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一方、大公家の馬車の中。
ディアドラは遠ざかっていく友人たちを窓から眺めていた。
すでに出国の準備や学院の転出手続きは終えており、当面の荷物も馬車に積んである。
このまま寮にもフラウカスティアのタウンハウスにも戻らず、ディアドラはこのシェイドグラム大公家の馬車でアシュトーリアへと旅立つのだ。
アシュトーリアの大公ガルフィデルヘルム・ラムザ・シェイドグラムといえども、惚れた女の前では形無しだった。
所在なげに思い付いたことを口にしてみる。
「見たか? あのローゼンベルグ令嬢も、最後まで気付かなかったぞ」
「……そう、ですね」
「普通は、そうなるものだ。一目で見抜いたお前が特別なんだ」
「そうでしょうか? よく見れば、気付くと思いますわ」
それはガルフィデルヘルムにとっては嬉しい言葉であったが、ディアドラはまだ窓の外を見つめている。
「お前も最後まで秘密について言及しなかったな」
「……はい」
友人たちと別れて元気のないディアドラに話しかけるが、答えは揮わない。
いつまでも窓に張り付いているディアドラを見つめながら、ガルフィデルヘルムは一種の昏い情念を感じていた。
ディアドラは友人たちと別れた王宮の方をずっと見ている。これでは嫌々連れて行かれているようにも見える。
「……そんなに来るのが嫌だったか?」
「え? いいえ?」
窓から顔を離したディアドラは、けろりとした顔で振り向く。
居住まいを正し、正面に座り直す彼女は相変わらず所作の美しい完璧な令嬢だった。元より、育ちの悪い子爵令嬢などに負けるいわれはなかったのだ。
「多少、新しい環境への不安はありますけれど。私にはフィ様がいらっしゃいますから、怖くはありませんわ」
「フィ様?」
「あの、先生とのあいだを取って……。お嫌でしたか?」
「いや……。好きに呼べばいい」
ディアドラはフィデル・ハイドとガルフィデルヘルムの両方を受け入れたようだった。
ガルフィデルヘルムは口元が緩みそうになるのを手で隠し、ごまかすために最近伸ばした顎髭を触った。
「どうだ? お前の好みに合わせて、伸ばしてやったぞ」
ディアドラは頬を花のように染め、溜息を吐いてからハッとする。
「……先生と同じお髭です」
「これが好きなんだろう?」
「私は……」
ディアドラは先を言うのをためらい、少し空けてから言葉を継ぐ。
「お髭ではなく……。私は、あなたが好きなのですわ」
人生丸ごと買ってやった花から告白を受けて、ガルフィデルヘルムは満ち足りた気分で笑った。
「ははっ。……そうか」
「はい」
柔和に微笑むディアドラは、相当可愛い妻になりそうだった。
馬車に揺られながら、おもむろにディアドラが口を開いた。
「ひとつ、お伺いしたいことが」
「何だ?」
「フィ様がこちらにいらっしゃるあいだ、学院の先生はいなくなってしまうのですか?」
「気になるのは、そっちか」
「とても重要なことですわ」
真面目な顔で言うディアドラは、本当に真剣そうだ。
ガルフィデルヘルムは、種明かしをした。
「何も変わらない。私でない時は、別の者がフィデル・ハイドをやっている。他の顔もそうだ」
「そう……だったのですね」
「ああ。お前は偶然、私だった時に会っていたというだけだ。私の目と耳は、世界中の至る所にある」
何度もまばたきをして話を聞きながら、ディアドラは静かに尋ねた。
「私は、そのことについて聞いてもよいのでしょうか」
「……どういう意味だ?」
ガルフィデルヘルムは声のトーンを落とす。
この時、ガルフィデルヘルムが言外に隠した質問は「聞くのが嫌になったか?」ということだった。
ディアドラは一瞬答えをためらうような表情をした。
しかし意を決するように、胸に手を当てて言った。
「フィ様の裏のお仕事が……たとえ後ろ暗いものであったとしても。私は、お手伝いしたいと考えています」
強い意志を湛えて宣誓するような彼女は、光り輝くほど美しく見えた。
返ってきた答えが思いのほか嬉しいものだったため、ネガティブな答えを予想していたガルフィデルヘルムは半ば驚いてディアドラを見つめ返した。
「いいのか? 闇ギルドだぞ?」
『ナインアビス』の活動について、ガルフィデルヘルムはまだそれとなく伝えていただけだった。
「はい。フィ様のお役に立てるなら喜んで」
「……後悔するなよ。お前を逃がすつもりはないからな」
ディアドラは、きょとんとまばたきをした。
「それは、こちらのセリフです。私を買って下さったのは、せんせ……フィ様です。これは呪いの品ですわ。捨てても売り飛ばしても、帰ってきてしまいますわ。もう手遅れです」
「のろ、い……?」
自分を指して大真面目に言うディアドラに、呆気に取られたガルフィデルヘルムの昏い情念は吹き飛んでしまった。
「はっはっはっは! そいつはいい。私以外に取り憑くなよ」
「もちろんですわ」
可愛い婚約者からの清々しい宣言もあり。
この後のガルフィデルヘルムは、よく笑った。




