05 赤い頭巾の王子
赤ずきん視点
夜の森と呼ばれる広大な大森林は昼なお暗く、迷いの森として知られている。
このノクタルス・フォレス公国を含むいくつかの国境にまたがって広がっていたが、森の中を通る道はなく。どこにいくにも迂回するしかない。
そして、この森には森の主が棲み、主は人間を嫌うといわれている。うかつに森に入って、主に嫌われた者は正気ではいられないとまことしやかに伝えられている。
(……けれど、今は森よりも人の方が怖い……)
人の入らない森へ逃げ込むことは、ルーファスにとって最善な手段ではないだろうか。
ルーファスが乗っていた馬車も護衛も、何者かの襲撃にあい失ってしまった。この春13歳で成人の儀を迎えたとはいえ、体格的にはまだ子供と呼べる。護衛もなく、付き添いもなしに、一人でこのまま徒歩で辺境伯の元へ庇護を求めるのは難しいだろう。
なにより子供一人では目立つし、どこかの農家に転がりこめても、辺境伯の元までたどり着く前に追手に見つかる可能性の方が高い。そもそも誰が敵で味方かもわからないのだ。
最短で身をひそめるには森しかなかった。
荷物はほとんどない。ルーファスの荷物を運んでいた馬車は逃げるときに最初に脱落したからだ。
矢を受けて絶命した御者から、鞄と一振りの短剣を拝借した。御者の鞄はマジックバッグだったから、馬車に残っていた目欲しいものを手あたり次第につめこんできた。
ルーファスの狩りのための装備一式を手元に持ってきていたのはよかった。赤いフードのついたローブを着ていたのも幸運だった。
小さな幸運ばかりだが、まだ天に見放されてはいない。
また、不幸中の幸いというか、森の入り口で、ある印を見つけたのだ。木に結ばれた布切れは狩人の道の入り口を示していた。
あれがなかったら、ルーファスといえど、本格的に森の奥へ逃げ込もうとは思わなかっただろう。
そして、森に逃げ込んだルーファスは奇妙な狼と出会った。
狩人の道しるべをたどって森を進んでいたところ、罠にかかった狼が吊るされていたのだ。
吊るされた縄に捕まっていたそれを、ルーファスは最初犬か、子供の狼かと思って近づいた。くぅんくぅんと情けなく鼻を鳴らしていたから、大人の狼とは思えなかった。
しかし罠から解き放ってみればその狼のサイズは十分に大人のもので、ルーファスは一瞬、身構えた。だが狼はとても人懐こい性格をしてるみたいで、ルーファスに向かって甘えた声で鳴き、尾をぶんぶんと振ってみせる。思わず破顔した。一人になってからずっと張っていた緊張も緩んでいた。
(野犬でももっと警戒するのに……、誰かが飼っていた狼だろうか?)
狼を飼うなんて、普通の人間はしない。可能性があるのは、狩人か、森の民か。それとも獣人か。
人々に恐れられている夜の森だが、外に近い浅いところならば、森に入る者たちも存在している。森を生活の場とする者なら、子供の狼を拾って育てたりすることもあるかもしれなかった。
とても人懐こくて逆に少し心配だが、追い払うのもかわいそうだ。そのうち帰る場所を思い出すだろうと、ルーファスは狼を好きにさせた。
体格差でみれば、ルーファスなど狼の餌にしかならないのに、狼はルーファスを襲うどころか、守るように周りをウロウロする。
ルーファスの道行の邪魔をするわけでもなく、どちらかというと賢いと思えるほど、こちらの意図をはかってくる。
人に飼われていたのは確実のようだ。狼は群れて暮らすというし、意をくむのも得意なのかもしれない。
何もかも失って独り身となっていたルーファスは、狼の同行にほっとした。人間ではないから裏切らないと、安心して気を許せた。動物であるから、いざというときはあきらめられる。
森の深いところへ行くつもりはないが、森の主とやらに目をつけられたら、囮にすることもできるだろう。こんな甘ったれな狼では少々かわいそうな気もするが。
(こいつだって一応狼なんだ、いつ僕を食料だと気づくかもしれない)
干した肉とパンをあげたら喜んで食べていたが、あの程度では足りないだろう。
犬みたいな人懐こさだが、これでも凶暴な狼なのだ。その気になれば、ルーファスはひとたまりもない。
しかし、見ればみるほど間抜けそうな顔で寄り添ってくる。狼としての威厳もなにもない様子に、ルーファスの口元がゆるむ。
「森にいるうちはお前を従者にしてやるよ」
名付けて、名を呼んでやりたいと思ったが、それはしてはいけないことだと思いとどまる。
そんなルーファスの気持ちをよそに、狼が甘えた様子で鼻ずらをこすりつけてきた。しかたなく、ガシガシと撫でてやりながら、一人きりでないのはこんなに心強いものなのかと胸の奥でかみしめた。
ところが、翌朝になったら狼は消えていた。
野宿をしていた簡易天幕の中、ルーファスの横で眠りについたはずの狼は、気づくといなくなっていた。くっついて眠るかたわらから熱が消え、朝の冷たい空気に目をあけたときにはもういなかった。
代わりといったら変だが、森の奥へ人が去っていく姿を見た気がした。白っぽくて、人の背中のように見えたのだが、まだ夜が明けきらないうちだったから、鹿かなにかと見間違えたのだろう。
(いなくなってしまったものは仕方がない。また一人に戻っただけだ……)
昨夜とは違い、乾燥したパンを立ったままかじり、食事を済ませる。早々に野営の道具を片づけてルーファスは出立した。
森の中を一人黙々と歩く。
落ちた枝を踏まないように歩くが、草や枯れ葉はどうしようもなく、ルーファスの足音が静かな森に響いた。息が上がりはじめ、息遣いが耳につく。
まだそれほど街道から離れていない森の浅い部分のはずだが、人の気配はしない。
追手がきているかどうかもわからない。
ルーファスには足跡を消して歩く方法も知らないから、見る人が見れば、簡単に追跡されるだろう。追手がかかっているものと考えておく。
簡単な野営や森での歩き方は教えられた。こんな形で役に立つと思っていなかったが。
(でも、もしかしたら、先生はそのつもりだったのかもしれないな。僕は王宮にずっとはいられなかったから……)
遊びの延長と思っていたのに、生存率をあげるために教えられたことは他にもいくつもあったなと、ルーファスは思い返しながら、森の中に点在する印をたどって歩いた。
狩人の道標はわかりにくいが、よくよく注意していれば見つけられる。
これも師に教えられた技術のひとつだった。
狩人たちが入る森の一部には、狩り小屋や家などが存在しているらしい。天候や危険な動物から逃げるための簡易的な小屋もあれば、薬草を採集する者の家など、危険な森といってもいろいろとあるらしい。
昨夜野営した場所も、狩人の野営地だった。風よけ、獣除けとして円陣に組み立てられた倒木のあちこちに刻まれた印があった。そこに残された道標によると、ルーファスの進むこの先には「おばあさんの家」と呼ばれる家があるはずだった。
かつて薬草採集を営んでいた魔女の住処だったためそう呼ばれてるが、今は違う。ルーファスの父の弟、つまり叔父が住んでいた。
命を狙われる身になったルーファスのただ一人頼れる相手だった。
木々の隙間から、目印ともいえる巨木が見えてくる。ここからでも見える太い幹は白い樹皮をして、たくさんの葉を茂らせている。
そしてその下には、明らかに人の住まない廃墟になった家があった。