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底冷えのする石畳からは、血と錆のにおいがした。
ベッドも窓もない王宮の地下牢で、ユレナは魔封じの枷を手足に嵌められ閉じ込められていた。
見張りが持って来た粗末な食事を、怒りに任せて壁に叩き付けた。
「……こんな腐ったモノ、食べられる訳ないでしょう!!」
カビの生えたパン切れと、傷んで変なニオイのするスープ。ここではそれが当たり前なのか、見張りは静かにしろと怒鳴りながら戻って行った。
床に散乱した食べ物ですらない生ゴミは、誰にも片付けられずに異臭を放つばかりだった。
「……ちくしょう。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!! 何で私がこんな目に!! ヒロインの、この私が!!」
手足の枷によって魔力を封じられているため、ユレナは『魅了』はおろか如何なる魔法も使えない。
大声を出して暴れてみたり、泣き落としも通用しなかった。
子爵家にも見捨てられ、頼みの男たちは全員魔法が解けてしまった。
誰もユレナの味方は、いなくなっていた。
このままでは国王の裁決通り、三日後にはギロチンにかけられてしまう。
ユレナは恐怖で頭の中が渦を巻いていた。
「死ぬのは悪役令嬢の方なのに……! 嫌よ死にたくない。死にたくない! 何でヒロインの私が私が私が……ッ!」
ユレナは考えもしない。
同じ恐怖に悪役令嬢のディアドラは、ずっと堪えてきたことを。
どれほど時間が経っただろうか。
窓もない地下牢では、時間など分からない。
――ある時、何の前触れもなく。
虚空に凝縮した光の玉がユレナの前に現れ、魔導通信の音声が響き渡った。
『……こんにちは、ユレナ。何だか大変だったみたいね。ご機嫌斜めかしら?』
同じ年頃の、落ち着いた若い娘の声だった。
ユレナは通信用の魔導具など身に付けていない。この声は高い魔法技術と絶大な魔力により、一方的に開かれた魔導通信であった。
冷たい石床の上でぐったりとしていたユレナは、その声を聞いてがばりと飛び起きた。
「この声は……! ニム!?」
『久しぶり。そっちは元気……、とはいかないわね。牢屋の中じゃあ……』
「……っ!」
ニムと呼ばれた相手は、ユレナの現状をすでに知っているようだった。ユレナは驚いたが、今は細かいことを気にする余裕はなかった。
「聞いてよ! ヒロインなのに、私……っ」
『ええ、聞いたわ。インクイジター、なんてものが現れたんですって?』
その名称を聞いた途端、ユレナは自分の身に起こった身の毛もよだつ体験を思い出して身震いをした。
「そ……そうなの。急に現れたと思ったら、裁判だとか何とか言って! 『法廷』っていう訳分かんない場所に飛ばされたの! せっかく悪役令嬢を追い詰めてたのに、全部ぶち壊しにされたのよ!!」
『そう……。ヒロイン裁判、だったかしら。どうしてこの世界の人間が、その単語に行き着いたのかしら?』
その言葉を聞いたユレナは、裁判でインクイジターが語ったことを思い出した。
「あ……あの人、異世界のこと知ってるみたいだった。でも、転生者じゃないって……」
『どういうこと?』
「知らないわよ! 神々がどうとか言ってたけど……」
『……つまり、この世界の神々から異世界の情報を得ているという解釈でいいのかしら?』
「そうね、そんなようなこと言ってたわ」
『それは……私たちヒロインにとっては、由々しき問題ね』
あまり頭の回転がよろしくないユレナは、ニムが言わんとするところをすぐに理解できなかった。
「えっ……何?」
『ユレナ、あなた狙い撃ちにされたのよ。ヒロインだからという理由で、粗探しされたとみるべきだわ。まぁ、実際にあなたがダメなことをやっていたものだから、結果的にこうなった訳だけれど』
「は……? ちょっと、どういう意味よ!?」
ユレナは思わず憤慨して声を荒げた。
遠くで地下牢の見張りが、「おい、うるさいぞ黙れ!」と怒声を飛ばした。あまり騒ぐと、また殴りに来るかもしれない。ユレナは口元を押さえ、冷や汗を掻く。
ニムの方は、冷たい声色になって言った。
『ねぇ、ユレナ。私、最初に言ったわよね? 『魅了』は、ハズレスキルだって。使うべきじゃないと、教えたわ。……何故、忠告を無視したのかしら?』
「そっ、それは……」
威勢よく言い返したものの、逆に諭されたユレナは言い淀む。
しかし反省のないユレナは、質問に質問で返した。
「そんなこと言ったって、私たちに『魅了』のスキルを与えたのは神様じゃない。与えられたスキルを使って、何が悪いのよ!」
魔導通信の向こうで、ニムが溜息を吐くのが聞こえた。
『ここはゲームや作り物の世界じゃないということも、教えたはずよ。現実的な話、この世界では許可を得ない精神干渉系魔法は罪に問われる国がほとんどよ。私たちがヒロインだから許されるとか、そういう問題じゃないの』
「だ、だって。あの狭間の世界のイケメンも言ってたじゃない。ヒロインに選ばれた私たちには、ロマンスが約束されてるって。幸せになる権利があるのに!」
『それとこれとは、別問題だわ』
ニムはキッパリと言い切った。
ユレナが言っていた「狭間の世界のイケメン」というのは、
序章・プロローグ1に出て来る逆さはてな男のことです。
忘れていた人は、読み返してみてね!
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転生/転移者・攻略対象等まとめ
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