プロローグ1:セパレーション
舞台はアシュトーリア王国、首都の南にある学園都市エクスから始まる。
「おっそーい!!」
待ち合わせ場所に指定された貴族御用達のカフェでリクたちを迎えたのは、高飛車な態度の令嬢エリー・ヘイデンだった。
金髪に碧い瞳、流行のドレスと可愛らしい容姿をしている。彼女の態度以外は。
「この私を待たせるなんて、どういうつもり!?」
この日、リクたち一行は馬車でエクスに到着したばかりだった。
ヘイデン家との顔合わせに遅れた理由は、アミの脱走にあった。
街から流れてきたいい音楽に惹かれて、フラフラと出ていってしまったのだ。捜索して連れ戻すのに小一時間ほど掛かった経緯がある。
「……ご、ごめんね。今回遅れたのは、私のせいで……」
「いいや、私の責任だ。私が、もっとしっかり見ていれば……」
「ええっ!? リクのせいじゃないよ! 私が飛び出しちゃったからだし……」
「お、お二人とも、その辺で……」
リクとアミのかばい合いも、なだめるだけのミラフェイナも、エリーを苛立たせるものだった。
呆気に取られていたヘイデン伯爵が、ようやく話に参加した。
「これはこれは聖女様。お初にお目にかかる。本国から遠路はるばる、ようこそおいでになりました。こら、エリー。お前もご挨拶しなさい。……すみません、少々人見知りをする子でして……」
まともに挨拶をしたヘイデン伯爵は、気難しい娘を擁護して苦しい笑顔を見せた。
エリーはフンと鼻を鳴らした後、スカートの裾を摘まんで形ばかりの挨拶をした。
「ヘイデン家のエリーですわ。初めまして、聖女リク様。ミラフェイナ様は、お久しぶりです」
「よろしく」
「お久しぶりですわ。エリー様も、お元気そうで何よりですわ」
エリーは『聖女の器』であるリクと、格上の公爵令嬢であるミラフェイナには挨拶をしたが、無名の異界人アミには目もくれなかった。
「お、同い年なんだよね。よろしくね」
「……」
アミが直接挨拶をしても、エリーはつんと澄ました顔でそっぽを向いてしまった。「こら、エリー」と伯爵に言われても知らんぷりである。
「ありゃ。人見知り……、かな。私は気にしてないよ。これから、よろしくお願いします」
アミは笑顔を崩さず、ヘイデン伯爵たちにぺこりと頭を下げた。
国外のアムリタ統合学園へ入学するにあたって、リクとアミは後見人を選ばなければならなかった。
ミラフェイナの父、ローゼンベルグ公爵がリクの後見人となるのは自然な流れであった。リクの働きで公爵家が没落を免れた経緯があることを除いても、公爵とその娘ミラフェイナはリクを慕っていたからだ。
そうなると、アミの後見人には別の貴族――それも国王派のローゼンベルグ家とは反対の貴族派が望ましい、ということになった。いわゆる大人の事情である。
同時期に子弟がアムリタ統合学園に通っており、爵位がある程度高い貴族派の家門ということで白羽の矢が立てられたのがヘイデン伯爵家であった。
ヘイデン伯爵は快く後見人を引き受けたというが、娘エリーの態度を見るに本心はどうか分からない。
顔を上げたアミのそばに寄り添い、リクが言った。
「……伯爵様。この子は、私と運命共同体なんだ。くれぐれも、よろしく頼む」
「わたしくからも、お願い致しますわっ!」
リクが頭を下げると、ミラフェイナも追随した。
驚いたヘイデン伯爵が、顔の前で手を振った。
「いやいや。そのように畏まらずとも。後見人として、責任を持ってアミ殿をお預かりします故……!」
「それならよかった」
「で……では、行きましょうか。我が家のタウンハウスに案内します」
伯爵はリクに釘を刺され、言質を取られた形になる。それ以上下手なことを言う前に、退散を決め込んだようだ。
「じゃあ、ここで二人とはいったんお別れだね」
たった一つのキャリーバッグを持って、アミはヘイデン家と一緒に席を立つ。
「お別れだなんて。三日後には学園でお会いできますし、それにわたくしたちのタウンハウスもそう遠くない地区にありますわ。いつでも遊びに来られますわ!」
ミラフェイナが元気付けるように言う。アミはにっこり笑って頷いた。
「アミ」
アミたちがヘイデン家の馬車に乗り込む直前、リクは駆けて行ってアミの手を握った。
「……ごめん」
「もう。何、謝ってるの」
「……」
リクは、それ以上何も言えなかった。
スキルの乏しいアミが今まで恩恵を享受できていたのは、『聖女の器』であるリクと一緒にいたからだ。リクと離れては護衛も付かなくなるうえ、最初の鑑定で軽んじられたのと同じ現象が行く先々で起こるだろう。
ヘイデン家の馬車を見送った後、リクが呟く。
「……あのエリーって子、仲良くなろうって感じじゃなかった」
おそらく、人見知りという話も嘘だろう。リクやミラフェイナには普通に挨拶していた。
「そうですわね……。でも、今はどうにもできませんわ。何か問題でも起これば、それを理由にわたくしたちローゼンベルグ家がアミ様を引き取るように動くことも可能でしょうけれど……今は……」
大人の事情であるが故に、今はどうにもできないのだ。リクはグッと拳を握った。
この状況を、リクは防ぐことができなかった。大人の事情に負けたのだ。
「私にもっと実績があれば……」
「そんな! 魔の森開拓は、これ以上ない実績ですわ! リク様たちは、まだこの世界に来て半年ほどしか経っていませんのよ!?」
「そんなのは理由にならない」
「リク様……」
リクがそこまでアミに固執する理由は、果たして同じ異界人だからというだけだろうか。考えても、ミラフェイナには分からなかった。
家族と引き離されて異世界に放り込まれれば、同郷の友はかけがえのない存在になるのだろう。他人にはその程度にしか分からないことが、ミラフェイナは少し寂しかった。
ヘイデン家のタウンハウスで一人部屋に案内されたアミは、部屋の外でエリーとヘイデン伯爵たちが言い争っているのを聞いていた。
「お父様! 何でうちは聖女じゃなくて、あんなおまけなのよ!? あんなのに、あの部屋はもったいないわよ!」
「そうは言うが、王家とローゼンベルグ公爵家の手前、軽んじる訳にもいくまい」
「私、知ってるのよ!? あのおまけは、大したスキルも持ってないんでしょう? 魔の森で功績を挙げたのだって、あのリクって聖女にひっついてたからよ! あんなおまけを押しつけられるなんて、ヘイデン家がバカにされてる証拠よ! 許せないわ!!」
「ちょっと、何の騒ぎ?」
「お母様からも何か言ってやってよ! あのおまけに来客用の部屋を与えるなんて!」
ヘイデン夫人とみられる女性も加わって、話はまだ揉めそうだった。
自分のせいで他人が争っている――の、すごく嫌なパターンだとアミは思った。
「うーん……。索敵と結界術は認めてもらったんだけどなぁ。まだ足りないかぁ」
アミはドア越しにヘイデンファミリーの話を聞きながら、難しい顔をした。
冬の初め、まだグランルクセリア王国にいた頃にアミは魔術師団でスキルの再審査を受けた。異世界の技能は鑑定では測りきれないという理由でだ。
そこで『索敵Lv.4』と『結界術Lv.2』が認められ、正式な認定書も出されている。
認定書をギルドへ持っていけば、能力持ちとして冒険者登録ができると副団長のクライドが言っていた。
それらの努力は、ヘイデン家には伝わっていないようだ。
《魔法魔術科で実際に良い成績を取りましょう》
空気の読めない明るい声色で、AIイリスが言った。
アミが2048年の地球から持って来た個人端末に搭載されている、パーソナルAIである。この世界では、人工の妖精として通っている。
「良い成績どころか、落ちこぼれる気しかしないよぉ……」
《大丈夫です。新しいプログラムを受信しました》
「えー? プログラムー? ここ、異世界だよ?」
電波通ってないよーと、アミが言う。端末の電波状況を示すマークは、ずっと圏外なのだ。
しかし、AIイリスはあっけらかんと続けた。
《ネットワークは見付かりませんが、お空の上からデータが飛んできました》
「もういいよ、そういうのは……」
AIイリスの冗談に付き合っている場合ではない。嫌われていても、しばらくはこの屋敷で暮らさなければならないのだ。
アミはそっとドアから離れ、荷ほどきを始めた。
ヘイデン家のあの様子では、夕食には呼ばれないかもしれないなとアミは思った。




