まくあい語り ◎
ある場所に設置された巨大モニターには、別の世界の出来事が映し出されていた。
――ヒロイン裁判、審理、判決……そして執行。
インクイジターの記録を見終えた語りべは、背もたれにゆっくりともたれ掛かる。
「始まったな」
満足げな表情の語りべは、今回は何も語らないのかもしれない。
脇に控えている男が、ちらちらと語りべを気にしながらも心配そうに口を開く。
「あの仕様は、放置しておいて良いのですか? 今回は上手く切り抜けられたものの……」
「ギベオン」
語りべが口元に弧を描くさまは、美そのものだった。
「そなたが気を揉んでどうする」
「す、すみません……」
ギベオンと呼ばれた男は、師である語りべに笑われると頭を掻いてはにかんだ。
「そうよ、あなた。私たちの主がついておいでなのだから、何の心配も要らないわ」
秘書席で顔を上げた車椅子の女性が、ギベオンを叱咤した。
「あなた、ちょっと修行が足りないんじゃない?」
「そ、そうだなジェン。しかし、ここから見ているとハラハラして……」
車椅子の女性ジェンは、ギベオンの妻である。ある運命をきっかけに、夫婦で語りべに仕えている。
「あなたの気持ちも分かるけれど、ね。最も厄介なヒロインが、まだ動かないのだから。……あら?」
ピロンと音が鳴り、秘書のパソコンに電信が入ってきたようだった。ジェンは上げていた顔を戻してメールチェックを始めた。
ジェンが仕事に戻った隙に、ギベオンは語りべの方へと視線を戻した。
今はモニターから視線を外し、目を閉じている。
「――――」
語りべはその座に着きながら常に瞑想し、あちらの世界で『逆路の神』あるいは『名前の読めない異世界の神』などと呼ばれていた悪しき神の居場所を探っている。
つまり、異世界へ地球の悪い女性たちをヒロインとして送り込み続けている神のことだ。
その神は元々、黙示録の刻まで神界の扉を守っているような、目立たない神だった。それがどういう訳か、ある時から戯れに人々を異世界へ送り込むようになったのだ。
「……っ」
語りべの様子を見て、己の無力さを恥じたギベオンはグッと拳を握った。かの神を探す語りべを、まだ直接手伝うことができないからだ。
ギベオンも修行してはいるが、神々の戦いに参じられるほどの領域には至っていない。
ギベオンは、おもむろに尋ねた。
「我が師よ。最も厄介なヒロインが動かないのは、例の神の企みによるものですか?」
しばらくして、語りべは答えた。
「習性によるものだ」
と。それは微妙なラインではなかろうかと、ギベオンは考えた。
最も厄介なヒロインは、逆路の神に直接操られている訳ではない。だが共通する習性によって、彼女たちは破滅の行動を取るのだろう。
ギベオンは天界の技術で作られた、多次元モニターを見た。まだ異世界アークヴァルトの様子が映し出されている。
各地のヒロインが、欲望のままに周囲の人々を不幸にしていくさまを。
「……師よ。このように異世界の人々が、こちらの世界の神の所業で苦しめられているのは居たたまれません。何か、私にできることはないのでしょうか?」
ギベオンの訴えに、語りべは薄く両目を開いた。
語りべは少し唇を開き、何か言いかけたが途中で軽い微笑へと変えた。
「その答えは、至高者が下さったようだ」
「え?」
その時、車椅子の秘書ジェンが再び顔を上げた。何か困りごとでも発生したかのような表情を浮かべている。
「あの……」
「どうかしたか?」
「差出人の分からないメールが……。ご確認になりますか?」
未来の技術でも、差出人なしで電信を送るのは不可能だ。
「分かっている。出してくれ」
「はい」
ジェンがパソコンを操作すると、語りべの手元の端末に文書のホログラムが立ち上がった。
そこに書かれていたのは、ある物語の題目といったようなものだった。
「……何かあったのですか?」
「読んでみよ」
語りべはひと目で理解したため、それを弟子に読ませた。
「ええと……。何々? 『売られそうな悪役令嬢ですが、大ピンチなので黒幕先生に「買って」と言ったら執着狂愛化!? 人生丸ごと買われて大変なことになった件』……って、何ですかこれは!?」
声に出して読んでしまったギベオンが青ざめる。
「こ、これは……っ。長文タイトル……!?」
同じく秘書席でそれを読んだジェンが震え声を発した。
さっぱり意味の分からないギベオンと、逆に興奮を露わにするジェン。夫婦の反応が対称的で、実に面白いと語りべは思った。
「あちらの世界の令嬢たちは、至高者の祝福に与ったようだ」
語りべの解説にも、ギベオンはきょとんとしている。しかし、妻の方は理解したようだ。
「……ああ! あの悪役令嬢ですね。今回処されたヒロインの乙女ゲームで、悪役令嬢に転生した子の。名前はディアドラちゃんね! 転生前の地球名は確か……、林都華咲ちゃん」
「よく覚えているな」
ギベオンは気後れしながらも、ジェンに感心した。ジェンは両手を重ね合わせ、目を輝かせて言った。
「とってもロマンチックだったわぁ。ゲームの悪役令嬢に転生して、シナリオ通りなら断罪されて為すすべなく退場するところを、本当の運命の人に救われるなんて……!」
「救われたのは、インクイジターのおかげだと思うが……」
「あら。確かにそうだけれど、ヒーローの証拠がなかったらヒロインを追い詰めることはできなかったと思うわ!」
「それは、まあ……そうか」
笑顔のジェンを見て、女性ってロマンスとかそういうの好きだよなとギベオンは思った。
しかし、はたと気付く。
「そ、それと私にできることとの関連性は……!?」
「そなたは、もう少し余裕を持てということだ。偉大なる至高者が、物語を愉しむようにな」
「ぐ…………」
くすくすと、後ろでジェンが笑っている。
いつも落ち着きを持てと師に言われているのに、何百年経っても成長しないのだ。
笑われて顔を赤くしながらも、ギベオンはなおも語りべに縋った。
「し……しかし、師よ! 私はどうしても異世界の人々のために、何かしたいのです!」
「では、インクイジターに補助を授けることを許可する」
「ありがとうございます! それなら私は……」
語りべは答えると再び目を閉じた。
師の許可を得たギベオンは喜び勇むが、ある問題に気が付いた。
「うん? いや……待てよ。インクイジターは、すでに師の祝福とスキルを授かっている……。正直、私の出る幕は……」
「ないわね」
「そんな……」
ジェンが悲しい事実を突きつけて笑い、ギベオンはしおれるように脱力した。
「何かないものか……。インクイジターに力を与え、人々の助けになる何か……」
諦めの悪いギベオンに、ジェンが手招きをした。ギベオンは近付いて秘書席のパソコンを覗いた。
「力を授けるのはいいけど、現状ヒロインや例の神に気付かれないようにしなければダメよ」
「そうだな。そうすると、目に見えるスキルやアイテムはやめた方がいいな……」
「こういうのはどう? あなたの力を体系化したものだけれど」
「おお! これは……!」
ジェンが画面に映し出したものを見て、ギベオンは感嘆した。
「さすがジェンだ。あなたはいつも、私の気付かないことに気付いてくれる」
「お褒めに与り、光栄だわ」
「よし。これを送ろう」
「そうしましょう」
弟子夫婦の会話を聞きながら、語りべは悪しき神の探索を続けた。
――こうしている間にも、異世界には身勝手な魂が送り込まれている。
悪しき神に選ばれたヒロインたちは、等しく身勝手である。
彼女たちによって、異世界に混沌がもたらされようとしている。
語りべは約束しよう。
インクイジターが、混沌を阻止すること。
悪しき神を見付け出し、この語りべがそれを討つと。
悪しき神の名は――……。
間もなく、語りべの名と共に現れるであろう。
※幕間=まくあい
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◎語りべ:???
弟子1:ギベオン
秘書:ジェン 車椅子の女性 ギベオンの妻
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【1】
『売られそうな悪役令嬢ですが、大ピンチなので黒幕先生に「買って」と言ったら執着狂愛化!? 人生丸ごと買われて大変なことになった件』
ディアドラだけを主人公にして書いたら、
たぶんムーンライトにしか載せられない代物になりますね……汗




