プロローグ2:インクイジター 第0話 ★
ラビという名の人形がいる。
彼は、神々の人形だ。
様々なお役目により姿を変え、能力を変え、天の指令を全うしてきた人形だ。
神々が地上を去った後も、人形はこの地に残された。
役割のない時、ラビは一般市民にすぎない。何の能力もない、村人Aである。
役を与えられる、その時までは――。
東大陸中央部、永世中立国アシュトーリア王国。
神聖星教会の総本山であり、古代に神々が降り立ったとされる聖地『星の遺跡』を擁する最も古い国々のひとつ。
その日、『星河神殿』にラビは呼び出されていた。
星河とは、全ての神々と通じる場所と言い伝えられている。すなわち最も崇高な大神殿が、この『星河神殿』という訳だ。
壁の至る所に花の形の紋様飾りが彫られているが、見る者が見れば全て五芒星だと分かる。守護と浄化の力が建物全体を覆っている。
荘厳で清浄。静粛で静謐。
設計から装飾から漂う空気に至るまで、この世のものとは思えない美しさだ。
「あの子はいつもこんな所で生活してるのか……。すごいな」
『星河神殿』と聞くと、ラビは以前仕事でしばらくの間一緒に過ごしたことのある巫女の顔が思い出された。
「何か?」
「あ、いえ。こっちの話です……」
前を行き案内している見習い神官が、チラチラとラビを振り返っている。
ここは『星河神殿』の奥の院。本来なら王族でも簡単には入ることのできない場所だ。
そんな場所へ案内するよう大神官から直々に指示された人物が、ボサボサの地味な焦げ茶色の髪に、どこにでもいる市民の格好をした平凡な男だった。
(何故、聖域にこのような男を招かれるのだ……!)
とか思ってそうだな、とラビは見習い神官君の心中を察した。
ラビは実際、王族でもなければ神職の血縁者でもない。訝しがられるのも無理はないだろう。
「こちらで大神官様と巫女様方がお待ちです」
見習い君にご苦労さん、と言ってラビは聖堂に足を踏み入れた。
そこにいたのは大神官ツクミトと、各地の神殿から集められた巫女たちだった。
「む。来たのだ」
アザレアの髪をした巫女が、ラビの姿を認めると猫のような鋭い視線を向けた。ラビは一瞬ぎくりとして、冷や汗を掻いた。
彼女の名前はカレン・スィードといい、神聖星教会に『星河の巫女』の称号を与えられた唯一の巫女だ。ラビが前の仕事で命を救われた恩人でもある。
十七歳のカレンを除けば、そのほかの巫女たちはみな十歳前後の年端もいかぬ幼い少女たちだった。
小さな巫女たちは無邪気にラビの名を呼ぶ。
「あ! ラビちゃん!」
「ラビ来た~!」
駆け寄ろうとした小さな巫女たちを手で制し、ラビはその場で膝をついた。彼女たちに会ったことがあるとはいえ、それは別の話。今は一介の市民と大神官・大巫女様たちである。
「――大神官様、並びに巫女様方。お呼び出しにより参上致しました。一市民にすぎません私めに何用でございましょう?」
当然の礼儀としてラビがした挨拶に納得したのは大神官だけだった。
カレンは相変わらずラビを凝視しており、顔見知りの巫女たちはラビの態度を不思議に思い首を傾げていた。
ゴホン、と大神官ツクミトが咳払いをした。
「用があるのは私たちではない。……ほら君たち、神々のお言葉を伝えなさい」
何だお役目かと、小さな巫女たちは整列を始めた。
これから始まるのは、託宣の宣告という。
巫女や覡が受けた神託が特定の国や団体・人物に向けたものであった場合、大神官の責任を以てそれを伝えなければならないという決まりがある。
今ここにいる巫女たちはその神託を受けた者であり、神託の内容を精査した結果、それを開示する責任を負ったのが大神官ツクミトということだ。
そして、その場に呼び出された人形。
新たに天の指令が下りたことを、ラビは悟った。
『星河の巫女』カレンが、びしっとラビを指して言った。
「生ける神器〝神の人形〟たるあなたに託宣が降りました。頭を垂れて聞くのだ! ……じゃなかった、聞きなさいなのだ」
「あっハイ」
シリアスな場面のはずが、小さな巫女たちが笑いを堪える声がする。微妙になった空気を再び大神官の咳払いが引き締め、彼の苦労をラビは察した。
「……今、大陸中の国々で問題が起こっているのを知っているかね?」
「いえ、存じ上げません」
頭を垂れたまま、ラビは緩く首を振った。市井に流れている新聞で報じられているのは各地の魔物騒ぎくらいだ。大陸中の国々でとなると、もっと大きな話だ。少なくとも下町にはまだ届いていない情報と見受けられる。
「それが各国で王侯貴族の子息たちが一人の娘に誑かされ、国を滅ぼしかけている事案が続出しているようだ」
「……は?」
思わずラビは素っ頓狂な声を漏らしてしまった。――女で? 国が? 大衆劇場か何かか?
「し、失礼しました。続けて下さい……」
「ああ……まあ、信じられんのも無理はない。しかし調査させたところ事実でね。……北の大国オルフェジオンで内乱が続いているのは知っているだろう。そのきっかけを作ったのも、とある娘が原因という話だ」
「ナント……」
嘘のような本当の話、とはこういうことだろう。
「それからこれはもう噂になっているだろうが、南方の小国バルクロックスが先日地図から消えた。男爵令嬢を巡って王侯貴族に加えて国王までうつつを抜かしていたところを魔族に付け入られたと報告にある。近く、聖騎士団が派遣されることとなった。私も頭が痛い……」
遠方の小国に出入りしていた商隊が消えたという話を、流れの商人が噂していたのはラビも最近耳にしていた。単なる魔物関係の事件と見ていたが――。
ラビは、まさかと声を強張らせた。
「これで神が再び勇者をご所望なさる可能性は……」
「ないとは言い切れん。だが今回は別件だ」
「……くだんの、各地の悪女を何とかしろと?」
「それが、それらの国々で彼女らは悪者扱いはされていない。聖女だとか神の娘だとか……まあ、たいそうな肩書きで祭り上げられていて誰も裁けない様子だ。そして王侯貴族を意のままに操り、国が乱れていく」
現実味がなさそうにまばたきをしているラビに、ツクミトは溜息を吐きながら続けた。
「……さきの二国だけではないぞ。東の海洋国家カシュケイオン、森林王国グリーンストラディアや魔導王国クォンタム、大河の国ユベルレギオン――それに我が国に近い東大陸中部でもジードカラント王国でそれらしい娘の存在が報告されている。情けないことに、信心深い隣の聖王国グレシアドゥールでも王太子が絶賛誑かされ中だそうだ。まだあるぞ。魔山に面した西のヴィスピラグナではバルクロックスと似たような原因で崩壊寸前らしい。それから……」
まだあるんですか、と口にはしなかったもののラビの背中がビクッとしたところでツクミトは話を中断した。
「まあ……そういう訳で、話すのも莫迦らしいものばかりだが……あとで報告書を渡そう」
「痛み入ります……」
そんなやりとりを経て、ようやく話は本題に入る。
「よく分かりましたよ。……この話の裏に、神の敵がいるということですね」
「話が早い。その通りだ」
それはそうであろう。王権に守られた問題の娘たちを排除する、という程度で神々の託宣が降りるはずがない。託宣とは言わば、神からの直々の御言葉や指令だ。悪魔か魔神でも裏に絡んでいない限りはあり得ない。
実際、〝神の人形〟が前に指令を受けて勇者となった時は、魔王の裏で魔神が暗躍していた。ラビが一部の巫女たちと出会ったのもその時だ。
「その娘たちが共通して口にしている言葉があるそうだ。『ヒロイン』『シナリオ』それから『ゲーム』や『ねっと小説』……? といったよく分からん単語まで報告されている」
小説なら分かるが、その頭の『ねっと』というのはラビにも分からない。
「――異世界の言葉」
跪くラビの頭上に、カレンの声が響いた。
「神様にお伺いを立てたのだ。その子たちは異世界から転生、もしくは転移してきたって。そして、この世界の神様の御技でないことも」
カレンの声は怒気を含んでいた。といっても、ぷんすか程度のかわいいものだが――。
「つまり異世界の神が、この世界の国々を滅ぼす『ヒロイン』を大量に送り込んでいると。それも、この世界の神々の了承も得ず」
「そうなのだ!」
あっと声を出しかけて、ラビは察した。人形が呼ばれた真の理由、それが。
神 々 が お 怒 り の よ う で す。
小さな巫女たちが一人ずつ託宣の内容を告げることとなった。
「……わわ、わたし、から……? わ、わかり、ました」
どもりながら前へ出たのは蜂蜜色の髪をした齢八歳の少女。大地神殿から来た『大地の巫女』ナディアだ。気弱そうに見えて実は一番しっかりしている、というのは人形が前の役で得た情報だ。しかし神の意志である神託を告げる時、彼ら巫覡は代弁者である。器の人間性はその瞬間、消滅する。
――大地母神アフラサーラクの託宣。
「『偽物の愛を討て』」
「はいアフラサーラク様」
人形が一つの主命を受託した。
「次はうちやな!」
ラビが返事をするのを見届けると、青い髪の少女がぴょんと前に出た。水の都の蒼水神殿から来た『心泉の巫女』シプリス。西部出身の分かりやすい訛りがあり、金勘定にうるさい九才だ。ラビがそんなことを知っているのも、この少女とも人形が勇者だった頃に出会っていたからだ。
――心泉セシール・アン・セフィーリア女神の託宣。
「『逆路を阻め』」
「……逆路とは?」
「ああ、異世界の神に従う連中のことらしいで。逆路の神だから、うちは逆神って呼んでるけど。にゃははは」
逆神とはひどい言い草である。投機の世界で逆神といえば言わずもがなだが、この守銭奴の娘はそれを知っていて言っているのだろうか。そうだとすれば余計にひどい、とラビは思った。
「ちょお。女神様に返事は?」
「はいセシール様」
ラビは謹んで命を受けた。
しばらく間を置いて、少女たちがこそこそする声が聞こえた。
「キスカちゃんの番だよ」
「ハッ!?」
隣の巫女に耳打ちされ、慌てて進み出たのは緑の髪の少女だ。ツクミトが額を抑えて溜息を吐いた。
「いつの間に!? あれっ? もうワタシのばん? ワタシの前に二百人くらいいなかった?」
「いないいない」
いやいや、とほかの巫女たちがツッコミを入れている。これでも空の神殿を代表する『神門の巫女』である。まだ十歳とはいえ大神官であるツクミトの姪っ子で霊力は折り紙付きだが、今回のようにぼうっとすることが多いようだ。
彼女は人形の前の役である勇者に関わってはいないが、ツクミトの姪で優秀な巫女であるため、ラビは紹介を受けたことがあった。ここまで天然とは知らなかったが。
――神門ウクス・バロウ神の託宣。
「『処せ』」
「はっ……?」
ラビがよく分からないような返事をしたので、キスカはもう一度神託の言葉を告げた。
「『処せ』」
ラビは血の気が引く感覚がして、全力で返事をした。
「お任せ下さいウクス・バロウ様ッ」
それは殲滅指令にほかならないとラビは解釈した。『ヒロイン』たちに地上が滅ぼし尽くされれば、次に狙われるのは天界かもしれない。天界の門そのものとも言われるウクス・バロウ神が「容赦するな」と仰せなのであろう。
「……終わった? よっしゃ、ニキ様のばん!」
目を輝かせていそうな浮かれ声の少女は、ラビとは初対面だった。ニキ様とは、どの神だろうとラビは内心首を捻る。
黒髪の少女は聖火神殿きっての武闘派と自称する『無限の巫女』セミュラミデという。歳は十一。
「じゃあ今からぁ~、ギハットニキ様のありがたーいお言葉を伝えてあげるから!」
「こらこら。神をニキ様と呼ぶのはやめなさいと言っているでしょう」
「えー、いいじゃ~ん。ギハットニキ様は天界の最終兵器なんだよ! カッコイイでしょ~?」
「最終兵器というのもやめなさい……」
真面目に叱咤して、大神官ツクミトは溜息を吐く。
巫覡の多くは往々にして神々との精神的距離が近いものだが、セミュラミデは特にギハット神に親しみを感じているようだ。
ギハット神といえば、あまたの戦神の中でも無限の力を持ち天界の最終兵器――ではなく最強の神と名高い。その辺りのことは神話を学べば得られる知識だ。
――無限武神ギハット・ゼアーの託宣。
「『始末せよ』」
「ンン……?」
思わずラビは硬直した。先ほどの神門に引き続き、この指令は神々の沸騰度が高すぎではないだろうか。ありがたいお言葉とは。
「りょ、了解しましたギハット様」
頭を垂れていたおかげで青い顔を隠せてよかったとラビは肝を冷やした。
「ねえ神様には全部見えてるから、隠せてないと思う」
「……ッ」
突然目の前に影が差し、ラビが驚いて少し顔を上げると金髪の巻き髪ツインテールの少女が膝を曲げてラビという人形を見つめていた。
五大神殿の五、混沌神殿の巫女で十二歳。小さい巫女たちのまとめ役でもあり、カレンを除けば最も霊力が高い『混沌の巫女』ヒルデナーダだ。彼女は全ての龍神と交信することができると言われている。彼女の達観した性格も、赤子の頃から龍神の教育を受けてきた賜物といえる。
少しばかりギハット神様にビビってしまったのがバレていたので、ラビは素直に謝るしかなかった。
「申し訳ありません……」
「うん」
淡々と頷き、ヒルデナーダは前へ戻っていった。相変わらず心臓に悪いとラビは思った。
ヒルデの愛称で知られる彼女とも、人形が勇者の時に出会っている。
――混沌龍神オールドの託宣。
「『やれ』」
「仰せのままに、オールド様……ッ!」
嫌な予感が的中したラビは、震えながら主命を受託した。
ラビは粛々と託宣の宣告を受けていたが、内心では兢々としていた。
(神様恐すぎない? 『ヒロイン』何してくれてんのよ? いや、逆神か?)
五大神殿の巫女たちがそれぞれの御神託を伝え終わると、最後に『星河の巫女』カレンが前へ進み出た。
全ての神々へと繋がる場所と言われる『星河』を冠することのできる巫覡の条件は、複数の神々と同時に交信できること。そして創世の神々を降ろせること。その点に於いて、大陸でカレンの右に出る者はいない。
「…………」
カレンは黙ったまま、じーっとラビを見ていた。
「……?」
なかなか託宣を言わないカレンに延々と見つめられ、ラビは滝のような汗を垂らした。
かつて勇者としてカレンに助けられて以来ずっと睨まれている気がするが、もう勇者でないラビにはどうすることもできなかった。
大神官ツクミトが、やれやれと口を挟む。
「もうその辺にしてやりなさい」
「……仕方ないのだ」
促され、カレンは口を尖らせながら渋々と答えた。
「創世三神の御意志は、最初からひとつなのだ」
そう前置きをして、カレンは御神託を告げた。
――開闢アウトパテル、恩寵ユーノイア、聖宮フラクタリアの託宣。
「『高き者は至高へ、低き者は地の底へ導け』」
「はいアウトパテル様、ユーノイア様、フラクタリア様」
人形が最後の主命を受託した。
するとラビの中心――心臓の辺りが輝き出し、光の洪水が聖堂内部に横溢した。
――ステータスが変わる。
地味な焦げ茶色の髪は、根元から薄紫色に変わった。
わだつみの霊格が降りてきて右の眼孔にねじ込むと、右目が深淵の深い青色に変化する。
それと同時に武神の稲妻に打たれた反対側の左目は、黄金の瞳に輝いた。
何の変哲もなかった市民のシャツとズボンは、聖者の白装束に塗り替えられていき、やがて大神官と同じ金縁の外套がふわりと風にたなびいた。
「これが……」
ラビはしばらく己の両手の平を見つめ、自身の魔力量や、脳に流れ込んでくる知識を確認した。
生きた神器〝神の人形〟であるラビは、役のない時は平凡な一般市民として暮らしているが、ひとたび役を与えられるとその姿形や能力、口調まで変化し任務に当たる。
任命が無事に完了し、小さな巫女たちがきゃあきゃあと騒ぎたてた。
「わぁ、ラビちゃんが変わった!」
と、純粋に驚くのはキスカ。
「ぜんぜんちがうね」
と、前後を比較して冷静にものを言う最年少のナディア。
「やったね変身だ!」
何故か胸を熱くしているのは、案の定セミュラミデ。
「ちがうよ着せかえだよー」
正確なのはヒルデナーダ。
「いくらかかるのそれ?」
と、金額にしたがるのはシプリス。
彼女たちはいつも思い思いの感想を言うが、結論はいつも次のように纏まる。
「神様すごーい!」
である。
人形のビフォーアフターを見ればそうなるだろう。ラビ自身も毎回驚くのだから。
『星河の巫女』カレンが、ふんすと猫目でラビを睨み付けた。
「神様のオーダーは『裁き』。しっかり務めるのだ!」
「御意」
ラビは全ての神々へ向けて恭しく礼をした。
これより役が終わるまで、ラビはインクイジターとなった。