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目映い閃光が収まりかけた頃、何かがどさりと落ちる音がした。その時、女の子の小さな悲鳴が確かに聞こえ、ミラフェイナの鼓動がドキリと早まった。
「――きた……!」
皆が魔法円の中心に目を凝らす。
「痛たた……。うぅ、また落ちたぁ」
「怪我はない?」
「う、うん。ちょっと打っただけ……」
膝をさすっている涙目の女子高生と、涼しい顔でそれを助け起こしているもう一人。光と魔法円が完全に消えた時、召喚された者たちを見てミラフェイナは目を疑った。
(――『光の乙女』が……二人!? そんな莫迦な)
驚愕に包まれるミラフェイナの心中をよそに、儀式場の大人たちは首尾よく動いた。
「すぐに鑑定士を呼べ!」
さすがに身なりで判断できない異界人、それも年若い娘二人とあっては他者の状態やスキルを見通すことのできる鑑定魔法が頼りだ。
鑑定士は即座に飛んできた。
「な……何、この人たち?」
見定められている空気と視線の中、二人の異界人は寄り添い立った。
ひとりは紺のブレザーにプリーツスカート。前世の記憶があるミラフェイナには高等学校の制服だと分かる。
もう一人は丈長のジャケットにシャツと短めのスカートという動きやすさ重視の格好のようだが、いずれもこちらの世界では見られない服装だ。凛とした表情で大人たちを睨むというより観察しているように見えた。
しばらくしてローゼンベルグ公爵が鑑定士のそばに寄って尋ねた。
「どうだ?」
「素晴らしいが……いや、しかしこれは……」
鑑定士には二人のステータスが見えていた。期待する勇者に類似したスキルが確認できるものの、肝心の職業が異なっているようだった。
「どちらが勇者だ?」
「それが……。どちらも勇者ではありません」
「何だと!」
「し、しかしこちらの女性は『光の乙女』でございます! 間違いございません!」
公爵の剣幕におののいた鑑定士が泡を食って言葉を継いだ。指されたのは髪の短い娘の方だ。
儀式場に集まった大臣や官僚、騎士と魔術師たちがざわめき出す。
「『光の乙女』だと……!?」
「勇者を喚んだはずでは」
「待て、『光の乙女』といえば伝説の大聖女では……?」
「だが勇者でないとは、これ如何に」
「――口を慎め! 王の御前であるぞ」
ぴしゃりと喧噪を鳴り止ませたのは宰相シリングスの一喝だった。宰相は公爵に目配せし、筆頭魔術師である公爵は勇者召喚の失敗を悟って顔を歪めた。
「……何か手違いがあったようであるな」
見知らぬ人々に囲まれ困惑している二人の異界人の元へ、宰相と公爵が続いて歩み寄る。
「これは失礼しました『光の乙女』殿。ようこそおいで下さいました。私はこのグランルクセリア王国の宰相シリングス。このたびは……」
宰相が挨拶の口上を述べ始める。
突然異世界に喚ばれたであろう二人と同じくらい、ミラフェイナも驚いていた。
(これはゲーム通りの冒頭ですわ……。でも二人も召喚されるなんて、シズカの記憶で見たことがありませんわ。死んだ後に追加されたエピソード? いえ……あのゲームの制作会社は倒産したはず。続編の話も立ち消えになって、シズカの時にそれはもう残念がった覚えが……。一体、どういうことですの? もう一人は『光の乙女』ではないようですけれど……)
前世のシズカは『ななダン』のストーリーを隠しキャラも含めて全制覇していたが、ゲームの冒頭で複数人が召喚される光景など見たことがない。
仮に前世で死んだ後に追加されたエピソードがあったとすれば、それは全く知らないルートということになる。今までの対策が役に立つのかは未知数だ。
「やっと……見付けた」
「――っ!」
戸惑いを隠せないミラフェイナの耳に、ある人物の呟きが飛び込んできた。それは誰あろうコルネリウス第一王子だった。召喚された二人の異界人の元へ、ふらふらと近寄っていく。長年婚約者を務めたミラフェイナには、彼の様子がおかしいことはひと目で分かった。
「で、殿下っ。お待ちを!」
第一王子とそれを追うように近付いて来た公爵令嬢に気付き、ローゼンベルグ公爵が硬い笑みを見せた。
「これは殿下。ミラフェイナも。……『光の乙女』殿、ご紹介します。こちらが我が国の第一王子コルネリウス殿下と、あなた様にお仕えする我が娘ミラフェイナです。さあ、お二人を陛下の元へお連れしなさい」
「わ……分かりましたわ」
状況が呑み込めず仕舞いだったが、父の公爵に命じられては逆らえない。ミラフェイナはドレスの裾を摘まみ、完璧なカーテシーで礼をした。
「お初にお目に掛かります。わたくしはローゼンベルグ家のミラフェイナと申します。どうぞお見知りおき下さいませ」
「わぁ……。何て綺麗な人なんだろう」
と、『光の乙女』ではない方がキラキラした目をしてミラフェイナを見つめ返した。ミラフェイナはどう反応してよいか分からない。
婚約者の苦悩をよそに、コルネリウス王子は『光の乙女』と宣言された涼やかな印象のする娘の手を取り迫った。
「何と美しい女だ。俺様は第一王子コルネリウス・セレス・グランルクセリア。『光の乙女』よ、そなたの名前を聞こう」
熱い視線を向けられたショートボブの娘はもう一人の女子高生と目を合わせた。そちらは理解しているのか、目を輝かせてうんうんと頷いた。
「……一条リク」
じれったい程の間を置いてから、ショートボブの娘が答えた。
「イチジョウリ……?」
せっかくの名前が聞き取れない王子のように、この世界の多くの人が東洋式の名前に馴染みがないようだ。
「ちなみに私は鳳アミだよ。あっ、リクとアミが名前ね」
自分とリクを指差しながら、もう一人の異界人が補足した。おかげでようやく名前が分かったらしい王子が、気を取り直して口説きを再開した。
「リク嬢。良い名だ。そなたの瞳を見た瞬間、俺様は神々の偉大なる計画を知った。この俺に『光の乙女』を生涯守り、導くという大役をお与えになったに違いない。そなたが聖女であるならば、その道を拓き共に国を守ろうではないか。喜べ、そなたを俺様の妃にしてやろう」
場にいた一同全員に戦慄が走った。
急に求婚しだしたからだ。第一王子が。婚約者のいる第一王子が。もちろん当の婚約者のミラフェイナも例外ではない。
(そ……そのセリフはっ。ストーリー後半で魔獣からヒロインを庇って瀕死の重傷を負ったなか、他の攻略対象に先んじてプロポーズした時にそっくり……! って、何故今ですの!?)
ストーリー後半で紡がれるはずのセリフが、ヒロイン召喚後2分くらいで言われた。
しかし肝心のリクは無反応だった。若干首を捻って考え込み、しばらくして逆の方へまた首を傾ける。
「きさき……切っ先?」
『光の乙女』の反応はどう見ても絶望的だ。外野は一様にして息を呑んだ。
王族の求婚に手応えが得られないという前代未聞の事態に、さすがのコルネリウス王子も分が悪いと気付いたのか、言い直す始末となった。
「光の如く美しい女。……どうか俺と結婚してほしい」
「お断りします」
即決だった。
(いやフるんか――い!)
令嬢であることを忘れて、ミラフェイナが心の中で盛大にツッコミを入れる。興奮のあまり些か呼吸が乱れるほどだった。
公爵令嬢がそんな葛藤を見せるなか、炎の魔力を持つローゼンベルグ公爵も肩を震わせていた。
「殿下……?」
「ヒィッ!?」
ただならぬ様子の公爵にグッと肩を掴まれ、コルネリウスはようやくまずいことをしたのだと悟る。
少し離れた所にある上座から一部始終を見ていたグランルクセリア王が顔を顰めて額を押さえ、首を振った。国王の制止はないと見るや、公爵は第一王子の首根っこを掴み、衛兵に引き渡した。
「殿下はお疲れのようだ。急ぎ医務室へ」
「はッ。こちらへ」
「ま、待て。私は疲れてなど……ッ」
抵抗しようとした第一王子だったが、有無を言わさず連行されていく。そのさまを全員がまじまじと見つめていた。
王族といえど、正式な婚約者のいる身で然るべき手続きも経ずに別の相手に求婚したとなれば、スキャンダルは免れないだろう。
しかしその相手が『光の乙女』であれば、徐々に周囲の理解が追いついてくる。それがゲームの流れであるはずが、メインヒーローがこんなにも早く告白に及ぶ展開をミラフェイナは知らない。それもヒロインが攻略対象をフる展開など。
(開幕から殿下がフラれましたわ……。どゆこと!?)
ミラフェイナは、もはや訳が分からない。
事態を重く見た公爵は青ざめた表情でグランルクセリア王に進言した。
「陛下。お話が……」
「……いいだろう」
国王は大きく溜息を吐き、公爵の要請を受け入れた。
(こ……これはこの後、どうなりますの!? もう完全初見エピソードになってますわよ!? わ、わたくしはどうするのが正解なの……っ? 全く分かりませんわっ……!)
王子の背中を見つめているミラフェイナを、何人かの護衛騎士が心を痛めたように見つめていた。ミラフェイナ自身は頭が混乱して泣きそうだったが、その様が「婚約者に裏切られた哀れな公爵令嬢」に見えていることは本人だけが気付いていなかった。