アウイナイトの青い鳥 ~盲目少女のしあわせあつめ~
「ねぇお母様、わたしの幸せの青い鳥はどこにいるのかしら。近くにいるんでしょう?」
「あの青い鳥は貴女のそばにいるわ。毎朝チィチィ鳴いている子がそうよ」
「まぁ、その子が青い鳥なのね。青色ってどんな色なの?」
「とても綺麗な色よ。空の色、湖の色……貴女の髪とおんなじ」
「そうなのね。わたしと幸せはお揃いなんて、嬉しいわ」
大きなお邸の明るい部屋。乳母が見守る中で母と娘の穏やかな時が流れていた。
娘の瞳は生まれた頃より光を映さず、暗闇の中で生きていた。しかし彼女は知っている。
家族の手と、優しい抱擁の温もり。愛情を伝える優しい声。
微睡みを誘う、春の陽だまり。
肌を焦がす、夏の日差し。
髪を攫い、流れる秋の風。
そっと踏んで、音を楽しむ冬の雪。
朝の澄んだ空気、人々が働く昼の気配、夜の静けさ。
彼女はいつでも、家族と世界を愛していた。
時は過ぎ、娘は齢十六歳。
娘は家族と共に訪れた避暑地にて、湖の木陰で風とうたを楽しんでいた。
「青色は空の色、湖の色……ネモフィラとアガパンサス。サファイア、タンザナイト……あとわたしの髪の色」
小鳥がさえずるような澄んだソプラノを風が運び、そっと湖に響かせる。思いついた言葉を思いついた音に乗せ、大自然を聴衆に朗読会をひらいていた。
「アクアマリンもいいものだよ、ああでも……君の髪はアウイナイトかな。やあ美しい声の可愛い青い小鳥さん、ご機嫌はいかがかな?」
次の演目へ移ろうかという時、よく響く鮮やかなテノールが差し込まれた。
侍女と護衛が静かに下がる気配がする。この声の持ち主は、どうやら不審者ではないようだった。
「アクアマリンもよさそうだけれど、わたしは海を知らなくて。ごきげんよう、ミスター」
「おや、驚かないんだね?」
「あら、お人が悪いわ。だって……足音、わざと出していたのでしょう?」
「正解。ずいぶんとよい耳をお持ちだ」
「ありがとう。あなたも素敵なお声ね」
「こちらこそありがとう。でも、君のさえずりの美しさには勝てないな」
「分類が違うと思うの。あなたの声は……そうね、あの大ホールのコンサートで聴いたチェロのようよ」
「大ホール……まさか新王立音楽堂のかな? それは光栄だ。僕もチェロを弾くしね」
「そうなの? なら、あなたの弾き語りが聴いてみたいわ」
「うれしいな。機会があれば、是非」
「素敵。楽しみリストに加えておくわね。絶対よ」
ぽんぽんと交わし合う言葉の応酬を楽しんだ娘と青年はしばらく雑談を続けていたが、やがて太陽が湖に沈む時間が迫ってきた。
「ああ……楽しい時間はあっという間だね。これ以上ここにいると君の身体が冷えてしまう。青い小鳥さん、送っていこう」
「まぁ、ありがとう。ところであなた、お名前を伺ってもよろしくて?」
「僕は……ティルだ。君は?」
「……じゃぁ、わたしはマイね」
マイが杖を持つ手とは逆の手を引き、ティルはゆっくりと歩き出す。
初対面のはずだがやたらと近い距離。けれどマイは不思議とティルを怖いだとか、不快だとか、そういった負の感情を持たなかった。会話は楽しく、妙に距離は近いが紳士としての線をきっちりと引いてくれていたからだろう。
そして手袋越しに、確かな彼の熱を感じたのだ。
◆ ◆ ◆
時には偶然に、時には示し合わせて、マイとティルは逢瀬を重ねた。
歌劇場で話題のオペラを楽しんだ。
植物園で緑と花の匂いを楽しんだ。
流行りのカフェで珈琲の香りとケーキの味を楽しんだ。
郊外の牧場でモコモコな羊の手触りを楽しんだ。
ふたりは様々な場所で、四感を楽しませた。
ある日、マイはティルに新王立音楽堂へと誘われた。どんな曲目があるか教えてもらえずドレス選びに迷いに迷った。結局、美しいらしい建物に合うように、なにより自分がとびきり可愛く見えるように侍女にお願いして着飾った。
そうして赴いたロビーでは、ティルの穏やかなテノールだけが迎えてくれた。
「やあ、マイ。僕の青い小鳥。待っていたよ」
「驚いた、人の気配が薄いわ。もしかして、貸し切りにしちゃった?」
「君には特等席で、じっくり聴いてもらいたかったからね」
「……チェロを弾いてくれるの?」
「その通り。君のためだけに弾くよ」
「すごいわ、とても楽しみ!」
マイはドレスに合わせた装飾の杖をつき、ティルに手を引かれてホールの舞台へと上がる。舞台中央付近に置かれたソファに誘導され、座り心地の良いクッションに腰を沈めた。
一曲目は、音楽会で定番の楽曲。聴き慣れた旋律がしっとりと奏でられた。
二曲目は、歌劇場で共に聴いたアリアが、チェロ向けにアレンジされていた。彼のテノールが紡ぐのは、軽快だが情熱的な愛の調べ。
三曲目は、以前どこかのタイミングでマイが口ずさんだ稚拙なメロディ。
「もぅ、あなたってば、そんなものを覚えていたの?」
「君のことなら全てを覚えているよ。さあ、歌ってみて」
「仕方のない人ね、歌ってあげる!」
広い舞台の中央で、思い思いにふたりだけで歌うなんてことはマイにとって初体験。けれど不安などは何もなく、ティルが奏でるテノールにただ心を任せた。
「……あぁ、楽しかった!」
「お気に召してくれかな、僕の青い小鳥?」
「えぇ、とっても。素敵な時間だったわ。ありがとうティル」
「ねえ、マイ。よかったらこれからも同じ時間を過ごしてくれないかな」
「また貸し切りは、驚いてしまうけど」
「そうだね、次はもっとこじんまりと……例えば僕の部屋で、とか」
「まぁティル、それって……」
「結婚してくれないか。僕は、君と君の望む幸福の傍にありたい」
「えぇ……えぇ、えぇ。あなたとなら、よろこんで」
そっと指にはめられたのは、繊細な細工が施された華奢なハーフエタニティのリング。ティルの説明によると、使用された石はアウイナイトとダイヤモンド。
「君の青い髪と僕の銀の髪のイメージで作ったんだ」
「何も見えないことが、これほど惜しいと思ったのは久しぶり……あなたは銀の髪なのね」
マイはそっとティルの頬に手を寄せる。そのまま顔に指を沿わし、違和感に気づく。
「……お顔に、傷?」
「大げさに見えるけど、ちょっとしたものだよ……怖い?」
「どうして? 何も怖くないわ、ただ心配なだけ。触れても大丈夫だった?」
「だいぶ前のものだからね、もう大丈夫……あぁ、嬉しいな、ありがとう」
「……どういたしまして」
ティルの過去に何があったかをマイは知らない。だが、この優しい青年の心には顔の傷よりも大きな傷が今でも深く刻まれたままなのだろう。
飄々とした彼の裏側に少し触れられたマイは、ティルのことが今までよりも愛おしくなった。愛おしさを込め、傷痕と一筋の涙を落とした瞼にそっと口づけを落とした。
その直後、感極まったティルにマイは強引に唇を奪われる。息苦しくなった彼女が抗議をし、唇は一度解放されるが一呼吸ののち、今度は優しく重なった。
◆ ◆ ◆
前国王と前王妃の崩御から一年、王国中を吉報が巡った。
まだ若い金の瞳の新国王を陰から支える王弟殿下と、幻の妖精姫と謳われる侯爵令嬢の婚姻。発表前、お忍びで仲良く街を散策していたふたりは様々な場所で目撃されており、その仲睦まじさは既に話題となっていたのだった。
人々は、彼らのロマンスを想像し、噂をし、大いに祝福した。
少し時間を置いたのち、王族としては小規模だが標準的な貴族より盛大な結婚式が執り行われ、ふたりは夫婦となった。
「……改めて言うけど、あなたがこんなに偉い人だなんて知らなかったわ!」
「驚かせてごめんね……言ったら嫌われるかと思って」
「どうして? 嫌うなんて、そんなことは絶対にないのに。いいわ、許してあげる」
「ありがとう、マイ。それでも僕はマイのティルのままだから」
「わかったわティル。わたしもあなたのマイよ」
準備も含め、ひたすら慌ただしかった式を終え、夫婦の寝室でふたりはゆっくりと語らう。肩書は変われど、ふたりの関係は何も変わらない。いや、もう一歩ずつ踏み込んだふたりの影は重なり、新たな関係が刻まれた。
「潮風って不思議な匂いね、驚いちゃった!」
「風の肌触りも内陸からの風とは違って、面白いだろう?」
「えぇ、ほんとうに。海の色はどんなかしら……青いのよね?」
「ああ、君の髪よりも……黄色みが強いかな」
「想像がつかないわ! あぁ、明日も楽しみね」
ハネムーンで訪れた海辺の街のホテルの一室で、マイは宿泊初日の興奮を振りまいていた。
初めての海への興奮を隠さないマイを見て表情を和らげていたティルは、ふとその瞳に陰りを浮かばせる。
「……ああ、そうだね。やはり改めて医者を探そう……大陸中を探せばどこかに……!」
「大丈夫よ、いいの。色々なお医者様が言うには、わたしの目は治らないんですって。でもね、諦めたとかそういうわけじゃないの。だってわたしは今、とてもしあわせだから。何も見えなくても、世界はちゃんとあるって、あなたがここに居るって、知ってるわ。怖くない」
「……あぁ、あぁ……僕はベリルーンの帽子を持っていないけれど、君はずっと心に持っているんだね」
「わたしがベリルーンの帽子なら、あなたがダイヤモンドね。あなたがいないと駄目だもの」
「……ありがとう、僕のアウイナイト。僕の青い小鳥」
「あなたは、わたしの青い鳥だわ。大好きよティル」
「愛しているよ、マイ」
結婚生活は穏やかで幸せなものだったが、ティルの気配がふと不安定になることがある。
仕事の問題によるものか、他の要因なのか。思い切って聞いてみると「幸せすぎて怖いんだ」と返ってきたので、マイにはよくわからなかった。
「君の脚を折ってしまおうか、そうすれば君はどこへも行かない、僕だけだ」
「それは困ってしまうわ。だってあなたにキスができなくなってしまうもの」
「僕から沢山するよ?」
「もぅ、わたしからも沢山したいのに」
「……じゃあ、沢山しよう」
マイは並んで座っていたソファから立ち上がりティルを抱きしめようとするが、引き寄せられ彼の腕の中に囚われた。頭に、額に、こめかみに、目蓋に、鼻に口づけを落とされ、くすぐったさにクスクスと笑いが漏れる。
「ほら、こうやって遊ぶのも難しくなってしまうかも」
「そうだね……ああ、そうかもしれない」
降参だと言わんばかりに、ティルが大げさに肩をすくめる。マイを抱きしめたままだったので、その動作により更に強く抱き寄せられたマイから「ぐぇ」と珍しい呻き声が発されて、気が抜けたふたりは思い切り笑った。
「……ねぇティル、わたしやってみたいことがあるの」
「なんだい? なんでも叶えてあげるよ」
「無理は言いたくないのだけれど……点字って知ってる?」
「ああ、数年前に入ってきて改良が進んだあれだね。君も学んでいたね」
「ふふ、さすがティル。わたし、あれの翻訳をやってみたいのだけれど……」
「それは……ねえマイ、僕は君に錐を持たせるのは反対するよ。だって心配だ」
「そう……そうね、我儘を言ってごめんなさい」
「我儘なんかじゃ……ああ、クソ、うん。少し待ってもらえるかな、思いついたことがあるんだ」
「……! ありがとうティル、大好きよ!」
「僕に任せて。愛しているよ、マイ」
数カ月後、点字用タイプライターの試作品がマイに届けられた。
それはティルが考案し、点字普及協会と共同で開発されたものである。
「翻訳元は寝る前に僕が読むからね」
「すごい、すごいわティル、ありがとう!」
「どういたしまして。喜んで貰えてよかったよ」
「ふふふ、あなたの素敵な声ならすぐに覚えられてしまうわ。沢山読んでね?」
「君のためならいくらでも」
そうしてティルが読み、マイが翻訳した何冊かのおとぎ話の点字本は、老若男女問わず点字を学ぶ者たちの助けとなった。改良が加えられた点字用タイプライターも少数だが出荷され、少しずつ他の点字本も増えていった。
「ああ、マイの素晴らしさがどんどん世間に知られていく……どうしたら君は僕だけのものになってくれる?」
「わたしはとっくにティルのものよ?」
「足りない。足りないよ……」
「困ったわ。もっと言えばいい? ねぇ、愛しているわティル」
「愛しているよマイ。どこにも行かないで、ここに居て」
「わたしの居場所はここ、あなたの腕の中なの。離さないでね、大好きよ」
「…………………………本、読むかい?」
「いいえ、今日はもう少しぎゅっとしてから寝ましょう? なんだか離れたくないの」
「……わかったよ、叶わないなあ。もう離さないよ」
しばらくして、王弟とその妃との間に青い髪と青い瞳の双子が生まれた。民は青を尊び、敬い、青い布や青い顔料が売れに売れた。
銀の髪に青い瞳の王弟、ティオフィルス。
青い髪と黒い瞳の王弟妃、マイアリン。
番の青い鳥は、王国という大きな鳥かごの幸せを模索し続けたという。
◆ ◆ ◆
前国王の妾であった青い瞳の女は、穏やかな森の中の小さな離宮で、王弟とその妃の慶事をそっと言祝いだ。
彼は初恋を叶えた。きっと自分ももう、ここから巣立っても良い時期なのだろう。さあ、これから何をしよう。
決して息子とは呼べなかった彼と、決して義娘とは呼べない彼女の幸福を祈りながら、青い布に銀の糸を刺した。
気分転換に溺愛スパダリに挑戦したら監禁ヤンデレが誕生しかけたけれど、圧倒的光属性がストーカー気質の闇属性ヤンデレをキャンセルしていきました。