき、ふと思い出した。
「そういえば、その帽子……またかぶっておられるんですね?」
あの猫耳は可愛かったな、などと思いながらそう尋ねる。
「この城にいる使用人は、俺の姿にも寛容だ。だがそれでも、あまり人目にさらしたいものではないのでな」
「残念です。私は好きですから、あなたの大きな耳」
そう素直に言えるのは、私が獣人族ではないからかもしれない。そうすると、獣人族って損しているなあ、と思えてしまう。あの可愛い耳を、隠すべきものだと思ってしまうなんて。
そして私の気持ちは、ギルディス様にきちんと伝わったらしい。彼はほんの少し照れつつも、得意げに胸を張っていた。
「ならば後ほど、存分に披露してやろう。……寝所にまで、このかっちりとした帽子を持ち込む気はないからな」
にやりと笑う彼を見ていたら、ほんのちょっぴり嫌な予感がした。
そうして一日の仕事を終えて、夕食も終えて。あとはもう寝るだけとなったので、寝間着に着替えて自室を出る。
向かう先は、二人のための寝室。そこに顔を出すと、既にギルディス様がくつろいでいた。寝台の上で、やはり寝間着姿で。宣言していた通り、帽子は外している。
淡い灰茶色の大きな耳も、ふさふさの長い毛が生えた尻尾も、みな露わになっていた。絹の敷布の上で、彼の尻尾の毛がさらりと広がっている。
ああ、触りたい。きっとあの子猫と同じで、ふわふわでさらさらの素敵な手触りなのだろうな。
でも、駄目。獣人族の人たちは、獣の部位に触れられるのを嫌うから。
特に親しい間柄であれば、触るのを許されることもあるようだけど……無断で触ったりしたら、それこそ決闘を挑まれてもおかしくない。そう、書庫の本で学んだ。
「……俺に触れたいか、ラーライラ?」
そんなことを考えていたら、ギルディス様が呼びかけてきた。それもやけに艶っぽく、甘い声で。
彼は横向きに寝転がり、片腕を枕にしていた。その素晴らしく青い目は、こちらを誘っているかのような妖しい光を浮かべていた。
「あ、いえ、その、失礼に当たりますので」
「俺とお前は夫婦だ。失礼になどなるものか。だいたいお前、以前に俺がこの耳を見せた時も、俺が子猫の姿になった時も、とても触りたそうな顔をしていただろう」
「うっ」
ばれていた。こうなったからには、下手な言い訳は逆効果だ。
「ご、ごめんなさい……猫、好きなんです……とっても……特に、子猫は……」
そう言ってしまってから、彼のことを猫扱いしてしまって大丈夫だったのかなと気づく。気分を悪くするかも。
しかし意外にも、彼はおかしそうに笑っていた。
「まあ、あんな目つきをしていたから、そんなことだろうと思った。しかしそうしてみると、お前の好きな獣になれるというのも、案外悪くはないな」
言うが早いか、彼の姿がふっとかき消える。そうして、寝台の上には小さな子猫。甘えるようにぴゃーうと鳴いている。あ、可愛い。駄目、可愛い。
吸い寄せられるようにふらふらと寝台に腰を下ろし、近づいてきた子猫を抱き上げる。
「ふわふわ……極上の手触りの、ふわふわ……」
これはギルディス様だ。それは分かっているけれど、子猫の愛らしさとふわふわ感には勝てない。しかも子猫は気持ちよさそうに目を細めて、おとなしく喉を鳴らしている。
子猫を抱き上げて、頬を寄せて……絹糸のような毛が、最高に気持ちいい……。
「隙あり、だな。どうもお前は、子猫の姿には弱いようだ」
ギルディス様の声に、はっと我に返る。気がついたら、寝台の上にあおむけに横たわっていた。しかも私の上には、ギルディス様がのしかかっていて……。
「あ、あの、ギルディス様、この状況は……恥ずかしいんですが……」
ちょうど私は、彼に押し倒されてしまっていた。しかも押さえ込み方にこつでもあるのか、びっくりするくらいに身動きが取れない。
「何を今さら。俺たちは、夫婦だぞ?」
そう言って、彼は私の胸元にすがりつくようにして力いっぱい抱きしめてきた。あっ、猫耳が頬をかすめて……ふわふわ……。
「これからは、毎晩一緒だ。いくらでも触るといい。もっとも、俺もお前に触れるが、な」
言うが早いか、ギルディス様が両手両足をからめるようにして、私をしっかりと捕まえてしまう。
「触る……のはいいとして、この体勢だと眠りづらい気がしますが」
「なあに、それにもじきに慣れる」
眠そうにつぶやきながら、ギルディス様は私を腕の中に閉じ込めてしまった。私の髪に顔をうずめているなと思ったら、やがて静かな寝息が聞こえてきた。
……彼は彼で、気を張っていたのかもしれない。たぶん、私が倒れたせいで。あれこれ心配かけてしまった。
「……おやすみなさい、ギルディス様」
すぐ近くで聞こえてくる安らかな寝息を聞きながら、私もそっと目を閉じる。
……ところが彼は、眠ったまま頬ずりしてきた。やっぱり猫だ。しかも、懐かれている。
夫婦だから、これくらい普通なんだから。そう自分に言い聞かせつつも、どうにも鼓動が落ち着いてくれなかった。