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王に報告すると言って宰相が護衛騎士を伴って退室した後、状況を見守っていたアミが慌てて振り向いた。
「リク……! 宰相さんにあんなこと言っちゃって……っ。私なら平気だって……」
リクは心配するアミの両手を握り、大丈夫だと示すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「あなたをないがしろにするようなところで働く訳にはいかない」
「で、でも。もしリクの立場が悪くなったら……っ」
「そうなれば出て行くだけ。……言ったでしょう。この先ずっと一緒だと。私たちは運命共同体なのだから」
「リク……。ごめんね。ありがとう……」
至近距離で覗き込むアミの瞳は薄い涙の膜が揺れていたが、まだ途惑いや遠慮の色が強く見受けられる。完全な信頼を得るには、もっと時間が必要だろう。
「……あ、あのう……」
二人の世界に入ったようにしか見えないリクとアミに話しかけるのに、公爵令嬢ミラフェイナは随分と勇気を振り絞らなければならなかった。宰相と一緒に退室せずに部屋に残っていたのだ。
「ミラフェイナさん? どうしたんですか?」
「何か?」
きょとんとするアミと、涼しい顔で振り向くリク。二人の雰囲気が妖しいものではないことに安堵してから、ミラフェイナはようやく二人に気付いてもらえたことでおずおずと近付いた。
「その……。リク様、アミ様。つかぬことをお伺いしますが……『光の乙女』をご存知なかったのでしょうか……?」
「ええ、そうね」
「私たち異界人は知らないのが普通じゃないかな。向こうの世界にも聖人とされる人はいるけど『光の乙女』はこの世界の伝説でしょう?」
簡潔すぎるリクの答えを補うようにアミが言った。
「いえ……そうではなく……」
ミラフェイナは両手をもじもじさせながら口篭もる。
質問の意図が読めないリクが聞き返した。
「私たちが知っていると思ったの。何故?」
「そっ、それは……」
公爵令嬢は途端にしどろもどろとなり、目が泳ぎ始めた。
「そうですわよね。知らなくて当然ですわよね。おほほほ……」
ミラフェイナはごまかすように笑ったが、すでに誰が見ても怪しい。「ならば何故尋ねたのか」と追求することは簡単だが、それでは令嬢の警戒心は解けないだろう。
リクが気付かれないようチラリとアミを見ると、彼女もミラフェイナの不自然さには気付いているようだった。ならばとリクはひと言追加した。
「あなたが知りたいのは異世界についてのこと?」
「……!」
何食わぬ顔で投げられたリクの質問に、ミラフェイナはぎくりとした。
「違った? じゃあ何だろう……」
真面目顔で追求モードに入りそうなリクに対し、ミラフェイナは滝のような汗を流した。
「お おお待ち下さいっ。わたくし、ヒロインに逆らう気は毛頭ございませんの。は、白状致しますとも!」
「……ヒロイン?」
「わたくしが知りたかったのは、お二人とも『ななダン』……乙女ゲームの『光の乙女と七人の伴侶』をプレイしたことがないのかということですわ」
意を決して吐き出された公爵令嬢の言葉に、リクとアミは目を見合わせた。
「今、ゲームって言った?」
リクの問いで気付いたであろうアミもハッとした顔をした。この世界にも娯楽がない訳ではないだろうが、二人の知る意味のゲームであれば令嬢の口から出るはずのない単語となる。
「わ、わたくしミラフェイナ・ローゼンベルグはこの世界で生まれ育ちましたけれど、前世の記憶がありますの。わたくしの前世はシズカ・サクライといって、化粧品会社に勤めていたOLでした。二十四歳の時に死んでしまって、この世界に転生したのですわ」
「――――!!」
リクとアミの顔が驚きに包まれ、二人の両目が同時に見開かれた。
「じゃあ元地球人ってこと?」
「そういうことになりますわ」
「驚いたな」
あまり驚いたように見えない顔でリクが言った。
「それでその生まれ変わりと、その何とかってゲームとどう関係するの?」
こほん、と咳払いをしてミラフェイナは続けた。
「……そうですわね。ここからが重要ですの。わたくしのミラフェイナという名前や姿も、このグランルクセリアという国も、そしてお二人が昨日儀式場でお目にかかった第一王子コルネリウス・セレス・グランルクセリア殿下も、前世で死ぬ前によくプレイしていた乙女ゲームの登場人物そっくりですの。わたくしと殿下が婚約している設定も、昨日という日に『光の乙女』であるリク様が召喚されたことも……」
ミラフェイナは想いに耽るごとに、苦虫を噛み潰したような顔になる。
少し思案してからリクが問う。
「ここがゲームの世界ということ?」
「そこまで断言はできませんわ。『光の乙女と七人の伴侶』……通称『ななダン』に登場しない人々がたくさん街に暮らしていますし、それにわたくしの知る限り別の――」
その時、扉がノックされ数人の侍女が客間に入ってきた。
「リク様、アミ様。午後から式典ですのでお召し替えのご準備を」
「あら、もうそんな時間?」
二人はあっという間に侍女たちに取り囲まれた。
「式典とは」
「召喚の成功を祝う式典ですわ。本当なら勇者降臨式典だったのですけれど、そのまま『光の乙女』の降臨記念式典になりますわ」
「召喚は失敗と言っていなかっただろうか……」
「まぁリク様。『光の乙女』の降臨は大成功ですわよ」
「えーっ、私も?」
「まぁアミ様。お二人は同列じゃないですか」
ミラフェイナがにっこりと笑う。
二人が為すすべなく衣服をひん剥かれていくさなか、突如として謎の音声が響き渡った。
《――ケ警告。ケイ告。手ヲ触れナイでクダ下さサイ。従わなケレバ攻撃しマス》
「なっ、何!?」
パリッと電流が走り、侍女たちは恐れおののいてリクからぱっと離れた。
《コウゲ攻撃マス》
「これって……」
確かに至近距離から聞こえる女性の声の出所が分からず、侍女たちはアミからも離れた。
アミは訝しげにリクを見た。リクは珍しくしまった、という表情で首元のチョーカーを触った。
「やめなさいエリヤ。この人たちは敵じゃない」
《テて敵》
「敵じゃない。おそらく着替えを手伝う人たち。学習して」
《ガクシュ……》
女性の人工音声が止み、放電が収まるとリクは「はぁ」と息を吐いた。
「ごめんなさい。私のパーソナルAIよ。ここに来る前に壊れてしまって。おかしいな……。衣服や身体の傷は治っているのに」
「ぱーそなるえーあい?」
何のことか理解できずにいる侍女たちと同じく、ミラフェイナも度肝を抜かれていた。
驚いていないのはアミだけだった。
「やっぱり、エリヤシリーズの声だ。リクのだったんだね。そういえば、あの場所に来るまでの怪我とかは神様が治してくれたって言ってたよね。事故に遭ったはずの私も傷一つないし……」
自分の身体を見ながら呟いたアミの言葉に、「事故!?」とミラフェイナが目を丸くする。
「だ、大丈夫ですの?」
「うん。怪我や壊れた持ち物とかは直ってたんだけど……。リクのAIが壊れたままなのは、どうしてなんだろう?」
リクは緩やかに首を振る。
「……分からない。端末の傷は消えているみたいだ」
チョーカーの宝石を触りながら、リクが言った。
「アミの端末は平気?」
「私のAI……どうなんだろう。実は端末変えたばかりで、まだ初期設定してなくて」
「それでよく街を歩けたわね……」
「う……そのせいで事故ったのかも……」
二人の話す内容がさっぱり分からず、侍女たちは困惑気味だ。
「壊れてるかどうか、立ち上げてみないと分からないな……って、あれ? 私の端末がない!?」
何気なく喋りながら、自分の左手首に何も嵌まっていないことに気付くと、アミが急に焦り始めた。
「タンマツ……?」
侍女たち外野は相変わらず何のことだか分からない。
「知りませんか? 私の腕輪……さっきまでしてたのに」
「ブレスレットですって?」
二人の話にはついて行けていないが、アクセサリーの盗難となればミラフェイナはピンときて侍女たちを睨み付けた。
「あなたたちね。さっさと出しなさい! 全員クビにしますわよ」
「ご、ごめんなさい!」
侍女のひとりが布の隙間から腕輪型のウェアラブル端末を出し、アミに返した。ミラフェイナはその侍女を部屋から追い出した。
この程度の盗みを働く人々がいるとなると、やはり文明レベルが地球よりも遅れているようだとリクは推察した。
《おはようございます、マスター。私に名前を付けて下さい》
「ひぃっ」
「また別の声が」
今度は男性の人工音声だ。端末が持ち主の手に戻ったことで初期設定が再起動したようだ。
「ま、まさか男が忍び込んで?」
「ここは『光の乙女』様の部屋ですよ!」
「衛兵を呼んだ方が」
正体を知らない侍女たちが途惑っている。アミが慌てて説明した。
「あ、ええと……。これは本当に人がいる訳じゃなくて、人工知能の声だから」
「人工……知能……?」
侍女たちは互いに顔を見合わせるが、訳が分からないといった面持ちで首を傾げている。
待ちぼうけを食っているパーソナルAIが、律儀に再度持ち主へ呼びかけた。
《マスター、名前を》
「うわっ。な、名前ね。はいはい。デフォルトでいいよ」
《分かりました。それでは声を選択して下さい》
「それもデフォで」
《選択を確認。私の名前はイリスです。……マスターの生体データを確認しました。設定を終了します。……マスター、ネットワークが見付かりません》
「うん……。ここ、ネットないんだ」
《どこの孤島でしょうか?》
「あはは……」
お約束のセリフに、アミは乾いた声で笑った。
「私のAIは壊れてないみたい……だね」
《私の機能は正常です》
得意気にすら聞こえる男性の音声に、侍女たちは未だに戦々恐々としている。
侍女のひとりが尋ねた。
「あの……。この声は本当に人がいる訳じゃないと仰いましたが、誤解されませんか?」
「それもそうですわね。女性の部屋から男性の声が聞こえれば、あらぬ誤解を生むかもしれませんわ。先ほどの女性の声だとしても、知らない人間を手引きしていると思われれば厄介なことになりかねませんし……」
唸り声を上げながらミラフェイナが答えた。皆の視線が異界人二人に集中する。
アミが困ったように顔の前で手を振った。
「そ、そんなこと言われたって。私たちの世界ではAIは当たり前の存在だったし……」
アミが助けを求めてリクを見たが、リクは無言で首肯しただけだった。
「アミ様。異世界を知らないこの世界の人々が聞いても違和感のない『設定』を考えませんと」
前世で地球の知識のあるミラフェイナが、それとなく提案した。アミが頷き、口元に手を当てながら考える。
「設定……。えっと……人工知能が分かんないんだよね。何て説明しよう……。AIっていうのは人間が作り出した、すごく頭の良い――賢い妖精みたいな存在だよ。私たち人間を色々な面でサポートしてくれるの」
《賢い妖精ですか。その表現、とても気に入りました。素晴らしいです、マスター》
AIイリスが絶賛した。
「それですわ!」
閃いた、とミラフェイナが人差し指を立てた。
「この声は妖精なのですわ。アミ様の異界魔術で作られた、人工の妖精。そしてお二人の持つアクセサリーは、異界魔術の魔導具! ……異世界の技術で作られたのなら間違ってはいないでしょう」
「え? まぁ……科学を異界魔術って言うならそう、かな?」
アミが深く考えずに答える。ミラフェイナが納得したように両手を合わせた。
「ではそういうことに致しましょう。……あなたたちも、人に聞かれたら異界魔術で作られた妖精だとお答えなさい。いいですわね?」
「はっ……はい!」
ミラフェイナが侍女たちに言い聞かせ、この話は一件落着となりそうだ。