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やがて礼拝堂に神聖星教会からの使者が二人やって来た。
一人は国の行事や王宮での儀式などによく駆り出される馴染みのカルマン神官と、もう一人はカルマン神官より高位のローブを纏っているが誰もが初めて見る男だ。
聖騎士を父に持ち、王都の神殿で神殿騎士として働いているレンブラントも見たことのない顔だった。
薄紫の髪に、端正と言う言葉では足りない黄金比率の美貌を持つ男だった。
彼の身に付ける金縁の白装束は、常識的に大神官のものと知られている。
宰相は訝る表情を隠しながら、いつもの神官の方――カルマンに尋ねた。
「カルマン神官殿。よくぞいらっしゃいました。……そちらの方は?」
「こ……、このお方はラビ審問官。認定式を見学なさると……」
カルマン神官は若干緊張した面持ちで答えた。
「し、審問官!?」
宰相はぎょっとした。
聖女認定式を異端審問官が見学。もれ聞こえたその単語と状況に、リクがぴくりと反応した。
カルマン神官の手にはラビが渡した指示書が握り締められていた。
大神官ツクミト直筆で「異端審問官の裁定を待て」と書かれていた。
指示書は偽造が不可能な精霊魔法が掛けられており、ラビが本物であることは疑いようがない。
グランルクセリア国・王都の神殿では中堅にあたるカルマン神官にとっても、大陸に三人しかいない大神官がどれほど雲の上の存在で、また異端審問所裁判官が実在した事実に打ち震えるしかなかった。
紹介を受けたラビが、どこか楽しげに言う。
「やあやあ。そう畏まらなくて結構。何もこの国を審問に来た訳ではない。通りすがりに聖女の認定式があると聞いてな。カルマン殿の言う通り、見学に来たという訳だ」
この国を審問に来た訳ではない、という部分に宰相はひとまず胸を撫で下ろす。
とはいえ「通りすがりに」偶然、聖女認定式をインクイジターが「見学に来た」などとは誰も信じていないだろう。
「私のことは気にせず、始めてくれ給え」
「……わ、分かりました」
ラビの指示にカルマン神官が硬い表情で頷き、認定式の開始を宣言した。
前方の星十字の前へ神官たちが移動し、リクもそこへ呼ばれた。
一通り儀礼を済ませた後、カルマン神官が振り返る。
「我々は神の前で公正な判断を下します。……リク・イチジョウ。あなたは異界人だと聞いていますので説明しますが、こちらの星十字は全ての神々と繋がる場所である星河を表す象徴です」
リクは神官の指した星十字を見上げた。同じ十字でも、やはり地球とは由来が異なるようだ。
カルマン神官が問う。
「あなたは神々の前にひざまずくことができますか?」
試されているのだと、リクはすぐに理解した。
後方ではアミとミラフェイナも見守っている。リクの行動は決まっていた。
「――はい」
リクは星十字の前でひざまずき、祈るように両手を重ね合わせた。聖女と言われる人物なら、そうするだろうことを実行した。
カルマン神官が頷く。
「よろしい。では聖女のスキルを確認します」
神官がリクの頭上に手を翳すと、儀式場で鑑定士に見られた時と同じ感覚がリクの身体を通り抜けた。おそらくカルマン神官も鑑定スキルを持っているのだろうとリクは理解した。
認定式が進行するさなか、インクイジターはカルマンに先んじてヒロインのスキルを確認していた。それをリクは気付いていない。鑑定士の鑑定と違い、誰も鑑定されていると気付かないだろう。
ラビの右目の深い青の瞳は『混沌の竜眼』。
混沌龍神オールドに与えられた神眼スキルを有し、ヒロインとその関係者に限定されるが『完全鑑定』が可能だ。
少し離れたところでリクのスキルを見通していたラビが独りごちる。
「ふむふむ……。『光の乙女』とな。よくあるアレだな。異世界の言葉で……『チーター』というやつか。他のヒロインと比べて戦闘系に偏っているようだが……まぁ、対処できないほどではなかろう。どちらかといえば……」
ラビは後方でリクを見守っている悪役令嬢と、その隣にいるアミという娘を見た。リクと一緒に現れたという、もう一人の異界人だ。ラビはそちらの方が気になっていた。
ラビの視界には『完全鑑定』によるアミ・オオトリのスキルウィンドウが映し出されていた。
「隠匿スキルなど久々に見たが、これは……」
この世界には、本当のスキルを隠すスキルというものも存在する。
隠匿スキルによる偽のステータスとスキルレベル。並の鑑定士なら、そのまま騙されるであろう。
『完全鑑定』を持つ神眼の前では、それも暴かれるはずだった。そのためにインクイジターに与えられた右目だ。
しかし。
その人物のスキルは『混沌の竜眼』を以てしても、看破することができなかった。
隠匿されていることまでは間違いないものの、その先は妨害が入っているのか読み取れなかった。
(オールド様の竜眼で視えんのか!? 何故だ……。巫女を連れて来ればよかったか。いや……)
『混沌の竜眼』で見抜けないものがあるとすれば、別の神に守られていると考えるほかはない。そもそもインクイジターの力はヒロインを倒す目的以外には使えない。
つまりヒロイン以外で鑑定できているということは、打倒ヒロインに必要な人物だという証左となる。
「そのヒロインとは……」
一同の眼前で聖女認定式を受けている、リク・イチジョウに違いなかった。
「……伝説のスキル『乙女の祈り』を確認しました。あなたが『光の乙女』であることを、ここに証明します」
カルマンの査定も終わったようだ。シリングス宰相とクレイシンハ騎士団長も歓声を上げる。
「おお……!」
「それでは」
カルマン神官が頷く。
「神聖星教会の名に於いて、彼女を聖女と認め……」
「――待て。カルマン」
打って変わって峻厳な声色でその場を止めたのは、ラビだった。
カルマンが振り向くと、数分前に軽いノリで見学するなどと言っていた男とは全くの別人がそこにいた。表情を引き締めた、誰あろうインクイジターその人がゆっくりと近寄って来る。
「聖者とは……、試練を体現する者でなければならない」
ラビは語りながら、リクの目の前で立ち止まる。
「……っ」
明らかに認定を止められた形となったが、リクはひざまずいたまま何ができる訳でもない。
ラビは続けた。
「聖者とは、迷える多くの民衆に代わり神の試練を受け、それを示すことで人生を懸けて人々を導く責務を負った者。あまたの聖者はその人生の終わりに積み上げてきた証を認められ、列聖されてきた」
話を聞きながら、リクはその審問官の目的を察した。そして同時に今の自分には為すすべがないことも。
ラビはリクから一度視線を外し、カルマン神官の方に目を遣った。
「……違うか?」
「お、仰る通りです」
カルマンはインクイジターとしてのラビが放つ威圧感に気圧され、冷や汗を掻きながら答えた。
うむ、と賛同を得るとラビは再び視線を戻し、ひざまずくリクを見た。
「……リク・イチジョウ。汝が聖女の器を与えられていることは事実であろう。それは神の加護を示すスキルを見ても明らか。しかしながら……、この世界に来たばかりの汝には何の実績もない。それでは列聖される魂としては不十分である。神聖星教会は、今の段階で汝を聖女と認める訳にはいかぬよ」
一同が同時に息を呑む。ラビが展開したのは至極もっともな正論であり、このような正論を立場の高い聖職者が口にすれば異を唱えられる者などいない。
「そんな……。ヒロインは認定式で必ず聖女だと認められるはずなのに、どうして……っ」
ゲームのシナリオと違うことに、公爵令嬢ミラフェイナが戦慄している。
攻略対象との恋愛は、ヒロインが聖女であるから成立する話だ。聖女だと認められないシナリオなど、前世の記憶にあるどのルートでも見たことがないのだ。
「これではシナリオが始まらないのでは……っ?」
うろたえるミラフェイナの肩にそっと触れ、アミは冷静に彼女を落ち着かせた。
「大丈夫だよ。リクなら」
「アミ様……」
アミの言う通り、リクの瞳もまた冷静だった。
それは簡単な謎解きと一緒だ。本物の聖女になるべき人物なら、どう答えるか。少しの想像力さえあれば、ゲームを知らなくとも回答は得られるだろう。
「もちろんです、神官様。神々の試練をこの身に受け、この国と人々に尽くすことを誓います」
その回答はリクの目算通り完璧だった。「何と健気な……!」と騎士団長が涙ぐむほどだ。
(このくらいでは引き下がらんか……。まぁ、あっちのこともあるし、今すぐ潰せるとは思っておらんよ)
そんな心中をおくびにも出さず、ラビはちらりとアミ・オオトリの方を見てから最終判定を下した。
「そういうことだ、宰相殿。現時点で教会が出せるのは『聖女の器』としての認定のみ。理解してくれるな?」
「……致し方ありませんな。今はそれで十分。実績など、後からいくらでも付いてきましょう」
宰相は難しい顔をしながらも、渋々納得したように頷いた。
ラビ審問官が通り過ぎ、立ち上がったリクは宰相と騎士団長に囲まれた。
「いやはや、一時は焦りましたぞ。しかし、さすがはリク殿。あの審問官相手に、聖女の器として認めさせるとは」
「実績を作る際は、我々騎士団も同行しよう。必ずや、お守り致します」
「……は、はぁ」
感動するおじさま方に面食らっている間に、リクはインクイジターの次の標的がどこにあるか気付くのが遅れた。
ラビが最終判定を下す直前、彼と目が合っていたことにアミは気付いていたが、まさか向こうから近付いて来るとは思っていなかった。むしろ向こうにリクがいるのに、何故こちらの方に来るのか理解できなかった。
初めは自分ではなく隣の公爵令嬢に用があるのかともアミは考えたが、直後にその予想は否定された。
ラビは迷わずアミのもとへと近付き、互いにだけ聞こえる声量で言った。
「――汝、何者だ?」
「……!」
それはすれ違いざまの行動だったが、アミ・オオトリに耳打ちした時点でリクに気付かれた。
だがリクが『順風耳』持ちでないことは確認済みだ。
『順風耳』とは認識したものを何でも聞くことができるスキルだが、そんなものでもない限り他人には聞こえない距離の囁きだった。
「……って、ひぁぁ何れすかぁぁっ」
「お?」
超絶美形に耳元で囁かれたら大体の乙女は困惑することを、ラビは計算に入れていなかった。アミは両手で耳を押さえて顔を真っ赤にし、大げさにあとずさった。
「そうきたか……」
ラビが失敗を悟った時すでに遅く、瞬時にリクが飛んできてアミの前に立ちはだかった。
「彼女に何を……?」
「……何も。それでは失礼する」
意味深な素振りを残して立ち去るラビ審問官と、それを追うカルマン神官の背中を睨みながら、リクがアミに手を伸ばす。
「大丈夫? あいつに何か言われたみたいだけれど」
「う……うん。平気。何か囁かれたけど、顔が綺麗すぎて何も入ってこなかった……」
「アミを誘惑しようとしたの?」
「分かんない……」
アミの反応は、ウブな乙女そのものだった。彼女の年頃で見目麗しい男性に接近されれば、誰でもそのようになるだろう。
「アミ? まさかとは思うけれど、ああいうタイプが」
ぶんぶんと照れ顔でアミは首を振る。
「ないって。……ほら、ハリウッドスターとかみんな綺麗でカッコイイとは思うけど、好きとは別でしょ? そんな感じだよっ」
「……ならいいのだけれど……」
自覚しているのかいないのか、リクが珍しく不機嫌そうに眉を顰めていた。
「リク……何で怒ってるんだろう……」
ひたすら首を傾げるアミとリクを見ながら、何かを誤解したミラフェイナが心の中で「キャー」と叫んでいた。




