4
自分を庇う黒衣の男の背中を見つめながら、ディアドラもまた彼から目を離せなかった。
(……先生……?)
黒衣の男は笑って、問われた目的を明かした。
「花を買いに来た。国で一番の花をな」
「――花だとぉ!?」
傍若無人な第二王子は、何も知らずに暴言を吐く。
黒衣の男が、肩を竦めて言った。
「目的の花が競りにかけられると聞いて来てみれば……。彼女が衆目の前で婚約破棄を告げられ、拘束寸前だった。これは売りに出されたと判断してもいいだろう?」
「何ィ~~~~~~~!?」
さすがにディアドラのことと気付いたクリスティン王子は、泡を食って焦り始めた。家柄だけのお堅いディアドラに粉をかける男などいないと思っていたからだ。
「悪いが、この花は売約済みだ。このままアシュトーリアへ連れて行く」
「フラウカスティア令嬢を……!?」
これにはアルベール王も驚いた顔をする。
「何だとぉッ!? どこの馬の骨の分際で、王子である私を差し置いてッ! そのようなことが許されると思っているのか!」
よく考えもせずに権力を振りかざし、第二王子がまくし立てる。
驚くアルベール王の隣で、エクリュア王女も興味津々と目を輝かせていた。
「ディアをアシュトーリアへ連れて行くですって! あの方、一体何者なのですか陛下!?」
「……我が国の恩人だ」
アルベール王も、未だ半信半疑といった様子で語った。
「恩人っ!?」
その言葉に、さすがのボンクラ王子も動きを止めた。
「そなたたちには話したことがなかったが……。故王妃が暗殺された時、国外逃亡していた犯人を見付け出してくれたのは闇ギルド『ナインアビス』だった。かつてその情報を元に、国内に燻っていた首謀者を追い詰めた」
「おかあさ……母上の?」
故王妃とは、エクリュア王女と第一王子コルネリウスの実母である。第二王子は側妃の子だ。
「聞いたことがあるわ。首謀者は当時、反国王派の過激思想を持っていた高位貴族だったと……」
「鍵を握る実行犯は、国内の諜報部では何をしても見付けられなかった。魔塔の魔法技術で目を眩ませていたらしいが……。その実行犯が、永世中立国アシュトーリアに潜伏しているという情報をくれたのが『ナインアビス』だ。それがなければ国内の首謀者はおろか、実行犯すら捕まえることはできなかっただろう」
「そんなことが……」
闇ギルドといえばギルド協会の公認を得ない非合法の悪徳ギルドという印象が強いが、『ナインアビス』に関しては東大陸の裏社会を統制しているとも言われている。いわばバランサーだ。
各国の裏情報を掴んでいる彼らに、当時のアルベール王が頼ったのは無理からぬことであった。
「当初、アシュトーリア王家は実行犯の引き渡しを拒否した。中立という立場を守るためだろうが……。その後、『偶然捕まえた』と言って実行犯を生きたまま引き渡してくれたのが、アシュトーリアのシェイドグラム大公だ」
シェイドグラム大公家といえば、アシュトーリアを永世中立国たらしめる陰の功労者とも噂される。アシュトーリア王家が表立って動けない闇の仕事を請け負っているとも。
かつての状況を推察したエクリュア王女が唖然と尋ねた。
「つ……つまり、アシュトーリア王家に代わって大公が犯人の引き渡しに応じてくれたということですか?」
「公式発表では犯人は拘留先から逃げて、国外で我々に捕縛されたことになっているが……。私はそう思っている」
当時を思い出しながら、アルベール王は語った。
エクリュア王女が腕組みをしながら頷いた。
「母上の仇を討つに至る情報と協力……。そんな大恩人がいたなんて、知らなかったわ! 闇ギルドは微妙だけど、その『ナインアビス』とアシュトーリアの大公は私にとっても恩人だわ!」
「ああ。そこにいるのが、紛れもなくその恩人……。アシュトーリアのシェイドグラム大公だ」
国王が手の平を上に向けて黒衣の男を指すと、俄に場がざわついた。
「まさか我が国に来ていたとは……」
「顔と名前が多いものでね」
冷や汗を掻く国王に、黒衣の男は意味深な言葉を言って薄く笑った。
アルベール王は口には出さなかったが、一つの事実を思い出していた。
実行犯の情報を得た時、アルベール王は一度だけ闇ギルド『ナインアビス』の頭領と魔導通信を介して話したことがある。
先ほど大公が口にしたセリフ『我々は、いつでも貴国を助ける準備がある』とは、大公ではなく『ナインアビス』の頭領から発せられた言葉である。
また、その時の『ナインアビス』頭領の声色と、目の前にいるシェイドグラム大公の声が同じであったことは――伏せておいた方がいいだろう。アルベール王はそう判断した。
「大公って……」
淑女らしからぬ呆けた顔で驚きながら、ディアドラが呟いた。黒衣の男は振り返り、ディアドラを見つめながら趣のある仕草で礼を取る。
「こちらの名を名乗るのは初めてだったな。ガルフィデルヘルム・ラムザ・シェイドグラムだ。一目で私を見破ったのは、お前が初めてだぞ」
「……それが本当のお名前なのですか」
「生まれの名というなら、そうだな」
「先生のお名前と似ていますね」
「まあ……なんだ。後で説明するが、ああいうのが多くてな。考えるのが面倒で、適当にもじったのがアレだ」
「ふふっ……。そうなんですね」
笑みを零すディアドラを見つめ、ガルフィデルヘルムは彼女の手を取って手の甲にキスを落とした。
「ディアドラ・フラウカスティア。今この場で、お前に結婚を申し込む」
「……っ!」
場内がさらにざわついたが、ガルフィデルヘルムにとってはディアドラの反応の方が重要だった。
ディアドラは頬をさっと染め、瑠璃色の瞳を煌めかせて見つめ返すものの、すぐに返事をする様子がない。
「私に買ってくれと言ったのは、お前だ。今さら嫌になっても、もう遅い。お前は私の花だ。誰が何と言おうと、必ず連れて行く」
いつもの数学教師のそれとは違う、昏い情念の熱が黒青の瞳に宿っているのをディアドラは見た。夜の海に沈みそうになる、あの瞳だった。
「い……いえ。嫌とか、そうではないのです。私は先生のことが……。どうしたら良いのでしょう」
「ん?」
ディアドラは迷っている訳ではなく、ガルフィデルヘルムとフィデル・ハイドをどのように捉えれば良いか考えている様子だった。
見破ったのだから、同一視はできているはずだ。ガルフィデルヘルムは、もう一押し口説くことにした。
「あっちの姿が好きなら、お前の好みに合わせてやる。ほかにもあるなら言え。できうる限り、叶えてやる。……だから返事をしろ」
ディアドラはプロポーズの答えを急かされていることに、ようやく気が付いたようだった。
「はっ……はい。喜んでお受け致しますわ」
「本当だな?」
「もちろんです。買って頂いて、嬉しいですわ」
ディアドラが微笑むと、ガルフィデルヘルムはその手を強く握った。




