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正午十分前の鐘が鳴れば、午前の授業は終わりだ。
お待ちかねの、お昼休みである。
三階建ての大型食堂館で、『フリーダム』メンバーがいつも陣取る場所は二階奥のコーナーだった。学園内に幾つかある食堂館は、いずれも学科問わず利用することができる。
各学科に分散している『フリーダム』メンバーも、この食堂館を利用すれば毎日お昼には情報交換ができるという訳だ。
一部の貴族は各学科の商店街にある高級レストランを使うこともあるが、この食堂館は各国王侯貴族の留学生たちにも好評である。全ての食堂館に一流の料理人が雇われている。学食と侮るなかれ、だ。
肝心なメニューはというと、一部高額メニューもあるにはあるが基本的には安価に抑えられている。平民出身の生徒でも、気兼ねなく毎日利用できるのだ。
「そんなことがあったのか……」
神妙な顔で話を聞いていたのは、騎士科聖騎士コースのレナードだった。
リクとイングリッドは、今日の午前授業を使って行われた討伐実習で起きたことを話した。
「……私もマリアーネも完敗だった。カレンさん……。彼女のような本物が、本来は聖女になるべきなんだろうな」
「スィード家の……。確かに彼女はモノが違うが、比べるのは見当違いだ」
と、レナードはリクを気遣う言葉を口にした。リクは首を振る。
「私も比べてどうこう言うつもりはない。……けど、他の『ヒロイン』たちはそうはいかないみたいだ」
「マリアーネさんは、めちゃくちゃ張り合ってましたからね……」
イングリッドが苦笑しながら言った。
マリアーネだけではなく、基本的に『ヒロイン』たちは自己の優位性が危ぶまれる相手を敵視する傾向にある。各作品で悪役令嬢が目の敵にされているのも、そのためだろう。
(……他の『ヒロイン』たち? ヒロイン?)
会話の中で、レナードはある単語だけ意味が分からなかった。だが、イングリッドには通じているようだ。
「その『ヒロイン』とは、どういう……」
レナードが言いかけた時、奥のコーナーに転生者メンバーがやって来た。
理知的な美姫と知られるプラチナブロンドの美少女と、黒髪で荘厳な雰囲気の美女、そしてレモン色の髪をした物腰の柔らかい美少女だ。
「やっほー。みんな、やってるわねぇ」
「皆様、ご機嫌よう」
「こんにちは」
貴族科高等部一年生のエクリュア・ヴァイス・グランルクセリアと、二年生のディアドラ・フラウカスティア。
そして、錬金科一年生のシエラ・クローバーリーフだ。
ともにグランルクセリア王国出身の王族と貴族だ。
それぞれの侍女たちが後ろに続き、学食のランチプレートを運んで来ている。
学園には、侍従や護衛を二人まで連れて来てもよいことになっている。エクリュア王女の侍女兼護衛のミレーヌや、ディアドラが婚約者の大公家に付けられている侍女二人だ。
彼女たち――特にエクリュア王女は、テーブルの端にレナードがいるのを見て片眉を跳ね上げた。
「ちょっと、どうして部外者がいるのよう」
「……ごめん。付いて来てしまって……」
「これは王女殿下。私の存在はお気になさらず。リク殿の真の護衛として、共にいるだけです」
リクが先に謝ったが、レナードは自信たっぷりに言った。
「リク・イチジョウに絡んでるってことは……。あなた、まさか……」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ラッハ家のレナードと申します」
前回、街のカフェで開かれたサロンでは、レナードは兄のレンブラントに倣って護衛に徹したため、王女に正式な挨拶をしていなかった。
エクリュア王女は肩を竦め、うーんと考えながら額を抑えた。
「姫様、いかがなさいますか?」
その問いは遠回しではあるが、穏便に「追い出しますか?」という意味だった。
なかなか平然と怖いことを聞くようになったな、とエクリュアは思った。これもアシュトーリアの大公と婚約してからかもしれない。
「いえ……いいわ。学園の食堂だし、本来は誰が使ってもいい場所よ。それに……『ななダン』の攻略対象じゃねぇ」
エクリュアは改めて、ちらりとレナードを見た。エクリュアも前世でプレイしているので、『ななダン』のストーリーは知っている。
遅れて登場する六番目の攻略対象が、早い段階でいなかったのは他国の学園に留学していたからだったようだ。それがアムリタ統合学園とは、ゲームでは一切触れられていなかった。
実際に転生してみて初めて分かることも多い。ここが本物の世界だという証しだ。エクリュアも、アークヴァルトが作り物の世界とは思っていない。
一方、レナードの方は内心首を傾げていた。
(……『ななダン』? 攻略対象とは? 何だ……?)
またしてもレナードの知らない単語が飛び出したためだが、ひとまずエクリュア王女に同席の許しを得たことで追及するのは遠慮しておいた。
「感謝します、王女殿下」
「ただし、私たちから聞いた話は他言しないで頂戴」
「もちろん心得ております」
彼女たちは、エクリュア王女の閉鎖的サロンのメンバーだ。サロンメンバーのみに通じる隠語かもしれない――レナードは、そう片付けた。
「……それはそうと、姫様。その方たちは……?」
エクリュアとディアドラの後ろで所在なげにしている、貴族科制服を着た女子生徒が二人いる。彼女らについて最初に指摘したのは、エクリュアと元々親しいシエラだった。
「ああ、紹介しようと思っていたのよ。彼女たちは、新しくメンバーに加わるテレジア公女とブリジット嬢よ。今度のサロンから正式に参加してもらうわ。仲間に入れてあげてね」
エクリュア王女の紹介を受けると、彼女たちは貴族科制服の赤いスカートの裾を摘まみ、揃って上品にお辞儀をした。
「お初にお目に掛かりますわ。ご紹介に与りました、聖カレイド国のテレジア・ディボード。ディアドラ嬢と同じクラスの二年生です。以後、お見知りおき下さいませ」
「……は、初めまして。私はシェローム王国のベレスフォード侯爵家が娘、ブリジットと申します。エクリュア姫と同じクラスの一年生ですわ」
優雅なテレジア・ディボードは、聖カレイド国の公爵令嬢である。
よくある金髪縦ロールの美女で、地球に存在する転生系の作品の記憶があれば言われなくとも悪役令嬢と分かりそうだ。
もうひとりのブリジット・ベレスフォードは、シェローム王国の侯爵令嬢だ。
編み込んだ緑の髪をアップスタイルにしている。眉を下げて微笑む表情は、悪役令嬢にしては脆弱な印象を受ける。しかし年齢の割に妖艶な体つきをしているため、『ヒロイン』とは対照的に描かれるのだろう。
「ディボード公女は、私が連れて来ました。さきの大量逮捕で『ヒロイン』が生き残っている作品の悪役令嬢なので、助けが必要と判断しました。同じクラスにメイン攻略対象のアルフォンス王子もいるため……、神学科のヒロインが頻繁にやって来るのです」
ディアドラが説明すると、テレジアは心底感謝を表明した。
「フラウカスティア嬢が何度もフォローして下さって、助かりましたわ。追って来たヒロインの聖女が神学科に入れられて安心していたのですけれど、アルフォンス様に付きまとって私の悪い噂を流されていましたから……」
「お安いご用です」
テレジアと視線を合わせ、ディアドラが微笑んだ。悪い噂への対処など、ユレナに受けた嫌がらせに比べれば大したことはない。
「うん……? 聖カレイド国……。どこかで聞いたような……」
リクが唸り声を上げていると、イングリッドが小声でリクの耳元で告げた。
「リクさん、『聖カレ』です。ヒロインは、あのマリアーネさんの乙女ゲーム『聖カレナで運命を』という作品です」
「マリアーネの……!」
乙女ゲームを知らないリクが、声を上げてテレジアをまじまじと見つめた。大人っぽい高貴な雰囲気は、マリアーネとは方向性の違う美女である。
ともかくマリアーネにとっての悪役令嬢が、彼女ということだ。
「あのマリアーネに敵視されたら、面倒そうだな……」
第一の感想が、それだった。誰もが苦笑する。
「そうなのです」
と、テレジアが強く頷いた。
「せっかく私が身を引いて国外へ出たというのに、わざわざアルフォンス様を説得して連れて来るんですもの。シナリオに執着するにも、ほどがありますわ」
溜息を吐くテレジアに、リクもイングリッドも同情を禁じ得ない。
「その『聖カレ』のヒロインって、今神学科にいるのよね?」
話題が出たついでに、エクリュア王女がリクとイングリッドに尋ねた。
二人は顔を見合わせ、頷いた。
「同じクラスだ」
と、リクは答えた。
「何か問題はない?」
「あるには、あったけど……。さっきの話をするべき?」
リクは実践授業の後の出来事を思い出した。マリアーネが、水を掛けてカレン・スィードを侮辱した件だ。
説明が難しいが、マリアーネはその程度の人間だ。彼女の脅威は、それほどでもないとリクは見ていた。
すると、イングリッドが言った。
「マリアーネさんなら、うちのクラスにはカレンさんがいらっしゃるから大丈夫かと思います。私もリクさんも、今のところ平気です」
「カレンって、あのカレン・スィード?」
「はい。私たち……とは関係ないですけれど、彼女のような強力な人物がいらっしゃるので。ゲームとは違って、抑止力になっていると思います」
答えながら、イングリッドはレナードを一瞥した。転生者、という単語を出せないのも言いづらいものがある。
そんな気も知らず、レナードはパンを囓っていた。
今のところ女の子しかいない『フリーダム』メンバーの昼食に加わるレナードは
結構メンタルが強いですね。空気を読まないお兄さんにそっくりかもしれません。
転生/転移者・攻略対象等まとめ
【聖カレ】 ←New!*作品名判明
・ヒロイン:マリアーネ 聖カレイド国の聖女
・悪役令嬢:テレジア 聖カレイド国の公爵令嬢 貴族科 ←New!
・攻略対象1:アルフォンス王子 聖カレイド国の王子 貴族科にいる




