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そこは白い霧に包まれた真っ白な空間だった。
深遠の下方から、白い樹木の幹が隆起した。
空間に枝葉を広げ、猛烈に成長していく。
さながらそれは白の世界樹。
「いやぁぁぁぁぁぁっ。何よこれぇぇぇぇぇっ!」
桎梏の本体たる世界樹に捕らわれながら、ユレナ・リリーマイヤーが絶叫していた。
世界樹の幹に高々と縛り上げられた彼女の前方の壁には大きな星十字が掲げられており、その下に法壇があった。
法壇の足元にはインクイジターが立っていた。
薄紫色の髪に金と青の瞳、白い肌、完璧な黄金律を誇る美貌。
ユレナと目が合うと、艶然と微笑した。
「――ようこそ、被告人」
(な……何なのよこいつ……!)
ぞくりとするほどの美しさが、こちらの命を握っているかのような視線でユレナを射貫く。
ユレナはただ怒りと混乱で肌を粟立たせながら歯噛みした。
世界樹の桎梏を囲むように柵が現れ、事実被告人席となった。
後ろには背もたれのある木製の長椅子が何列も設えられ、傍聴席であることはひと目で分かった。周囲の空間には、拳大の光の玉が幾つも浮遊していた。
「真実の炎に選ばれし者たちよ」
インクイジターが腕を振ると、傍聴席の所々に先ほどの白い炎に包まれた者たちが姿を現した。
白い炎が消え、自身が傍聴席に座っていることに気付いた者たちが各々に困惑を露わにする。
「ここは……一体……?」
「教会? いや……法廷?」
「左様」
誰かの呟きに、インクイジターは法壇の下で答えた。
「な……何だここは!? どんな魔術を使った!?」
第二王子クリスティン・ツォルド・グランルクセリアがガタリと立ち上がり、狼狽して辺りを見渡した。つい数秒前までは王宮の広間にいたはずだ。こんな場所は王宮には存在しない。
「見ての通り、法廷である」
「見覚えがない場所だ……。我が国にこのような施設があったか? それも一体どうやって一瞬で……」
クリスティン王子が青ざめる。彼の周辺の席には、ダニエルやセイルたち『花ロマ』の攻略対象たち。そしてエリックたちユレナ信奉者数名と、少し離れた位置にフラウカスティア伯爵令嬢ディアドラやジンデル子爵令息ウォルターなど、その他の者たちの姿も確認できる。
しかし、いるはずの王子の護衛たちは確認できなかった。どうやら白い炎に包まれた者たちだけが法廷へと招かれたようだ。
「ここは神々の遺せし古の法廷。地上のどこにも存在しないが、どこにでも現れうる。インクイジターが裁判をする時、ここは現れる。ここには被告人及び、当該裁判に関係する者しか立ち入ることかなわぬ」
説明するインクイジターの側にいたはずの巫女の姿も見当たらない。裁判関係者以外は入れないという話は本当だった。
「……ふぎゃっ」
後方で音がした。招かれた者たちが振り向くが、何もない。
「何だ今のは? 何か、ネズミの潰れたような音がしなかったか?」
「さ、さあ……。こんな不可思議な場所にもいるのか? ネズミ……」
ダニエルたちが首を傾げる。
彼らの話し声が聞こえると、攻略対象たちに助けてもらおうとユレナが再びわめき始めた。
「いやぁっ、乱暴はやめてぇ……!」
「ユレナ嬢!」
するとクリスティン王子たち攻略対象が血相を変えて駆け寄るが、彼らはユレナに触れる前に透明な壁に阻まれた。
「ユレナ……! くそッ、何だこれは!?」
ロランが透明な壁に拳を打ち付けるが、びくともしない。
被告人席の柵の周りには強力な結界が張られているのか、近付くこともできなかった。
「乱暴ではなく、勾留である」
淡々と言い放つインクイジターを、ユレナは睨み付けた。
「――ちょっとっ! どういうこと!? 魔女は私じゃなくて、あの女じゃない!」
「……っ」
ユレナはディアドラこそが咎人だと主張した。
ディアドラ・フラウカスティアは、後方の傍聴席にいた。魔女と言われ、黙ったまま怯む。この空間には親友のミラフェイナもエクリュア王女もリクたちもいない。誰も味方がいないところへ、ひとり放り出されてしまった状況だ。
ディアドラは第二王子に婚約破棄を言い渡され、ユレナ殺害未遂の罪を被せられて投獄寸前だった。今裁判などされたら、ゲーム通り国外追放か処刑だ。
ディアドラは、ひとり血の気を引かせた。
「そうだ! 相手を間違えるにもほどがある!」
「ユレナ嬢を解放しろッ!」
ダニエルが憤慨してクリスティン王子が騒ぎ出した時、突如ガベルの音が鳴り響く。
――ダァンッ、ダンッ。
槌の音により引き起こされた時空震が空間を伝播し、場にいた一同に衝撃波として伝わった。
「うわっ。な、何だ!?」
誰もが驚いて前方を振り仰ぐと、法壇の中央に光が集まって人の形となり、一人の少年がガベルを手にしていた。
「はい静粛に~」
黄緑の髪と、額に赤い菱形模様。そして法廷の、それも裁判官の法壇にそぐわないつなぎを着た少年を、インクイジターは
「裁判長」
と呼んだ。
「リネン様。この姿では、お初にお目にかかる」
「久しぶりだね。ここが開廷されるのは三百年ぶりくらいかな? 今のインクイジターは人形がやってるの?」
「異世界の神の手の者が、この世界を荒らしている故」
インクイジターは法壇に向かって敬礼しながら答えた。
「……ふぅん。なるほどね」
リネンは桎梏に捕まっているユレナや、その場にいた他の者たちを見下ろし、ひと目で状況を理解したようだ。
「あの子供は……一体何者なのだ?」
クリスティン王子が呟く。齢十歳前後の子供の姿をしているが、彼が発する神聖な気配と存在感はただ者ではないことを物語っていた。
第二王子の呟きに答えたのは、インクイジターだった。
「裁判長を務めて頂く、知識の神リネン様の地上代行者殿だ」
「どうも。リネン・ベスティアジムールだよ。公正を期すために、この裁判に知識の神は口出ししないよ。審理の全てはインクイジターに任せる。僕の役目は、裁決における不正の監視と法廷の守護。……ああ、今回は無限武神様の加護があるんだ。僕の出番はないね」
法廷を包む無限の力を感じて、リネンは苦笑した。
「……だ、代行者様だって!?」
話を聞いていたセイルが、目の色を変えて身を乗り出した。クリスティン王子が何事かと尋ねる。
「どうした、いきなり」
「我がオズモンド領は、知識の神を信仰しています。この時代、地上に代行者様を残している数少ない神の一柱が、リネン様なんです。どこかの山奥で修行していると聞いたことがあったが、こんなところでお会いできるとは……!」
「はあ。あんな子供がか? にわかには信じられんな」
信仰心の薄い第二王子は怪訝な顔をする。
セイルはとんでもない、と言って短い説明を加えた。
「知識の神の代行者は伝承によると千年前に選ばれて以来、そのお姿は変わっていないと言われていて……。それにあの額の印は、覚者の証。気配も存在感も尋常じゃない。偽者とは思えません」
「……ま、まぁそれは私も感じるが……」
謎の威圧感は、クリスティン王子も感じていた。セイルの熱心な説明で、ようやく現実感を得たようだ。
「あの方が本当に『神の名を持つ者』なら、この裁判は……本当に正当性が……?」
セイルが初めて疑問を抱き、自らの感情に途惑った。
神の地上代行者は、その名を名乗って使命を実行する。故に、『神の名を持つ者』とも呼ばれる。
「おや、我が主の祝福を受けた子がいるみたいだね。でも、裁判で贔屓はしないよ」
「は、はい……」
リネンに認識されたセイルは冷や汗を掻くのだった。




