1
「ちょ……っと待ってほしい。聞いてないというか……」
寝起きの下着姿のままで、リク・イチジョウはたじろいでいた。
登校初日の朝。
アムリタ統合学園の高等部神学科の制服を手に、笑顔でにじり寄ってくる公爵令嬢ミラフェイナ・ローゼンベルグとの攻防戦が勃発していた。
美しい金髪の巻き毛に、青い瞳。そして大貴族の高い魔力も持つミラフェイナは、地球に存在する乙女ゲーム『光の乙女と七人の伴侶』通称『ななダン』に出てくる悪役令嬢に転生した女の子だ。
リクはその舞台となったグランルクセリア王国によって召喚された異界人――転移者である。
半年前に召喚された時、リクはゲームのシナリオを完全に無視してメインヒーローをフッた。
それはもう、盛大にフッた。何度もフリ倒した。
しまいにはミラフェイナとメインヒーローの第一王子との婚約も解消され、彼女は晴れて自由の身となっている。
そんなこんなで二人はゲームと違い、仲良くやっているのであった。
「あら、リク様。今さら何を仰いますの? 聖女であるリク様は、前から神学科だと決まっていたじゃありませんの。さぁ、早くこの制服をお召しになって♡」
ミラフェイナの美貌でにこにこされると、眩しい。
「いや、神学科なのは分かってる。聖女じゃないけど……」
正確には、リクは聖女ではなく『聖女の器』だ。聖女認定式でインクイジターに妨害を受けたため、ゲームと同じ肩書きを得ることはできなかった。
「それより今、高等部と言わなかったか?」
ぐいぐいと純白の制服を押しつけてくるミラフェイナに、リクは冷や汗を垂らす。
「言いましたわ。リク様と同じ学年になれて嬉しいですわ」
「私はてっきり大学部かと……」
「高等部二年生ですわ」
「私、二十一歳なんだけど……」
リクはこの世界に来る前、セントラルの大学三年生だった。
「あら、そうなんですの? ずっと同い年かと思っていましたわ」
「さすがに無理がある……」
「そんなことありませんわ! 地球の東洋人は童顔ですものね。わたくしが気付かなかったくらいですもの。そんな些細なこと、誰も気付きませんわ」
「いやいやいや……」
確かに地球では、西洋人は東洋人の年齢が分からないという。西洋的なアークヴァルトでも、似たような感覚なのかもしれない。
「だとしても今さら高校生に戻るのはちょっと……」
「お嫌ですの? ……わ、わたくし、リク様とアミ様と同じ学年になるのが本当に嬉しかったですのに……」
ミラフェイナが分かりやすく項垂れて、悲しげに瞳を潤ませる。
これではリクが泣かせてしまいそうな流れだ。リクはさらにたじろいだ。
「嫌とかじゃなくて……その」
「本当ですの! お嫌ではないのですね!? 安心しましたわっ」
「え、ええ……」
何だか丸め込まれていくリク。嫌ではないと言ったことで、ミラフェイナはご満悦のようだ。
「さぁ、お早くなさって下さい。アミ様が気になりますし、早めに登校しなければ」
「……。そうね。アミが待ってる。早く行かないと」
アミの名前を出されては、リクはひとまず折れるしかなかった。
アミ・オオトリ。リクと一緒に召喚されて、この世界にやって来た女の子だ。アシュトーリアの統合学園に入学するにあたり、大人の事情で離ればなれになってしまった。
基本的にリクは、アミのことを一番気にしている。ミラフェイナはリクのそばにいて、そのことを痛烈に感じ取っていた。
「……ミラは貴族科じゃなかったの?」
神学科の白い制服に袖を通しながら、ミラフェイナの姿を見てリクが言った。
黒を基調としたフード付きのローブとスカートは、誰が見ても魔術師を連想させる制服だ。
「ええ。そうだったのですけれど……。魔力を持って生まれた以上、真面目に学ぶことにしましたの。……実は処刑されそうになった時のために、魔法の練習もしていましたのよ。ゲームのミラフェイナはやらなかったようですけれど、今のわたくしなら、いつかリク様たちのお役に立てるようになりたくて……」
顔を赤らめて話すミラフェイナは事実、ゲームの悪役令嬢とはもう違うのだろう。
リクの行動によって処刑されることのなくなったミラフェイナは、今度は自分の意志で未来を切り拓こうとしている。
「ですから、わたくしも魔法魔術科に編入ですの。アミ様と同じですわ」
成り行きで異界魔術師と発表されているアミも、魔法魔術科に入ることが決まっていた。神学科に入るリクとは、学園でも別々になるのだ。
まるでリクの懸念を分かっていて、ミラフェイナが気を回してくれたようだ。
「……ミラ、あなた……」
「あら、リク様。わたくし、こう見えて親譲りで魔力値は高いんですのよ。ゲームのミラフェイナが怠惰だっただけで、わたくしは違いますわ。ご心配なさらず」
案じるリクの前で、ミラフェイナは得意気に笑ってみせた。彼女はグランルクセリアの魔術師団長の娘だ。魔力値が高いのは本当だろう。無理をしている訳ではないようだ。
「……。そう。ミラが自分で決めたのなら……」
「もちろんですわっ。学園では、アミ様のサポートはお任せ下さいな」
ミラフェイナは自分の胸をポンと叩き、リクに強気の表情を見せた。
「リク様のご心配は、アミ様のことですわよね? 大丈夫ですわ。わたくしがいる限り、アミ様をおひとりにはしませんわ!」
リクとアミが離ればなれになると分かってから、リクはどこか浮かない雰囲気だった。アミのことで責任を感じているのかもしれない、とミラフェイナは思っていた。
リクはいつも他者のために黙って行動を起こす人物だった。
悪役令嬢であるミラフェイナや、その実家であるローゼンベルグ公爵家を何の打算もなく救ってくれた。
また、見ず知らずの苦しむ民たちのために率先して魔物退治に赴く姿は、本物の勇者より勇敢だった。
元婚約者であったグランルクセリアの第一王子に酷い言葉を浴びせられた時も、リクは庇ってくれた。「王子様にはもったいない」と言ってくれた。
そのおかげで顔しか取り柄のなかった暴虐王子から婚約破棄を取り付けることができ、最終的にミラフェイナは呪いともいえる王子との婚約から解放されたのだ。
そんなリクの役に立ちたいと、ミラフェイナは願った。リクがそうしてくれたように。
「……ありがとう。ミラがいてくれてよかった」
「ふふふ、当然ですわっ」
少しだけ本物の悪役令嬢のように、ミラフェイナは「おーほほ」と笑う仕草をした。
それを見たリクはアミに見せる時のように少し笑って、頷いた。
リクを元気付けたミラフェイナは花の綻ぶように笑い、再び胸を叩くのだった。




