2 ★
「……そんなこと、どうでもいいわ! 人違いだって言ってるでしょ!?」
忘れられていたユレナが怒りに震えて叫ぶ。
そうだな、とインクイジターが気を取り直して話を戻した。
「裁判にかける相手が、人違いだと困る。故に本人確認を行う」
「そうよ! さっさと……は? 本人確認?」
ユレナの期待とは裏腹に、インクイジターが発した人定質問は想像の斜め上を行くきわどい内容だった。
「被告人の名はユレナ・リリーマイヤー。リリーマイヤー子爵の養女で、年齢は十六歳。グランルクセリア王国の貴族学院一年生。子爵領から王都の学院宿舎に来ていたが、この国の第二王子に王宮の客間をあてがわれ今ではほぼそちらで生活している。……汝のことで間違いないな?」
「……っ」
ユレナとクリスティン王子が思わず口を噤む。
それは今まで周囲が噂程度で留めてくれていた内容だ。第二王子の婚約者であるディアドラが黙っているからであるが、本来非常にスキャンダラスな状態であることは間違いない。
「は?」
傍聴席から声を上げたのは、ウォルター・ジンデル子爵令息だった。
「何それ? 王子妃でもないのに王宮暮らしって……。ああ、あれですか。王子殿下専属のナントカってやつ? コドモのおれには全然分かんないなぁ~」
「なっ……!」
あからさまな皮肉を受けたユレナは、羞恥で怒りを覚えた。
(何であのガキまで来てるのよ!)
事実というものは、時としてどんな揶揄よりも刺さるものだ。
それは第二王子も同じだったようだ。
「貴様……ッ! ユレナ嬢は今し方、正式に私の婚約者となった女性だぞ! 侮辱は許さんッ!!」
クリスティン王子は語気を荒くしてウォルターを指差した。ウォルター少年は黙り込む。
「正式に……?」
一方、ディアドラが呆れ果てて皮肉な声がもれる。
(どうせ国王陛下には、許可も取っていないのでしょうに)
ディアドラの呟きが気に障ったのか、クリスティン王子が彼女に一瞥をくれてから言う。
「皆に誤解なきよう言っておくが、ユレナ嬢はあそこにいる悪女にひどい嫌がらせを受けていたのだ。知っての通り、彼女は私の元婚約者だ。だからこそ私がユレナ嬢を保護しなければならなかったのだ。学院の女子寮では私も手が出せないからな」
「そ、そうよ! クリスティン様は私を守ってくれただけよっ!」
他の攻略対象や信奉者たちも「そうだそうだ」と同意した。
ディアドラは唇を噛み、冷静に反論した。
「……私はユレナ様に嫌がらせをしたことなどありません!」
「ハン! 白々しい言い訳だな、実に醜い女だ」
あたかもヒーロー気取りの勘違い男と、清純派の仮面を被った尻軽女。そして悪者にされた哀れな伯爵令嬢。
インクイジターは彼らの事情など承知していたが、裁判の争点はそこではない。
「――『ゲーム』の話はいい」
彼らの会話を断ち切ったインクイジターの言葉に、ディアドラとユレナだけが反応した。
(『ゲーム』……!? 今、何と……!?)
その単語は、地球を知っていなければ出てこない言葉だ。
(どういうこと……!?)
動揺を露わにするユレナに、インクイジターは重ねて言った。
「被告人は質問にだけ答えよ。読み上げられた自身の氏名、年齢、身分、居住地に誤りがないか否か」
ユレナは一瞬、戦慄に似た悪寒を覚えた。今まで好みの男は誰も彼もヒロインスキルで魅了してきたが、このインクイジターには通用しない。彼の金と青のオッドアイからは、冷たく無情な視線が注がれるのみである。
「……ま、間違いないわよ。これでいい?」
「よろしい。では次に、罪状を明らかにする。――被告人は星歴1313年10月12日、ナタリア・ジンデルを〝予定にない死〟に追い込んだ。よって罪状は『運命改変』。罰条はこの国の法を尊重するが、人間界で罪に問われないようなものでも天界では重罪ということもある。その場合は天の法に則り、このインクイジターが執行する」
ユレナは話の途中から聞いていられないという顔で抗議にもならない文句を垂れた。
「ちょっと、誰よそれ!? 知らないわよ、そんな人。意味が分からないわ!」
「まだ話の途中だ。誰人も、裁判の進行を妨げる発言をしないよう」
『ヒロイン』の小言など軽く切って捨て、インクイジターは話を進めた。
「ここからは地上の裁判とは違う点がある故、説明しておく。通常なら黙秘することもできようが、天界が監視するこの法廷で黙秘は意味をなさない。また、陳述を拒否することも同様である。そして……これは地上の裁判と同じだが、被告人は弁護人を立てることができる」
「……こんなの付き合ってられないわよ。何で知りもしない人間の死に、私が関係あるっていうのよ? 冗談じゃないわ!」
憮然とした態度を取り続けるユレナに、クリスティン王子が賛同した。
「ユレナ嬢の言う通りだ。伯爵家にいくら積まれたかは知らないが、このような侮辱が許されると思うなよ! 王族である私を、こんな怪しげな場所に拉致したことも含めて逆に貴殿の罪を問うてもいいのだぞ!」
「なっ……! わが家は関係ありませんわ!」
伯爵家の名前を出されたディアドラが思わず口を挟むが、インクイジターはそれを片手で制して言った。
「ほう。権威権力を使うか。ならばよかろう、こちらも汝のやり方で応えるとしよう」
第二王子の脅しを歯牙にもかけず、インクイジターが指先を振ると周囲を浮遊していた光が集まって空間に窓のようなものを作り出した。
そこには先ほどまで彼らがいた広間が映し出されており、グランルクセリア国王アルベールの姿もあった。
「……という訳だ、国王よ。ご子息が裁判を妨害しようとしておられるのだが、どうしたものか? このままでは代行権限によって処さねばならんが……」
というのはハッタリである。ラビは特殊なインクイジターであり、『ヒロイン』以外を処断する権限は与えられていない。
しかしそれを彼らに伝える必要はないだろう。
『く……っ、この馬鹿者が!』
「ち、父上!?」
第二王子がビクリと萎縮した。まさか国王が見ているとは思わなかったようだ。
空間の窓は映像だけでなく、双方会話ができるようになっている。
『勝手に婚約破棄をしただけでは飽き足らず、悪事にまで荷担していたのか!』
「み、見ていたのですか? 悪事!? 誤解です! ……おい、この場所は非公開なのではなかったのか!?」
先ほどまでの威勢はどこへやら、クリスティン王子は焦燥して振り向いた。
「関係者以外は入れぬが、中の様子を外に伝えないとは言っていない。元より、この法廷は天界の監視下にあると言ったはずだが。おかしいな? 天に見られても困らん言動が、人に見られて困るものがあるとは」
「…………っ」
第二王子は顔面蒼白となり、言葉を失った。
「えっ……!? クリスティン様っ?」
頼みのメインヒーローが沈黙してしまい、ユレナはさらに動揺した。
(ちょっと、どうなってるのよ。こっちは王子を味方に付けてるって言うのに、何なのよあいつは! こんな展開、どのルートにもなかったわ。私がシナリオより早く事を進めたせい……? だからこんな訳分かんないことが起こるの? そんなはず……そんなはずは……っ)
ユレナが親指の爪を噛みながら思案している間、ヒロインのダダ漏れの思考にインクイジターはフッと鼻で笑った。
その時、ダニエルたち『花ロマ』の攻略対象たちが名乗りを上げた。
「では、我々がユレナの弁護人を務めよう」
「お、おい。勝手に……っ」
セイルは反対したが、ロランやリチャードも追随した。
「そうだぜ、ユレナには俺たちが付いてる」
「ああ。一体何の嫌疑か分からないが、君の日々の心優しさと聡明さを知れば審問官殿も分かってくれるはずだ。それは我々全員が証明できることだ」
「み、みんな……っ」
彼らの申し出に、ユレナは半べそで懇願の表情を作る。
もちろん嘘泣きであることは、『ヒロイン』の心を読めるインクイジターにはお見通しだ。こんな状況でも愛らしい役作りに余念がない姿勢にだけは、ラビも感心を通り越して呆れるところである。
ダニエルが浮かない顔のセイルを叱咤した。
「どうした、セイル。お前もユレナのために全力を尽くすだろう? 知恵を貸せ」
「あ……ああ。ユレナのためだ」
セイルは迷いを感じていたが、ユレナへの愛でそれを振り切った。




