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「お、お二人とも……」
言い合う二人の間でイングリッドはあたふたしていた。
二人を宥めようにも、イングリッドはどちらとも別作品の悪役令嬢だ。何を言えばいいのかすら、分からなかった。
――そんな時だった。
『こいつらの認識は間違っているぞ。聖者というのは、ある程度の悟りを得た者のことをいう。異界の印が付いたヒロインかどうかなど、何の関係がある? 全く……。異世界の神は何を考えているのやら』
声の方を見たイングリッドは、一瞬意識が攫われていたことに気付いてハッとした。
その時、リクが神妙な顔をしてマリアーネを見据えて口を開くところだった。
「…………。ひとつ、聞きたいことがある」
真剣なリクの表情に、マリアーネも何となく怒りを収めてリクを見つめ返した。
「……何よ?」
「まさかとは思うけど、神学科にいた二十人の『ヒロイン』が『魅了』に走ったのは……、彼女の影響?」
「!」
ここで言う彼女とは、もちろんカレンのことだ。痛いところを突かれたのか、マリアーネはすぐに言葉が出なかった。
「あなたや、グランルクセリアにいたヒロインの子を見ていて思ったんだ。男の人や取り巻きを取られたなら、可能性はある。そしてあのカレンさんほどの女なら、あり得る……」
リクの言葉を聞きながら、マリアーネは少しずつ目尻に涙を溜めていった。
「……わっ、私は取られてないわよ! 負けたなんて思ってないわ!」
「そこまでは言ってない。……もしかして、二十人の中に友達でもいた?」
鋭いリクの指摘に、マリアーネは震える拳をぎゅっと握った。
「……いたわよ。みんなバカだった……!」
声色を低くして鼻を啜り、マリアーネはついにぽろぽろと涙を零し始めた。いなくなった友達を想い、堪えきれなかったのだろう。
「優しいのね。意外と」
「意外は、余計よ……!」
マリアーネが泣き出してしまい、何故かリクが慰める格好となった。
一緒にいたイングリッドも戸惑ったが、声を掛けた。
「……だ、大丈夫ですか? マリアーネさん」
「『愛レゾ』の悪役令嬢は黙ってなさい!」
「ええ……」
取り付くシマのないマリアーネだった。拒絶されては、イングリッドもそれ以上の言葉を呑み込むしかない。
「はぁ……もう、サイテー。あなたが悪役令嬢と仲良くする変人だってこと、忘れてたわ! 信じらんないっ」
自分の袖で涙を拭うと、マリアーネはふんと鼻を鳴らして自分の席へ戻って行った。
しばらくして、「うーん」と唸りながらリクが詫びを入れた。
「……ごめん。どうも、絡まれやすいみたいで……」
「い、いえ。それより大丈夫でしょうか、マリアーネさん」
「さぁ……。でも、彼女は打たれ強そうだ」
淡泊に――悪く言えば適当に答えたリクを見て、イングリッドはこちらの方が意外だと感じた。打たれ強いかどうかなど、どうして分かるのだろうか。そこまで親しくもないはずだ。
――がんばって、がんばって、がんばって。
やっと、立っていることもあるかもしれないのに。
もうひとりの転生者である義妹アイラと過ごし、苦労に苦労を重ねて育った日々。それを思い返しながら、イングリッドはどこかやるせなさを感じた。
その時、予鈴が鳴った。
カレンと彼女を囲む集団が、それぞれの席へ戻っていく。
すると、リクたちの席にカレンが近付いて来た。何事かと思わずリクが立ち上がり、イングリッドを庇うようにカレンの前に立った。
「……先日のお返しでも?」
リクは始業式の日、『ヒロイン裁判』に巻き込まれたアミを脱出させるためにカレンを人質に取ったことがある。その時、学園側から受けた罰は反省文だけという軽いものだった。そのため直接、仕返しをされてもおかしくはない。
カレンは穏やかに首を振り、腰を折る。
「いいえ、ただのご挨拶です。おはようございます」
「お……おはよう」
肩透かしを食らってリクが首を傾げていると、カレンは少し横にずれて、もう一度丁寧にお辞儀をした。
「後ろのお方にも、ご挨拶申し上げます」
「お、おはようございます。ご丁寧にどうも……」
イングリッドが挨拶を返した時、温かい声が『おはよう』と言った。
「――!」
ようやくイングリッドが気付いた時には、カレンはすでに踵を返していた。
カレンが自分の席に着くのを、イングリッドが黙って見つめている。
「……どうかした?」
リクが尋ねると、イングリッドは我に返ったようになり、驚いてしまったのだと答えた。
「まさか話しかけられると思わなくて……」
「うわさをすれば何とやら、ね」
「そ、そうですね」
ごまかすように言った、イングリッドの言葉。リクは違和感に気付いていたが、それが何なのかまでは分からなかった。
その日は神聖魔法の実技授業のため、リクたちのクラスが魔術修練場を訪れていた。
魔術修練場には外に魔法の威力がもれないよう、内側に結界が施されている。四本の白い柱に囲まれた内部結界と、修練場全体にも二重に張り巡らされている。
担任のプラサード司祭が黒い小瓶を掲げ、中に魔物が封印されていると生徒に説明した。黒い小瓶は、禍々しい気配を放っている。
「この中に入っているのは、瘴気に汚染されたスライムです。動きが遅いので労せず捕捉できますが、瘴気の毒性が桁違いなので討伐難易度はAとされています」
「そ……そんな危険なモンスターが……」
プラサード司祭の説明に、生徒たちが戦々恐々と小瓶を眺めた。
「戦士や騎士だけでは全滅もあり得る相手ですが、幸いこのクラスは聖職者の卵たちでいっぱいです。浄化や退魔のスキルに自信のある者は、結界の中に入りなさい。……今日の授業は、瘴気に遭遇した時の対処の実践です」
クラスメートたちが、驚きと不安の入り混じった反応を見せる。
瘴気は、一般の人が一呼吸でもすれば命に関わる死の伝染だ。空気を伝い、あらゆるものを朽ちさせる。自信のある者など、少ないだろう。
誰もが気後れする中、プラサード司祭は三人の生徒を指名する。
「……スィードさん、チェスター嬢、それからイチジョウさん。実戦経験のある、あなたがた三人は強制参加です。協力して討伐の手本を示して下さい。他の者で三人のサポートをしたい人は、続いて下さい。参加した人は、全員加点とします」
「強制……参加……?」
指名されてしまったリクは、途方に暮れたように立ち尽くす。
手本を示せと言われたが、同じ聖女系スキルを持つマリアーネはともかくカレンと協力するとなると振る舞い方には慎重にならざるを得ない。彼女は、あのインクイジターの側の人間だ。あまり手の内を見せるべきではないだろう。
そもそもカレンがリクと同じクラスにいるのも、神殿の意図である可能性が高い。
黙り込んで思索するリクの肩を叩いたのは、マリアーネだった。
「ちょっと、何ぼうっとしてるのよ! 私たちの腕の見せどころよ。あんなモブの巫女なんかより、私たち聖女の方が力も可愛さも上だってことを証明してやるわ!」
強気なマリアーネは、やる気満々のようだ。一番に内部結界の中へと進んで行く。
彼女ひとりに先行させても危険だ。リクは小さく息を吐き、渋々マリアーネの後に続いた。
「分かった。協力するけど、上とか下とかのためじゃない……」
そんなリクたちの後ろから、イングリッドが小走りで近付いて来た。
「リクさん、私も手伝います」
「……イングリッド。ありがとう」
「いえ。支援の精霊魔法くらいしかできませんけれど」
謙虚なイングリッドに充分だと答えて、リクたちも内部結界の中へと入った。
イングリッドの姿を見たマリアーネが嫌味を言った。
「なにー? 悪役令嬢も来たワケ?」
「地球の物語は関係ない。そういう差別を続けるなら……」
話しながらリクは振り向いて、続きはイングリッドに向けて言った。
「彼女のことは支援しなくていい」
と、マリアーネを指しながら。
マリアーネはグッと言葉に詰まってから、やがて折れた。
「ああ、もう。分かったわよ! 悪役令嬢とは一時休戦よ。今はカレンに勝つことが先決だもの。今まであの女のせいで辛酸を嘗めてきた『ヒロイン』たちの報復戦よ!」
「辛酸……? それはつまり、やっぱりカレンさんの前では他の『ヒロイン』たちの存在が霞むから迷惑という意味だろうか……」
せっかく譲歩したマリアーネにリクが言ってはいけないことを言い、マリアーネの額の青筋を増やす結果となった。




