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お金

【お嬢様 悪治物語】は天使で、いえ、あくまで五十界が舞台の、架空とされるお話です(ᐢ ᵕ ᐢ)。

 人の生活の基本といえば「衣食住」です。

 寒さを凌ぐ衣、日々の糧の食、安全に眠るための住です。


 人類に文明が興る前、市場等がない時代は人々も自身(一家)で食料を調達する必要がありました。

 日々の糧も毎日収穫できるとは限りませんので、とれたものを長期保存する工夫がなされます。


 それらの延長線上にあるものが、干物や干し肉、漬物等です(比喩ですので、正確な時代考証等はご容赦下さい)。


 これらは、自身(一家)でとり、長期保存するために加工する作業が必要です。

 完全に『自給自足』なのです(裏を返せば、フードロスが殆どないと言えます)。


 また、万遍なく栄養を取るためには、何種類もの食料をとる必要があります。

 そのためには、住む土地を転々としたかも知れません。


 さて、この状態でいきなりお金を登場させます。

 このお金は、石で出来ていて食料を長期保存させたものより、遙かに耐久期間が長く、かつ誰しもがお金として認めるものとします。 


 つまり、この石を持ってさえいれば”買える”のですが、実際は市場等がないため”買えるものがない”のです(市場の比喩)。


 ただ、市場があってかつ種類が豊富にあり、その状況が毎日維持されれば(フードロス発生の可能性有)、お金は『自身で長期保存したものより、長くもつ』ので便利で良いものになります。


 ここまで、簡単に考察してみましたが、うーん、どうでしょうね~。

 と、言うのは「市場やお金」が近隣に住む別の一家がいくつも駆け寄って、自然発生したとは考えにくい。


 なぜなら とれるものが似たり寄ったりになるからです(自身でとれるので、わざわざお金と『交換』する必要がない)。

 となると、遠方で取れる別の種類のものが必要になりますが、それには偶然そうなったではなく、誰かに企画されたと考える方が自然です。


 つまり、賢い方々がお金を用意し、市場なるものを企画。

 各々の一家が収穫して市場へ持ってきたものを用意したお金で買取り市場へ並べ、各々の一家はその支払われたお金で並んだものを買う。


 後は延々とこれの繰り返しですね。

 市場は、より多くの一家に参加してもらい、より多くの種類が並べば、より魅力なものになっていきます。


 そして、賢い方々が用意したお金も、自然とその価値が高まるのです。

 

 更に、その市場で何でも買えるようになれば、高く買い取ってくれるものをとる(専業化の第一歩ととり過ぎ問題)ようになるのでしょう。


 そして、その市場、お金への依存度が益々高くなります。その市場、お金なしでは生活できない様になるのです。


 そうなってしまえば、賢い方々は左団扇です。

 そうなる迄は、市場、お金を普及させる(依存させて、弱みを握る)ために、手綱を緩めていましたが、今度は締める番です。


 後はその利益を守るために武に長けたものを雇ったり(軍・警察の第一歩)、

 色々なルールを決めたり(法律の第一歩)、ちょっとした国の様相を呈してきました。 


 さて、この時点では何が問題になるのでしょう(かっこ内に注釈として書いた問題もありますが、それは除いて)。


 実は、賢い方々は、多くの種類が市場へ集まった時点で自給自足する必要はありません。集まったものを食べればいいからです。

 また、初期投資として、市場をつくる必要がありますが、一度つくってしまえば、後はお金をつくるだけで力をつける一方なのです。


 まさに「ぬれ手であわ」状態で、賢い方々がこの厚遇を手放すはずがありません。 

 この状況の延長線上にある(賢い方々にとって磐石の状態)のが、今のこの世界です。


 ひふみ神示では「金は使ふもの。使はれるものでないこと よく判って居らうが」とありますが、

 本当の意味でお金を使って(お金を得る為でなく、目的達成(更に万全の体制へと)の為の手段)いるのは、この方々だけなのです。


 残りの者は、お金を得るためにいい様に働かされているのです。

 全く気づきもしないで、まるで、金に仕える(使われる)奴隷の様です。

 

 気づかないのは、賢い方々がそうなるように心象操作・世論の操作(「金が全て」「金さえあれば何でも買える」等)をしているから(勿論、それらをする為にお金を使って)です。

 


 お金の本来、あるべき姿とは、お金に使われない、依存しすぎないという事です。


 前述の市場の比喩にもあるように、買えるものがなければ、お金は何の意味も持ちません。

 

 お金は食べらません(ᐢ ᵕ ᐢ)。

 つまり、お金に頼らず自給自足できることが理想です。


 自給自足できれば、無理な要求には「No」と言えます。


 裏を返せばそれをさせない為に、自給自足させない(食料自給率を100%以上にしないや種をつけない農作物等)のです。


 

 賢い方々は、買えるもの揃えるために、一生働き続ける奴隷が必要でした。

 それを果たす為に、お金を利用し支配・管理の手段として用いたのです。

 


 『 お金に依存させ、それなしには生きられない。それは永遠に弱みを握り、どんな事でも言う事を聞かせるためです! 』



 それは、もちろん今でも続いており、そのやり口は実に巧妙です。

 

 私達は、その事を十分に認識しなければなりません。

 そして、お金を悪い支配・管理の手段として用いさせない事です。


 それには、お金中心&他者依存な生活を改めなければならないようです。

 (例えば、電気が全く使えない状態を想定したり、食料が調達できない事を想定し、野菜・果物等を自家栽培?してみたり(防災上の備えにもなる))


 その方法(お金中心を改める)は全く解りませんが、そのヒントになるものが、ひふみ神示にあります。


「神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。誠もの云う時来るぞ」


 ((神様)ありがとうございます)


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