07 私の名前
赤ずきんは、ルーファスと名乗った。
フードを外して私の前に立つ姿は凛々しくて、美少女だった。胸に手を当てて名乗ったのはこっちの世界の挨拶なのかな。子供が優雅な仕草でご挨拶するのすごいかわいい。
ドレスの裾を持ち上げるようなお辞儀じゃないんだなとながめつつ。
あ、えっと、私も名乗らなきゃ、私の名前は――
「私の名前なんだろう?」
「……」
赤ずきん改めルーファスが胡散臭いを見るような目で、私をじとりと見た。
いや、だって、覚えてなくてですね。私は私で、狼で、人間にもなれて、前の人生があったらしいことはなんとなく覚えているけれど、あやふやで、なんだったら、前よりも記憶が薄れてしまっている。
私の持ってる記憶は、森の記憶。奥の泉に、緑の深い森。あとは赤ずきんと、あれやこれや。森を駆けまわってたから、名前とか必要なかったもんね。うーん。
がんばって思い出したいけど、何かヒント! ヒントください!
出てくるのなら、脳みそを逆さまにしてぶんぶんと振りたいくらい。精一杯脳みそをふりしぼっていた私は、ふと違和感に気が付いて、椅子に座っているルーファスをしみじみと見下ろした。
「あか……ルーファス、小さくなった?」
「……」
「あれ? 言葉通じてない? 完全には言葉通じてないのかな? えーと、ルーファスの身長がち、」
「通じている! 僕が小さくなったのではなく、君が――君の目線が変わったのだろう?」
「あ、そっか。狼は小さいもんね」
「小さいというか、二本足で立つ人とは姿勢が違うだろ。それよりも、僕は君を何と呼べばいい?」
子供なのに子供らしからぬ上から目線でルーファスがためいきをつく。
「えーとえーと、なんとでも呼んでくれていいです。今までだって、問題なかったし。おいとかでもぜんぜん問題ないんで……」
「そういうわけにはいかない」
「じゃあ、お姉ちゃんとか呼んでみる? ……なんてね。嘘です」
「…………」
「名前なまえ~、どうしよ」
軽い冗談だったのに。ルーファスの冷めた視線が突き刺さる。
狼だったときは、もっと優しい子の印象だったのに、言葉が通じるようになってからはちょっと手厳しい。お姉さんはさみしい。
人間になったばかりの私だが、ルーファスよりは少しだけ年上のようだった。大人というには未熟だけども、これからのノビシロを感じる体つきである。身長もね。
いくら女の子同士といっても、服装については早急になんとかしたい。シーツで体をつつんで、春巻きみたいになってる私。春巻……。
「ハルマキ、ギョウザ、ってなんだっけ……」
「なんの話をしてるんだ、君は」
「お腹がすいてきた気がする」
ルーファスが呆れた顔で笑った。
「何かお腹にいれるべきかな。君も僕も朝から何も食べていないだろう?」
「うん」
私は笑顔でうなずいた。
こういうところはやっぱり赤ずきんだ。優しい。
ルーファスが鍋を用意しに立ち上がる。釜戸に火を入れようとしているのを見て、私は薪をとってあげようと立ち上がり、そしてシーツの裾を踏んづけて盛大に転んだ。ぐるぐる巻きにしてたから仕方ない。
何かお手伝いしたいと言ったがあっさり却下された。
せっかく人間の姿になったのだから、お役に立ちたかったのだけれど。
ルーファスが世話を焼いてくれる。
昨日の残りのシチューを温めなおして食べると、ほっとするのがわかった。満たされるって大事。はふう。
庭の畑の跡地に埋まっていた芋と、元は育ててたであろう野生化したハーブ、戸棚に残っていた壺に入ってた調味料、それと私がとってきたお肉。
森の中を駆け回っていた私が、こうやって誰かと食事をしてるのが奇妙に思えた。
「そういえば、あの人間はどうしたの?」
「人間……」
「お、男の人」
私が殺しかけてしまった人間。あの時は完全に気を失っていた。
あの騒動の後、シーツで包んだ私を家へ釜戸のそばの椅子に座らせたあと、ルーファスはしばらく外へいき、やがて戻ってきた。多分、その時に何かしたのだろうと思ったけど、私はぼうっと椅子に座ったまま尋ねなかった。気持ちがぐちゃぐちゃだった。
でも、さすがに気持ちが落ち着いてきたら、どうなったのかすごく気になってくる。さすがにとどめとかさしてないよね?
「馬小屋にしばりつけてある。死んだりはしないだろう」
「そうなんだ……。怪我はひどい?」
「さあ」
生きてるとわかってホッとする。殺しちゃわなくてよかった。でも。さあって、ちょっとひどくない? いや、怪我させた私が一番ひどいんだけど。
「動けないくらいでちょうどいい。縛ってはきたけど、相手は大人で、僕たちはいつでも逆転されると用心するべきだ」
ルーファスは食事を終えて、口元をふきながら言った。
それはそう。なんだけど……。
また武器を持ってやってこられたら、今度は無事じゃいられないかもしれない。
私たちか、相手か、どっちかが怪我じゃすまない。
目の前で怪我を負うのを見るのは嫌だし。想像しただけでも怖い。
「……」
「まあ、君の姿を見たら、逃げていってくれるかもしれないけど」
「私の裸、そんなに破壊力あった?」
ルーファスが軽くにらむ。そうですね。狼の姿ですよね。
メリハリボディを手に入れた成人の女の人ならともかく、成長途中の女の子じゃ何の役にも立たない。
「聞いておきたいんだけど」
「なに?」
「君は、人なの? 狼なの? どっちが本当の君?」
「…………どっちって」
私が一番それを知りたい。
「あの男は気を失っていたから、僕以外は誰も、人としての君を見ていない」
そういえば、そうですね。
「君にはもう少し自覚して欲しいんだけど。そのまま外に出たら、大騒ぎになるから、わかってる?」
「大騒ぎって……?」
「山狩りとかだね」
一瞬で私の脳内に、たいまつを持った人たちが森に入ってくるイメージが駆け巡る。
人々は農民の恰好で、もう片方の手にはクワや鎌、竹やりをもったりしている。こわい。ワンワンと吠えて牙をむく犬たちに追い立てられて、森の奥へ追いつめらていく中、竹やりがこっちを向いて……いや、こわい!
「お願い黙ってて!」
「……いいよ」
「ありがとう!」
「ただし」
「ただし?」
「君には協力して欲しいことがある」
「それってつまり、ばらされなくなかったら、俺の言うことを聞け的なやつですね」
「そういう言い方は好きじゃない」
好きじゃなくても、同じことを言ってるんじゃ。
眉根を寄せてムーッとした顔で静かに抗議するが、ルーファスは知らん顔で続ける。
「最初に君にやってもらいたいことがある」
言って、ツイッとルーファスが扉の方を指さした。
「風見鶏をとりつけるのを手伝って欲しい」
あ、忘れていた。風見鶏もあれどうなったっけ案件の一つですね。
私たちは達風見鶏を持って出ようとして、男たちに遭遇したから、保留になっているのも不思議ではなかった。
「まだ置きにいってなかったんだね」
確認するようにそう呟くと、聞き捨てならなかったのか、むっとしたルーファスに訂正される。
「取り付ける台を見つけたが、僕一人では手の届かないところにあるんだ」
ああ、それで? 私を脅す振りして協力を求めてきたってこと?
ふふ。素直じゃないなぁ。そういうところは子供らしくてかわいい。
「何を笑ってる? 君に協力してもらうのはもっと違うことだ」
「わかってる。わかってる。お姉さんになんでも言って?」
まったく君は、とかぶつぶついうルーファスの後ろをついて私も外へと向かった。