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永世中立国アシュトーリア王国の首都から南にある学園都市エクスは、アトール平原の広大な土地を利用して建設された。
幼等部から大学部まで数多くの学科を抱えるアムリタ統合学園の本校舎区域を中心に、様々な施設が造られている。
騎士科や冒険科の使う鍛錬場は剣術や武術の種類を問わずに使うことができ、複数存在する。学祭などで外部にも公開される闘技場には、物理結界の設備も万端だ。
魔法魔術科が使用する魔術修練場も、魔導結界装置を有する。魔術の研鑽と同時に実験場も兼ねているからである。
錬金科と薬学科のために用意された工房群や研究棟には、薬草栽培用の農場も併設されている。数年に一度のスパンで、画期的な魔導具や新しい病気の薬が今でも開発されている。
神学科の拠点となる教会区には神聖星教会公認の教会があり、本物の司祭も臨時教師として派遣されている。修行棟には、肉体行をおこなう道場や瞑想室も完備されている。
また、アムリタ統合学園は膨大な蔵書数を誇る知識の泉である図書館を有している。閉架書庫や幻の書庫には誰も知らない禁書が眠っているという噂もある。
そして有名なのが、魔導王国クォンタムから寄贈されたという小魔塔である。
クォンタム本国に存在する本物の魔塔をもとに建造された四分の一スケールの魔塔だ。エクスの何処にいても見ることができるほど、天を衝く高さを誇る。
三百年前の大賢者と錬金術師たちが石工職人と協力して造ったと言われている。使うのはおもに魔法魔術科生たちであるが、地上五階までの談話室と講義室は他科の生徒にも開放されている。
さらに教職員棟や侍従用の宿泊施設をはじめ、各学科の学生寮や購買部、食堂棟も各世代部ごとに複数設置されている。購買部には有名店や各貴族や王族御用達の商会も出店しており、学内に居ながら様々な物資などを調達することもできる。
表彰などの各種催しの際に開かれる紅華館には王宮顔負けの建築技術が使われており、大広間は貴族科以外にも卒業パーティーなどに使われている。
東大陸中の国々から貴族や王族の子弟が集まる学園なだけあって、全てが桁違いの水準である。長年アシュトーリアを永世中立国たらしめている国策のひとつが、この学園にあることは間違いない。
正門に到着した馬車から降りると、校舎へ続く歩道を見るだけでも圧巻だった。マンモス校という言葉が地球にはあるが、そんな程度ではなかった。この学園を中心に都市が生まれたのは、自然の流れであっただろう。
開口一番、リクが言った。
「すごい人だな」
「ええ。正門だけは、全学科共通なのですわ。といっても、ここは高等部だけですけれど」
ミラフェイナの話では、中等部や大学部は別に正門があるらしい。
先に馬車を降りたリクは、手を差し伸べた護衛役のレンブラント・ラッハの手に掴まることはなかった。そのため彼は渋々、公爵令嬢ミラフェイナの補助をした。
「ど、どうもありがとう」
とミラフェイナは冷や汗混じりに言ったが、レンブラントはどこか面白くなさそうだ。それを見咎めたリクが言う。
「護衛もエスコートも必要ないと言ったのに」
「……私は聖女の護衛だ。どこまででもついていく」
「だから聖女じゃないって……」
「まだ『聖女の器』と言いたいのだろう。謙虚なことだ」
「ま、まあまあ二人とも……」
いつもの言い合いを始める二人を前に、ミラフェイナは苦笑して宥めに入った。
本人は知るよしもないが、レンブラントは乙女ゲーム『光の乙女と七人の伴侶』の攻略対象のひとりだ。護衛としてグランルクセリアからわざわざ付いて来たのだ。
他の攻略対象たちも付いて来たがったが、それぞれの立場があるため簡単に国を離れることはできなかった。特に騎士団の若獅子アウグストは苦悩の末に辞職しようとまでしたが、
「あなたが国を守ってくれないと困る」
というリクのひと言によって踏み留まったという経緯もある。
アムリタ統合学園は王侯貴族も通う学園のため、護衛や侍女などを二人まで連れて来ることが許されている。
世話人は要らないとリクは主張したが、グランルクセリアの聖女候補という立場上、護衛だけは外されることはなかった。ローゼンベルグ家の厚意で侍女もあてがわれたが、リクはそれを断っていた。
高等部正門を入って数分後、リクたちは辺りを見回していた。
「……こんな人ごみで見付けられるのか?」
「それは大丈夫と思いますわ。ディアからの手紙によると、待ち合わせにぴったりの場所があると……」
リクたちは数人の生徒と待ち合わせをしていた。
昨年度のうちにこの学園に転入しているグランルクセリアの伯爵令嬢ディアドラと、ヘイデン家に預けられたアミ・オオトリとエリー・ヘイデンである。
「この先に、名物の青い鳥広場があるみたいですわ」
「そう。……そういえば、お姫様たちは来ないの?」
「一年生は今日入学式ですから、姫様たちは早めに登校なさるそうですの。シエラ様も、ご一緒ですわ。なんと、姫様が新入生代表に選ばれましてよ! とっても誇らしいですわっ」
ここでいうお姫様とは、グランルクセリア王国の第一王女エクリュアのことだ。現王から次期女王に指名されたため、見識を広めるためにアムリタ統合学園への遊学が決まっていた。
同じく、前から編入が決まっていたグランルクセリア出身のシエラ令嬢も新一年生で一緒のようだ。
新入生代表ということは正式な試験を受けて入学し、少なくとも首席だったということだ。
「エクリュア姫が首席を取ったのか。それはすごいな」
「そうなんですの! さすがは、わたくしたちの姫様! グランルクセリアの次期女王になられる方は違いますわっ!」
リクがぽつりと言った言葉に、ミラフェイナは誇らしげに言った。愛国心が強いというよりも、同じ転生者仲間でモブのはずの王女が活躍するのが心強いのだろう。
ミラフェイナの話を聞きながら進んでいくと、不意に怒声が飛ぶのが聞こえた。
爽やかな朝の雰囲気にそぐわない、とげとげしい叫び声だった。
「お前ッ……! 何故、自分の妹を蔑ろにする!?」
「ひ、ひどいわお姉様。私にひとこと言ってくれれば……!」
声の発生源に視線を送ると、歩道の分かれ道に鳥をかたどった彫刻の時計台が立っており、いくつかのベンチが設えられたスペースがあった。おそらく待ち合わせ場所というのがそこを指すだろうことは、ひと目で分かった。
そこに人だかりができている。リクとミラフェイナは視線を交わし、近付いて行った。
ぼろぼろと涙を流している女生徒がいる。陽光を集めたかのような目映い金髪の巻き毛に、碧い瞳。頭に乗せた大きなピンク色のリボンが似合う、可愛らしい令嬢だ。
彼女が涙ぐむさまは、妖精のようだった。
泣いている彼女を慰めるようにして肩に抱いているのは、世間一般では見目麗しいとされるレベルの顔面を持つ男子生徒だった。
一方で、追及されているのは氷のような美貌の女生徒だった。青い髪にアイスブルーの瞳。その容姿から冷たい印象を受けるが、彼女の表情は強張っていた。
「蔑ろだなんて……。そんなつもりは」
「とぼけるつもりか! お前が神学科だと!? それに、何だそのみっともない髪は!? そうまでして俺の気を引きたいのか!」
「いえ、それは……」
朝の登校時、それも各学科への別れ道の手前にある広場での騒動とあって、彼女たちはかなり人目を引いていた。彼女らを知る者も知らぬ者も、声を潜めて何やら噂話に興じていた。
野次馬のひとりとなってその様子を眺めながら、リクが呟いた。
「あれは……。どこかで見たような光景だな」
「それは、わたくしも思いましたわ! きっと、リク様の予想通りですわ」
同じことを、ミラフェイナも感じたようだ。つまり――。
「あの子たちも何かの……、『ヒロイン』と『悪役令嬢』?」
「その可能性はありますわ。でも、それが何かまでは心当たりがありませんわ。わたくしの知る乙女ゲームには、それらしい特徴の方はいないような……」
「ゲームだけじゃない……のよね?」
「ええ。でもネット小説などのマイナーなものなら、わたくしには分かりませんわ。こんな時に、シエラ様がいれば……」
転生者仲間のシエラは、ネット小説に詳しい。彼女なら何か分かるかもしれないが、今この場にはいない。
「それは後で聞こう。とにかく今は、ミラやディアドラさんの時みたいに言いがかりを付けられているなら助けないと」
「そっ、そうですわね! リク様、どうなさるおつもりですの?」
普通なら誰も関わり合おうとしない他人の揉め事でも、そこに間違いがあるのなら率先して首を突っ込む――それはリクの長所でもあるが、場合によっては弱みを作ることにもなり得る。
ミラフェイナが、心配そうにリクを覗き込んだ。リクは少し考え、先ほどの彼女たちの会話を思い出した。
「……口実だけなら、何とかなるかも」
「えっ?」
顔を上げたリクは、そのまま迷いのない眼差しで騒ぎの中心を見つめた。
アム学編本格スタートです。
アシュトーリアへ行く前のアウグストとの経緯は、挿話『あなたを愛することはない上・下』をご覧下さい。
転生/転移者・攻略対象等まとめ
【ななダン】
・ヒロイン:リク
・悪役令嬢:ミラフェイナ 婚約破棄に成功。自由の身
・攻略対象1:コルネリウス王子 ※フリました
・攻略対象2:レンブラント ストーカー認定
・攻略対象3:アウグスト
・攻略対象4:クライド 脅した
・攻略対象5:マティアス王子 ※丁重にお断り
・隠しキャラその3:ローゼンベルグ公爵 後見人
・モブ王女:エクリュア 次期女王
第二部前半テーマイラストの背景にある塔は、今回の説明に出てきた小魔塔です。
魔法魔術科のホームである小魔塔区にあります。
ここから、はじまり語り・Ⅱに出てきた新しいヒロインと悪役令嬢の登場です。
その他のキャラも登場しますよ。
引き続きよろしくお願いします。




