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『花ロマ』のヒロインが国王たちに追及されている。
インクイジターは『法廷』で判決を受けたユレナに、自国でも法の適用を受けよと言った。天界の法だけでなく、人間界の法でも裁けということだ。
リクと見ていたミラフェイナが、神妙な顔つきで呟いた。
「ま……まさか、『ヒロイン』がこんな形で転落することになるなんて……。ゲームでは考えられないことですわ……!」
「ゲームじゃないことが証明されたな」
「ええ。本当に」
リクが言い、ミラフェイナもその認識を強めた。同時に、自分たちはラッキーだったとミラフェイナは感じた。
ミラフェイナの視線を感じたリクが首を傾げる。
「どうかした?」
「い、いえ。わたくしたち『ななダン』のヒロインは、リク様でよかったですわ」
「……そう?」
「はいっ」
リクはよく分からないという顔をした。そんなリクだから、ミラフェイナは満開の笑顔で微笑んだ。
「それにしてもディアたち、遅いですわね。何をしているのでしょう」
『法廷』の映像が消えてから、しばらく経っている。そろそろ出てきてもいい頃だ。
二人が光の扉に視線を移すと、深紅のドレスを着た黒髪の女性が出てくるところだった。
それは間違いなく、ミラフェイナの親友にして『花ロマ』の悪役令嬢ディアドラ・フラウカスティア伯爵令嬢であった。ドレスのスカートを持ち上げ、小走りでこちらへ駆けてくる。
「……ディアっ!?」
「ミラ?」
「やっとお戻りになりましたわ。中で何をしていましたの?」
「そ、それが……。いえ、説明は後にさせて頂きます。私、用事ができましたので失礼致しますわ」
「ええっ!? どういうことですの?」
ミラフェイナは意味が分からずに驚いている。ディアドラが、いつになく瑠璃色の瞳を輝かせて言った。
「すぐに先生を探さなければ! 先生にお伺いしたいこと、お伝えしたいことがたくさんできてしまいました!」
「ええ~!?」
やはり、ミラフェイナは気付いていなかった。
「……アミは?」
一方、リクはディアドラに続いてもう一人出て来るかと待っていたが、扉からほかに出てくる様子はない。
今しがた出てきたディアドラにアミのことを尋ねたかったが、彼女はそれどころではない様子だった。
「先生って、誰のことですの?」
「ハイド教授ですわ。この会場には来ていないようですから、ご自宅を……あっ」
振り向きざまにミラフェイナと会話していたディアドラは、前方に人がいるのに気付かず相手とぶつかった。
「も、申し訳ありません。急いでおり……まして」
慌てて前を向き、謝罪したディアドラは黒衣の男と目が合った。黒毛皮の外套に、上等なスーツを着た男性だ。
月光に照らされたようなシルバーブルーの髪に、奈落のような黒青の瞳。ディアドラは、その色を見たことがあった。夜の海のようだと、何度も思った色だ。
「誰を探している?」
「先……生?」
おかしい。
目の前の男は、明らかに探している人物と姿が異なる。髪の色も声も違う。顎髭もない。
それなのに、何故か彼を感じた。ディアドラが命乞いをした、フィデル・ハイド教授を。
黒衣の男は、瞳だけが教授と同じだった。いつもディアドラを見守っていた、夜の海の瞳だ。
「先生……なのですか?」
「何故そう思う?」
「瞳の色が……探している方と同じなのです。夜の海みたいで……」
「夜の海?」
黒衣の男は首を上げて宙を向き、頭を掻いた。
「そんなこと、初めて言われたぞ」
顔を戻した黒衣の男は、立てた親指で自身を指し、後方にいるミラフェイナに尋ねた。
「おい、ローゼンベルグ令嬢。……フィデル・ハイドに似ているか?」
「え!? 全然似てませんわ! ……え!? えっ!?」
ミラフェイナは目を丸くして、黒衣の男と彼を見つめるディアドラを交互に見た。
ハイド教授といえば、学院の数学教授である。
黒衣の男と比べれば髪の色はもっと暗い灰色で、顎髭もあった。相貌は整った部類に入るのだろうが、派手な見た目のミラフェイナからしてみればパッとしない印象であった。
「何!? 何ですの!? どういうことですの?」
話が呑み込めないミラフェイナは、未だに置いてけぼりを食っている。
その時、城の従者が駆けてきてディアドラを呼んだ。
「フラウカスティア令嬢! 出られたのですね」
「な、何でしょう? 私は今……」
「陛下と第二王子殿下がお待ちです。こちらへお越し下さい」
「……!」
従者は追従を促した。
第二王子と聞いて、ディアドラは躊躇っている。
「行ったらどうだ? 愛しの王子様がお待ちだ」
「わ……私は、あの方に何の思い入れも……。それに、殿下直々に婚約破棄されたばかり……」
「さっきの裁判を理由に、取り消されるかもな」
「そ、それは困りますわ!」
思わず口をついて出た拒絶の言葉にハッとして、ディアドラは自分の口を覆った。
「私は……」
婚約破棄の取り消し。
ユレナが有罪となったのだから、それも十分にあり得る。
しかしディアドラは第二王子との未来など、どうしても想像できなかった。
ディアドラがぎゅっと拳を握り締めているのを見て、黒衣の男が彼女の肩に手を乗せて背中を押した。
「心配なら、付いて行ってやろうか」
「えっ? それは……しかし」
「なに。呼ばれていなくとも、ここの国王を呼びつけられるくらいには権力がある。付いて来い」
「あ、あなたは一体……」
ディアドラは、訳が分からなかった。
権力と言っても、フィデル・ハイド教授の爵位は子爵程度だったはずだ。それが、逆に国王を呼びつけられるとは、どういうことなのか。
ディアドラが決めかねていると、従者が催促をする。
「お早く。陛下をお待たせしては……」
「……分かりました。参りますわ」
ディアドラは覚悟を決め、紅の引かれた唇をきゅっと引き結んだ。
「……ディア! どうしましょう。行ってしまいますわ」
ミラフェイナは戸惑ってリクを振り返るが、リクは首を振った。
「私はここでアミを待つ」
「そ、そうですわよね……」
リクの行動原理は、やはりアミにあるようだ。
リクのそばには護衛のレンブラントや騎士団幹部のアウグストがいる。先ほどの巫女との騒動で、魔術師団長であるミラフェイナの父グレゴールや副官のクライドもその場に留まっている。
これだけの顔ぶれが揃っていれば、リクのことは心配要らないだろう。親友のディアドラの様子を見に行く余裕くらいはあるはずである。
しかし、この時ミラフェイナは何故かリクから目を離してはいけないような気がした。自分でも説明しようのない感覚だった。
「わ……わたくしも、リク様と一緒にアミ様をお待ちしますわ。ディアならきっと、大丈夫ですから」
そんなミラフェイナの言葉に、リクは黙って首肯した。
リクは元々、口数の多い方ではない。だが人のために率先して力を尽くせる人物であることを、ミラフェイナはよく分かっていた。
しかし――リクの一番は、この場所にはないのかもしれないとミラフェイナは思った。
そうしてリクとミラフェイナは、『法廷』と繋がる光の扉を眺めて待つのだった。




