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「突拍子もないことを言っているのは分かっています。この世界で起きたことの一部が、あちらの世界で小説になっているなんて……。それも妹まで転生者かもしれないなんて……。でも本当なのです。証明するすべはありませんが……」
「……信じよう」
「ほ、本当ですかっ?」
狭い告解部屋の中で、イングリッドは思わず腰を浮かせた。
仕切りの向こうで、神官がこちらを指して静かに言った。
「神の御記しが出ている」
「……そう、ですか。神様が……」
すとん、とイングリッドは椅子の上に落ちた。
神官の言った神の御記しというのはよく分からなかったが、信じてもらえたことへの驚きと神への興味や感謝といった感情――それが新芽のようにポンと生まれて心の中で芽生えた。
「続けてくれ」
「はっ、はい。アイラは原作通り、私が愚かな行いをすることを望んでいるようでした。でも私は、それをしませんでした」
「いじめなかった訳だな」
「はい」
イングリッドは強く頷いた。すると興味を引いたのか、神官が訊ねてきた。
「汝の言う小説と違う行動を取った結果、妹君の反応は?」
しかしイングリッドは、苦々しい表情で首を振る。
「……無駄でした。私がそうしなくても、妹はまるで原作通りのことが起こったかのように振る舞い始めたのです」
つまり、いじめを捏造したのだ。
イングリッドに叩かれたと言って顔に赤いアザを作ってきたり、本を破られたと言って騒いだり、酷い言葉を浴びせられたと言って嘘泣きをするのは日常茶飯事だった。
「まわりはそれを鵜呑みにしているのか?」
「残念ながら……。義母はアイラの味方ですし、父はまともに取り合ってもくれませんでした」
「そうか」
神官が溜息を吐いたのを、仕切り越しにイングリッドは感じた。相手が何を感じているのかイングリッドには分からないが、ここまで話してしまったら止まらなかった。
「普段の態度を理由に、私はお詫びとして妹が欲しがるものを何でも差し出すよう父や義母に諭されるのです」
昔、実母にもらったクマのぬいぐるみ。
誕生日に父に買ってもらったブローチ。
友人からお土産にもらった可愛らしいリボン。
婚約者に贈られた流行のドレス。
専属のお付きやメイドも取られているため、イングリッドは貴族女性でありながら一人で全ての身支度を行っていた。
「それから……」
イングリッドは懐からハンカチを取り出し、仕切りの隙間にそれを置いた。
ハンカチに包まれていたのは、壊れたイヤリングだった。
「母の形見です。先日、妹があまりに懇願するので貸したのです。そうしたら……」
母親の形見は、無残な姿になって返ってきたのだった。
「それは、例の小説のシナリオ通りの展開か?」
神官の声が、ひどく冷静に聞こえた。イングリッドは答えた。
「小説ではアイラが懇願するのではなく、私――小説のイングリッドがイヤリングを自慢してアイラの前で見せびらかすのです。妹に嫉妬させようと試しに付けさせるシーンで、アイラが誤ってイヤリングを落としてしまって留め具の部分が割れてしまうのです」
「留め具……」
ハンカチの上の残骸は、留め具どころか宝石やメインの装飾部分が割れているため、もはや修復もできないだろう。
神官が反応したので、イングリッドは彼の言葉を待った。
「……ああ、話の腰を折ってすまない。続けてくれ」
「分かりました。……小説ではアイラは謝罪しますが、小説のイングリッドは怒り狂ってアイラをティーナイフで切り付けたり、大事なものを壊したりして暴れるのです。……それを再現したかったのでしょう」
「しかし、汝はそうしなかった」
「はい。私は心の中で母に謝罪し、妹を怒ることはしませんでした」
イングリッドは思い出しながら、胸の前で祈るように手を握った。
「とても……、とても辛かったですけれど。あの子に渡してしまった私の責任なので……」
この話が事実であるなら、当然生まれる疑問を神官は尋ねた。
「では、どうやって再現を?」
「翌日、アイラのクローゼットからドレスやワンピースが切り刻まれているのが見付かりました。アイラはそれを、イヤリングの件で恨んだ私にやられたと言って大泣きしたのです。幸いにも、もうサイズが合わなくなって着なくなったものばかりでしたが……」
「幸いにも……?」
神官は首を傾げた。それでは自作自演だと言っているようなものである。本当に恨みを持つ人間がやったのなら、相手のお気に入りを壊して然るべきだ。
わざわざ、もう着る可能性の少ないお古ばかりを狙うことはしないだろう。
「私は誓って、妹を傷付けるようなことはしていません。でも、誰も信じてくれません……」
人のイメージとは恐ろしいものだ。
実際には起こっていなかったとしても、嘘のいじめをでっち上げているだけで、次第にやってもいない悪事のイメージで悪者扱いされているのだ。
「心中、お察しする」
「ありがとうございます……」
仕切りで神官の顔は見えないが、きっと慈悲深い人物なのだろう。イングリッドは心の中で、神官に深く感謝した。
「小説では、先々のことも分かっているのか?」
神官の質問に、イングリッドは首肯した。
「このままいけば小説のアイラは私の婚約者と結ばれて、私は実家から追放されてひっそりと破滅する運命にあります……」
「なるほど。小説では、悪役を追い出してハッピーエンドという訳だ。……しかし重大な問題がある」
神官の声色が急に変わったため、イングリッドは驚いて少し開いている仕切りの向こうを見つめた。
「……ここは小説ではなく、現実の世界だ」
「その通りです」
イングリッドは深く頷いて、続けた。
「ここの学園に入る前、私はアイラとの不仲を理由に父を無理やり説得し、領地の学校からこの都市のアムリタ統合学園へ進学することにしました。家を離れてしまえば、何もできないと思ったのです。こちらの学園に来る展開は、小説にはありませんでしたから」
「だが……教会へ来たということは、うまくいかなかったのだな」
「それが……仰る通りで」
イングリッドは長い溜息を吐き、肩を落とした。
「妹が、私と一緒に行くと言い出して……。アムリタ統合学園は東大陸一の学園……。結局誰も反対せず、こちらの学園に来て一年になります。そして相変わらず……、先ほどお話しした通りのことが今でも……」
「なるほど……。状況は分かった」
仕切りの向こうで、神官が居住まいを正すような衣擦れの音が聞こえた。
「ここからが本題であろう? 何のためにここへ来た? 汝の望みは何だ?」
問いただされたイングリッドは、本当に信じてもらえているのだと思った。同時に、滅相もないと首を振る。
「い、いえ。望みだなんて大それたものはありません。……私はシナリオに従って退場するつもりです。アイラの思い通りに」
「小説通りに破滅すると?」
神官が肩透かしを食ったような言い方をしたのが分かったので、イングリッドは申し訳なさ半分に微笑した。
「破滅といっても、アイラの人生に二度と登場しないだけです。家を出て質素な生活をすること自体には抵抗はないのです。元々、倹約を好むニホン人でしたし……。むしろ貴族の煌びやかな生活の方が、慣れないというか……」
「ふむ」
「すっ、すみません。その……。私がご相談したかったのは、妹の……アイラのことなのです」
神官が疑問の唸り声を上げたので、イングリッドは慌てて言い直す。あちらの世界の国の話など、アークヴァルトの住人に分かるはずもない。
「聞こう」
イングリッドは、神官の根気強さに重ねて心の中で感謝した。
引き続き、詳細シーンの続きです。
話を聞いている「神官」は、ラビです。
イングリッド目線のため、名前は出ていません。
次回、新イラスト公開しますのでお楽しみに!