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その時、リクはアミがやたら静かなことに気が付いた。こんな時のムードメーカーは、いつも彼女だったのだ。
見ると、アミは窓にへばりついてずっと外を見ていた。
「……アミ?」
呼びかけても、反応がない。よほど集中しているのか、考え事をしているのか――。
「聞こえる……」
「え?」
「何か、すごい音楽が聞こえない!?」
勢いよく振り向いたアミは、一番星を見付けた時のような純粋な表情で言った。
窓を覗いたミラフェイナが、街並みの向こうに三角形の黒い屋根を見付けて「ああ」と納得の声をもらした。
「オペラハウスですわね。もしかして、楽団の方たちが野外で練習なさっているのかもしれませんわ」
「私、見に行ってみたい!!」
「えっ。でもアミ様。この後、ヘイデン家との顔合わせが……」
「お願い! 少しの間だけ!!」
アミがあまりに目を輝かせて懇願するので、ミラフェイナはつい折れて御者に指示を出す。
馬車が止まると、アミはひとり飛び降りて駆けて行く。
「ちょっ……、アミ様ー!?」
瞬く間に、アミは人混みの中へ消えて行った。
「すぐに追いかけよう」
困惑するミラフェイナを落ち着かせ、リクが言った。
馬車を降りると、確かに壮大な音楽が流れていた。
「――どうした?」
リクたちが突然馬車を止めて降りてきたので、護衛の神殿騎士レンブラントが馬を下りて駆けつけた。
「そ、それが。アミ様が音楽に惹かれて飛び出して行ってしまって……」
「音楽?」
立ち止まって耳を澄ませると、黒い屋根の建物がある方角から演奏が聞こえてくる。
「黒いオペラハウスか……」
「知っているの?」
珍しくリクの方からレンブラントに話しかけた。
神殿騎士であるレンブラントは聖地での修行経験があるが、娯楽施設との縁はなかった。
「ああ。公演を鑑賞したことはないが、建物自体が有名だからな」
黒いオペラハウスは、エクスでは小魔塔の次に有名な建築物と言っていい。
レンブラントはリクに頷いた後、同意を求めて公爵令嬢であるミラフェイナを見た。
「ええ! 建築物としても、とても有名な建物ですわ。わたくしも、直接近くで見るのは初めてで……」
頷きつつ、ミラフェイナは高揚した眼差しでオペラハウスの屋根を見つめた。
レンブラントは、黒い屋根のある建物の方へと足を向けた。
「連れ戻すだけなら、私が行ってくる。あなた方は、馬車の中で待っていろ」
「いや、私も行く。あの子をひとりにする訳には……」
「相変わらずの心配性だな。この後、離れて暮らすのにか?」
レンブラントは軽くからかうつもりで言ったのだが、リクは思いのほか真剣に受け止めたような顔をした。
「……それでも」
「分かった。道は分かる。付いて来い」
レンブラントが先を行き、リクはその後を追った。
瞬間的に、リクの脳裏に数分前のアミの顔がよぎった。
一番星に向ける、純粋な好意と興味。そして運命的な感動の入り混じった、憧憬の瞳。
「アミ……」
前を行くレンブラントに聞こえない声量で、リクは呟いた。
――あの顔は、私がさせなければいけなかった。
「……リク様?」
ミラフェイナの声で我に返ったリクは、一度頭を振って、前を向く。
「このまま行こう。来ていないのなら、それでいい」
「え……? リク様っ……!?」
アミを待たないのかとミラフェイナは尋ねたが、リクはその必要はないと言ってオペラハウスの方へ進んで行った。
ミラフェイナは驚き、シエラと顔を見合わせた。
そうしてミラフェイナもシエラも、止まるつもりのないリクの背中を追いかけることしかできなかった。
一方、ヘイデン家に馬車を出してもらえないアミは、ひとりヘイデン邸を出て徒歩で商業区までやって来ていた。
格好は、いつもの魔法魔術科の制服である。オペラハウスはドレスコードがあると聞いてはいたが、今のアミはドレスを持っていなかった。
グランルクセリアで公爵家などにもらったドレスもあったが、街の何でも屋で全て換金してしまった。ヘイデン家で食事が出ないため、食費を賄うためにこっそり売ってしまったのだ。
このことは、リクやミラフェイナにも話していなかった。
とぼとぼと歩いていると、オペラハウスの黒い屋根が近付くにつれて、壮大な音楽が聞こえてきた。
学園都市エクスに初めて来た日に聞いたのと同じ曲だった。
花の香りに惹かれるミツバチのように、アミは音の聞こえる方へと進んで行った。
「やっぱり、この曲すごい……」
辿る音階。集約していくメロディー。散りばめられた星屑のような音は、数秒後に創世され束ねられていく。
まるで白紙に描いていく可能性そのもののようだった。
壮大な星々の命のような盛衰を表現した後、曲調がガラリと変わった。
「あ……。歌だ」
オーケストラが、歌曲に姿を変えた。
音を追いかけていたアミが、足を緩めて歌を聴いた。
同じ曲だということは、間もなく分かった。
楽器が主役のオーケストラ。
人の声が主役の歌曲。
どちらが先に生まれたのだろうかと、アミは思った。
どちらが先かは分からないが、そのどちらもこうしてこの世界に存在している。
そんな奇跡を生み出した人間がいる。それこそ奇跡ではないかと、アミは圧倒されっぱなしだった。




