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ミラフェイナ・ローゼンベルグはグランルクセリア王国の公爵令嬢である。
生まれ持った美貌はさることながら、高位貴族特有の大魔力に恵まれたサラブレッド。そんな彼女が前世の記憶を思い出したのは四歳のことだった。
婚約者となる第一王子コルネリウスとの初顔合わせの際だった。彼の不興を買って噴水に落とされて足を滑らせ、噴水内部の天使像に頭を打った時である。
前世はこことは違う世界――地球という惑星の日本という国に住んでいた。化粧品会社に勤めていたシズカ・サクライという名前の二十四歳のOLだった。社畜として忙しい毎日を過ごしていたある雨の日に通り魔に刺されて氾濫した川に落ち、そのまま命を落としたのだった。
「――そんなのあんまりよ!」
「お嬢様っ!?」
「ミラ……!」
「え……?」
今は亡き夫人と公爵、そしてメイドたちに囲まれて目を覚ました。
天使像で後頭部を打ったミラフェイナは、三日間生死を彷徨っていた。生還したことで医師には奇跡と言われ、死んでいてもおかしくはなかったのだろう。
その後、ミラフェイナは鏡に映る四歳の美少女に驚愕した。何故ならミラフェイナという名前や特徴が前世でプレイしていた乙女ゲーム『光の乙女と七人の伴侶』、通称『ななダン』に出て来る悪役令嬢と完全に一致していたからだ。
「こ……この金髪に青い瞳。それにこの顔は……間違いない。『ななダン』の悪役令嬢ミラフェイナ・ローゼンベルグ……!」
社畜人生で唯一の癒やしだった乙女ゲーム。『ななダン』は、その中でも特にハマって何度もやり込んだゲームだった。
ゲームのストーリーはこうだ。
国中で相次ぐ魔物被害により、国を救うため勇者召喚が行われた。
しかし召喚されたのは勇者ではなく、か弱い乙女だった。
だが彼女は聖なる光の力を持ち、聖女として魔物から国を護るために奔走する。
そんな『光の乙女』を支えたのは国の有力な七人の男子たち。攻略対象と呼ばれる美形のヒーローたちだ。
『光の乙女』は彼らと力を合わせて蔓延る魔物の掃討に成功し、国に平和がもたらされた。
その後、聖女の力を後世に残すため『光の乙女』は力ある男子たち全員と結婚し、光の力を受け継ぐ七人の子供が生まれてハッピーエンドとなる。
その中で山場となるのが、『光の乙女』暗殺未遂事件。
メインヒーローの第一王子コルネリウスの婚約者だった悪役令嬢ミラフェイナが嫉妬に狂って『光の乙女』暗殺を目論み、聖女を害そうとした罪で婚約破棄されギロチンで首をはねられ処刑されるのだ。
「な……な……っ」
一連のストーリーを思い出した四歳のミラフェイナは蒼白となる。
『ななダン』のダンは旦那のダンだ。ヒロインがどの攻略対象をメインに選んだとしても全員と結婚するラストは変わらない。つまり悪役令嬢ミラフェイナはストーリーを盛り上げるために絶対に死ななければならないのだ。
(うそでしょ!? ギロチンなんてイヤよ絶対に死にたくない!)
状況は時すでに遅し。四歳のミラフェイナは一つ年上のコルネリウス王子と婚約してしまった。
「どうして私なのよ!? やっと、今度こそ生還できたのに。死ぬのが分かっているキャラに生まれ変わるなんて……っ」
一時は絶望した。しかし今は前世の記憶がある。この先のストーリー展開を知っているというアドバンテージもある。元のミラフェイナとは違っているはずだ。
「いえ……まだよ。殿下に気に入られずにケガまでさせられたんだもの。今ならまだ婚約を白紙にしてもらえるかも」
そうして死の運命を回避するべく、ミラフェイナの奮闘が始まった。
――十二年後。
運命の時が来た。勇者召喚の儀が行われる日が、ついにやって来たのだ。
場所は王宮内、大魔術を行う儀式の間。
国王や王族をはじめ、宰相や有力貴族、高位魔術師たちが顔を連ねている。もちろん筆頭魔術師の家系であるミラフェイナの父親、ローゼンベルグ公爵もその場にいた。
(ついにこの時が来てしまった……! でも召喚されるのは勇者じゃなく聖女だと知っているのはわたくしだけ……!)
幼い頃からの努力も空しく、ミラフェイナとコルネリウス王子との婚約関係は続いていた。
その後もミラフェイナはコルネリウス王子に気に入られることはなかった。何度も婚約を辞退しようとしたが、叶うことはなかった。
(本当にゲームの強制力なんてものがあるのかしら。もうジタバタしてもしょうがないけれど……)
ミラフェイナはぐっと拳を握った。
どこか表情の優れない娘を公爵が訝しむ。
「どうした? 顔色が悪いようだが」
「……い、いえ。平気ですわお父様。こんな大魔術を目の当たりにできるのは滅多にないことですし」
勇者召喚の術式は太古の神々の時代から継承されてきた数少ない次元魔法のひとつ。
前世では魔法や魔術といったファンタジーが大好きだったので、今のミラフェイナは魔法オタクとなった。ちなみにゲームのミラフェイナは高い魔力にあぐらを掻いてあまり勉強していなかったようだ。
「勇者が降臨すれば、この国も安泰だ。お前は殿下と共に勇者をお支えする役目。忘れるなよ」
「は……はい。分かっていますわ」
返事をしながら、ミラフェイナは国王の横に立つコルネリウスをちらりと見た。
(来るのは勇者じゃない。そしてわたくしは……ただの邪魔者……)
微かに胸が痛み、ミラフェイナは首を振る。
(い……いけませんわ。わたくしはゲームのミラフェイナとは違うのよ。『光の乙女』が現れたら彼女に仕え、殿下との婚約を早々に辞退してお二人を祝福するのですわ!)
ミラフェイナは、ずっと計画してきたことを自分に言い聞かせる。
それで死の運命が回避できるのかは分からないが、少なくとも今のミラフェイナはヒロインに嫉妬していじめたり暗殺を企てたりするつもりは毛頭ない。
とはいえゲームの強制力で濡れ衣を着せられる可能性もある。そうなれば断頭台へまっしぐらだ。ミラフェイナはぶるりと悪寒を覚えた。
(だ……大丈夫ですわ! こんな時のためにたくさん準備してきたじゃない!)
ゲームのミラフェイナがしなかった魔法の勉強や訓練を、処刑から逃げるための国外逃亡の準備や根回しを父親の公爵に隠れてまでしてきた。婚約者のコルネリウスにも、これ以上嫌われないようになるべく波風立たないよう接してきた。
自分にできることは全てやったはずだ。
やがて魔術師団の準備が整い、何十人もの魔術師が詠唱を開始した。巨大な魔法円が浮かび上がる。筆頭魔術師であるローゼンベルグ公爵も術式に加わり、次元魔法に魔力を供給していく。少し後ろでその様子を見ているミラフェイナも術の構築が進むにつれ魔力圧を感じて僅かにたじろいだ。
(『光の乙女』……どんな子かしら……?)
魔力風から身を庇いながら、ミラフェイナは光を放ちつつある大魔法円の中心部を見遣る。
『ななダン』のヒロイン、つまり主人公はデフォルトネームが存在しない。本名なり架空の名前なりを入力しなければならず、主人公のイラストは顔が分からないようになっている変わり種のゲームだ。
(……ともかくっ。わたくしの運命を左右するヒロインには違いありませんわ。願わくば、どうか……)
ミラフェイナはぎゅっと目を瞑り、星海の神々に祈った。
――ああ神様。どうか『光の乙女』がいい子でありますように……!