08 風見鶏
家の外へ出ると、まだ真新しい暴力の記憶がちらついてビクリとした。でもルーファスがこっちだと急かしてくれたから、怯える間もなく、私は日常の風景に戻れた。
風見鶏の台らしいものは屋根の上にあった。まあ、そうなるよね。
風見鶏自体はあんまり馴染みがないけど、風を受けるのに、邪魔にならないとこ。屋根の上とか、障害物がなくて、ちょっと高いところにあるのは風見鶏の役割的にわかる。
そして、子供のルーファスでは届かないところにあるっていうのも。
「ああ、やっぱり」
屋根の上を見上げてると、私の言葉に含むところをさとったみたいに、ルーファスがじろりと見た。
「はしご探した?」
「もちろん」
「ないと難しくない?」
「しかし納屋にはなかった。外にあったのが倒れたというのなら、……すぐには見つからないよ」
家の周りは畑っぽいのがあるけど、ああ、あるなってわかる程度で。雑草が生い茂り、境界線もわからない。杭とか柵のあとみたいのが残ってて、ところどころ野生ではみない感じの植物があるから、畑と判断できてるだけだもの。
はしご探すより、まずは草むしりしないとだね。
うーん。
でも探してて思ったんだけど。この家はそれほど高い建物でもないし、なんて言ったらいいのか、ブロックを積み上げたみたいな家だから、低い位置からぴょんぴょんって上っていけそうな感じなの。
これって狼だったら、もしかしてぴょーんって上がれるかも?
でもどうやって狼に戻るの。私はまだ戻り方もわからないし、人間になる方法もよくわかってない。でもなぁ。狼になった方が楽なんだよね。ぴょーんって、ほら、あそことかぴょーんって上がれそう、とかなんとか、もどかしく思っていたら、なんだか、ゾワワワと毛穴が泡立つような感触が全身からしてきた。
いけるかも?
「ルーファス、交換して」
「え? なにと」
「シーツとそれ!」
私はルーファスの持っていた風見鶏を奪うと口に咥えた。するりとシーツが滑り落ちていく。
ルーファスが怒って何か叫んだけれど、私の耳はもうルーファスの人の言葉を正しくは聞き取れなくなっていた。
狼に戻れた私は、風見鶏をハムッと咥えなおし、一番低い納屋の屋根の上へ飛び乗る。少しずつ高い場所を探しては、ヒョイヒョイと屋根のてっぺんまであっという間にあがった。
やった! やっぱり狼の方が楽だよね。
しかし、新たな問題が起こったのである。
どうやって台へ、この風見鶏をさすのか。
我にあるのはモフモフの肉球のみ。
あー。
結論として、屋根の上は風見鶏の台に続く足場があり、それを逆にたどって、はしご的なもの、階段的なものとを見つけ、草ボウボウの庭先から風見鶏へのルートを見つけた。ルーファスはそのルートを通り、よいしょよいしょと屋根の上まで登った。
でもわかりにくいよ。もうルーファスごと咥えて連れて上がるしかないかと思ったよ。ほんとに。
ルーファスは風見鶏を拾い、台座に立つ筒にそれをさした。
キィと金属がきしむ音を立て、風を受けて、風見鶏についた風車の部分がくるくるとまわりだす。
私は何とも言えない感覚を味わっていた。
さざ波のように、見えない波がサアーッと風見鶏を中心に広がっていく。
ミストシャワーみたいな。水分はないけど、あんな感じ。マイナスイオン出てますみたいな。
これも魔法の道具だったってことかな。
風見鶏をさすことで、何が変わったのかはよくわからないけど、私はやり切った気持ちでいっぱいだった。気分がよいから、今日もしっぽがブンブンしてます。
「ハフン、クゥン(ほめてほめて)」
「――――」
近寄っていくと、ルーファスが珍しく撫でてくれた。
え、人の姿を晒してからは、そういう扱いはなかったから、びっくりして見上げると、ルーファスも本体が私であることを思い出したのか、ばつが悪そうに眉根をひそめたあと、私の頭をわしゃわしゃしてごまかした。照れ屋さんだね。
その後、私はいつ人に戻ってもいいように、首にシーツを巻かれていたが、風でマントのようにバタバタとひるがえるし、地面に引きずって汚してしまうので、さっさと外してしまった。
狼の姿でウロウロしているが、私は一向に人間に戻る気配がない。
人の姿で歩く方が、狼の時に比べて、動きにくいし鈍いからもどかしいから、狼の姿で困ることはとくにないかな。いますぐ人に戻らないといけない理由もないし。
掃除とか、片づけのお手伝いできないのはごめんなさい。
ルーファスは今日もよく働く。
おしゃべりできないのが一番の難点かな。でも、ルーファスがたまに撫でたりしてくれるのも好きなので、狼の姿でいるのもわりと悪くなかった。
ルーファスは、人でいるより、狼の私に優しい。
今、私のシーツは洗って干されている。
シーツといっても白くはなく、ナチュラルな感じのシーツだが、土に汚れるとちょっと目立つ。自分で洗えたら、洗うんだけど。すみません。お手数かけます。
そして、シーツの隣には見知らぬ誰かの服も干されていた。
人間の大人用の服は、ルーファスが鞄の中から出した。臭かったので、一緒に洗ってくれた。私が人間に戻ったら、これを着ろみたいなことを身振り手振りを加えて伝えられる。
ルーファスの鞄は不思議な鞄で魔術具みたいだけど、中身を確認したりしてたから、ルーファス自身の鞄ではないみたい。
あの人間のかな? 手がかりとか探してるのかな。事情とか詳しく聞かせてもらってもいい?
あーあ、人の言葉を話せないのはやっぱ不便ですね。
でもね。
ルーファスのいうことも、少しずつ聞き取れるようになってきたんだよ。ラジオのチューニングがあってきたみたいな。あんな感じ。
ダメだとか、いいよとか、はっきりした言葉ほど耳にわかりやすい。
そんな中でたまに、「ノイ」という単語で呼びかけられた。
あれはよくわからない。
ねえ、とかの呼びかけのようでもあるし、いい子だねみたいな、甘やかしてくるような響きがあるときもあって、判断がつかない。
もっと言って欲しいな。
それはそれとして。
狼の姿をしてると感じるのだけれど、この風見鶏のそばにいて感じる空気のようなものは、森の奥のあの泉の周りに似ている気がする。
そういえば、私、森の中の気配を感じることができるんだった。
周りのことでいっぱいいっぱいだったから、すっかり忘れてました。むーん。
馬小屋から、一人の気配がしている。死にそうではないからちょっとホッとする。
のぞきに行きたいけど、狼の姿ではやばいよね。あっちも怖くて近づいてほしくないだろうし。うーん。
そう思ってたんだけど、あんまり気配が動かないから、心配になってついのぞきに行ってしまった。加害者なので私。なんとかなってたら責任あるかもって心配になった。
馬小屋といっても、納屋とかわらずただ広く枯草みたいなのがいっぱい落ちてるだけで、その一画に、男の人は腕を縛られて座っていた。
男の人は生きてたし、私を見てビクリとしたけど、「あっちいけ」みたいに罵られたり、追い払われたりはしなかった。よかった。
でもあとでルーファスに叱られた。