3
前を歩く従者の背中を視界に映しながら、ディアドラは隣を歩く男を気にした。
すると黒衣の男はディアドラの考えていることが伝わったのか、口を開いた。
「――冤罪による婚約破棄。お前の言ったことが、本当になったな」
ディアドラはハッと顔を上げて、黒衣の男を見た。転生仲間やリクたち以外でその話を知っているのは、彼しかいない。
「……ほ、本当に先生なのですか?」
「だとしたら?」
「いつもの雰囲気と違いすぎますわ! 髪の色や、声……それに、素敵なお髭がありません!」
黒衣の男は声を上げて笑い出した。
「はっははは。あっちの姿の方が、好みか?」
「いえ……その。好みとかそういうのではなく……。長く接してきて親しみがあるといいますか……」
曖昧な答え方をするディアドラは、顔にやや赤みが差している。その表情を満足げに眺めて、黒衣の男が言った。
「ひとつ訊く。お前の話にあった、追放されて売られる――の部分は、これからか?」
「……かもしれません」
ディアドラにも正直、どうなるか分からない。すでにゲームの展開はあてにならないからだ。
黒衣の男は小さく唸り、試すような言葉を口にする。
「そうか? 王子様と元サヤって線が濃厚じゃないか?」
「逃げます」
「は?」
被せ気味に、ディアドラは言った。
「絶対に逃げます」
「…………」
「アレともう一度婚約しろと言われるなら、自ら人身売買されに行きますわ。死んでもごめんこうむります」
「はっはっはっは!」
黒衣の男は腹を抱えて笑い出した。ディアドラは面白くなさそうに尋ねた。
「何が可笑しいのです」
「いや? それは無理だと思ってな。この国の人身売買を含めた闇ルートの元締めは、私がシメておいた。誰もお前を売れないし、買えなくしてある。……私以外はな」
「はいぃ?」
人身売買の元締めをシメた?
意味が分からなすぎて、ディアドラは素っ頓狂な声を上げてしまった。
気が付くと、そんな話をしている間に広間を抜けて王の雛壇の前に辿り着いていた。皆の視線が集まっているのを感じて、ディアドラは手で口を覆った。
「も……申し訳ありません」
城の従者が、国王にディアドラの到着を告げる。
国王の隣にはエクリュア王女もいたが、ディアドラと目配せをしただけで言葉を交わすことはなかった。
「おお、フラウカスティア令嬢。……では、こちらの処断を済ませねばな」
国王の前には、平伏して震えているリリーマイヤー子爵とユレナ、そして青い顔をしている第二王子クリスティンがいた。
ユレナに至っては、無惨にも髪やドレスが焼けただれて見る影もない。
先ほどディアドラは『法廷』で、ユレナが真実の白い炎に焼かれるのを目の前で見た。完全に彼女の自業自得だった。
ユレナはディアドラの名前を聞くと振り返り、親の敵のように睨み付けた。
「何よっ……! いい気味だとでも思ってるんでしょう!!」
「……強いて言うなら、あなたが本当に殿下を愛していたら……こうはならなかったのではないか、とは思っています」
「好きよ!! クリスティン様も、みんなのことも、ちゃんと愛しているわよ!! あなたが全部、台無しにしたんじゃない!!」
興奮状態のユレナに、ディアドラはあくまで理性的に話した。
「……あなたの言う好きとは、顔が好みだから侍らせたい、地位や肩書きが自分に相応しいから手に入れたい……。そういったものでしょう。それを愛とは呼びません」
「何よ! あなただって、後ろにイケメンを侍らせてるじゃない!! そんな顔のいいモブを見付けてきて、私と一緒じゃない!!」
ユレナは『花ロマ』のモブであるエリックに『魅了』を掛けて取り巻きに加えた自分と、今のディアドラが同じであると言いたいようだ。
モブ、という言葉にディアドラはぴくりと反応した。
「そんな言い方はやめて下さい。この方は……」
「見苦しいぞ」
しかし国王の不興を買い、二人の会話は中断させられた。
アルベール王が告げた。
「罪人ユレナ・リリーマイヤー、国家転覆を目論んだ罪により斬首刑に処す。執行は明後日、城下町広場にて決行とする! それまで地下牢に繋いでおけ!」
「はッ」
王の命令に応じた兵士が、ユレナを連れて行こうとする。
「斬……首……?」
蒼白となったユレナは、兵士に抵抗して暴れ回った。
「国家転覆? 知らないっ! 私じゃない! 私はただ、ゲーム通りにしただけよ!!」
無知とは恐ろしいものだ。ユレナは無間地獄を告げられた時より必死であった。
あまりに見ていられず、ディアドラは顔を背けた。
「国家元首である王の一族――それも王子を魔法で洗脳し、操ることがそのまま国家転覆に繋がることが分からないなんて……。呆れてものも言えないわね」
わざと聞こえるように呟いたのは、第一王女エクリュアだった。
暴れるユレナは兵によって床に抑え付けられ、ギリギリと歯噛みした。
続けて国王が言い渡す。
「リリーマイヤーは爵位を剥奪。領地は次期領主が定まるまでの間、官吏から代理を派遣することとする。……リリーマイヤーとその妻は、旧領地から出ることを禁ずる。親族に関しては国外へ出ることを禁ずる」
それは平民に落とされたうえで、次期領主のもと一生監視下に置かれるということだ。ユレナの父は平伏したまま、何度も床に額を擦りつけた。
「寛大なお心に、感謝申し上げます……!」
「うむ。だが少しでも怪しい動きをすれば、貴君も処断を免れぬと思え」
「は、ははっ……!」
反逆罪に問われた者を出した家門としては、一族郎党皆殺しにされないだけ甘い処断であるともいえる。
「そ、そんな……」
父親の元子爵が全てを失うのを目の当たりにして、ユレナは初めて現実を突きつけられた気分になった。
罪人が沈黙すると、アルベール王は改めてディアドラに謝辞を述べた。
「すまなかったな、フラウカスティア令嬢。呼んだのは、ほかでもない。王子との婚約の件だ」
「……っ!」
予想していた言葉に、ディアドラは鼓動を早めた。しかし怖じ気づくこともなく、丁寧にお辞儀をして言った。
「そのことでしたら先ほど殿下より婚約破棄のご意向を賜り、慎んでお受け致しましたことをご報告申し上げます」
「なっ……!」
純然たる事実でしかないというのに、第二王子クリスティンは焦った表情でディアドラを見た。
一方、ディアドラの粛然とした振る舞いにアルベール王は感心を示した。
「愚息のしたこと、伯爵家には王家から補償を約束しよう。そなたさえよければ、代わりの婚約者をこちらで手配しようではないか」
国王の申し出に、ディアドラは内心安堵して頭を下げた。第二王子と再び婚約しろと言われたらどうしようかと、肝を冷やしていたのだ。
「それには及びませんわ、陛下。伯爵家への補償も婚約者も不要です。お心遣い、誠に感謝申し上げます」
「そなたは、それで良いのか?」
「はい。私に不満や異議などは、ございません」
「しかし、それでは王家の面目が……」
「……お、お待ち下さい父上!」
口を挟んだのは、クリスティン王子だった。
「私は『魅了』によって正気を失っていたのだ。婚約破棄は、本意ではない! ……なぁ、私たちはやり直せる!」
訴えるクリスティン王子の硬い笑顔が、非常に滑稽だとディアドラは思った。
やり直すも何も、ディアドラは第二王子に興味を持たれたことなど一度もなかった。それこそユレナの介入前から、クリスティン王子はディアドラに冷たかった。それは周知の事実である。
「……何を、でしょうか?」
「は?」
「やり直す……と仰いましても、私と殿下のあいだには、やり直すほどのものは何もございません。ですから、再構築など不可能ですわ」
ディアドラは自分で言っていて悲しくなったが、ここで再び婚約させられる訳にはいかない。
「い、一介の伯爵令嬢ごときが、私の申し出に意見するのか! お前は今までのように黙って従っていればよいのだ!」
クリスティンは額に青筋を立てながら激怒した。
いつもの罵倒を受けながら、指先が震えるのをディアドラは感じた。もし婚約者に戻されたら、一生このような扱いを受けるのだ。
何か言い返さなければと焦るほど、ディアドラの震えは止まらなかった。
「一介の第二王子ごときが……私の花を傷付けるとは」
ふわりと黒の外套をたなびかせ、黒衣の男がディアドラの前に立った。
「何だお前は!? 部外者がしゃしゃり出て来るな!」
闖入者に話の腰を折られて機嫌を損ねたのか、クリスティンは唾を飛ばしながら叱責した。
だが黒衣の男は動じることなく、第二王子を相手にせずに国王にだけ伝わるメッセージを告げた。
「何年前だったか……。『我々は、いつでも貴国を助ける準備がある』とは言ったが……。これでは考え直さなければならないな?」
一見何でもないその言葉を聞いたアルベール王は、胸を突かれたように立ち上がる。
「あの者は、まさか……!」
「陛下……?」
何事かとエクリュア王女が国王を見た。アルベール王は、ひどく驚いている様子だった。




