Ver.1.0 モテるふたり
「ねえ、付き合ってくれない?」
司馬健はその一言を聞いて奈落の底に突き落とされたような気分になった。その言葉が引き金となりマリアの顔が脳裏にフラッシュバックする。そして、マリアを失った悲しみや救えなかった後悔が鋭利なナイフとなって胸に突き刺さった。司馬はその痛みを必死にこらえ、何とか顔に出ないように取り繕おうとする。
その拷問のような言葉を放った目の前の女の子は、司馬の思いなどつゆ知らず頬を赤らめていた。司馬にとっては無慈悲で残酷な言葉であっても、この子にとっては自らの想いを込めた愛の告白である。悪気がないのもわかっていた。真摯に彼女の言葉に向き合うべきに違いない。司馬はそう自分に言い聞かせて、その子の顔を覗き込んだ。すると、その子は慌てて目を伏せる。
司馬の目には女の子の長いまつ毛と毛穴ひとつない滑らかな肌が間近に見えた。小さな唇は真一文字に小さく結ばれ、緊張しているのが見て取れる。
司馬が彼女の顔から遠ざかると、その女子は上目遣いで期待の眼差しを向けてくる。そのキラキラとした視線が眩しく、思わず目を細めた。
彼女は魅力的でかわいい女の子だ――だが、それだけだった。
「すまん、俺、付き合うとか興味がないんだ」
彼女の言葉に向き合った結果を短く伝えると、女子の表情は一変し大きく目を見開いた。そして、途端に涙を流し始める。
「何で? 付き合ってる子がいるの?」
司馬はその涙を見て罪悪感にさいなまれ、小さくため息をついた。
「いや、いない」
司馬がそう答えると、女子は唖然とした表情で目を見開いた。そして、矢継ぎ早に質問を繰り返す。
「じゃあ何で!? 私には魅力がないから!? それとも好きな子がいるとか!?」
信じられないといった女子を見て、司馬はフッと口元を引き上げた。彼女はおそらく司馬のことが好きなわけではない。彼女にとって告白は、自らに魅力があることを確認する作業なのだ。
「キミに魅力がないからじゃないし、僕に好きな人がいるわけでもない。ただ誰かのことを気になったりとか、そういう感覚がよくわかならい。僕自身の問題なんだ」
司馬はそう言い放つと踵を返し、その場から立ち去った。
※
司馬は昔は背が低かったものの、今では身長が180センチくらいになっていた。顔も悪くなかったため、高校に入った時くらいから急に女子たちからモテるようになった。しかし、誰かを好きになることはなかったし、付き合ったこともなかった。なぜなら、好きになってしまったらそれだけ失ったときの悲しみも大きくなることを、知っているからだ。
そんな辛い思いをするくらいならば、誰も好きにならない方がよっぽどいい。それが司馬の出した結論なのだ。
校舎の裏を進み、角を曲がると体育館の裏に差し掛かる。すると、小太りの女子がこれまた小太りの男子を壁際に追い詰めている奇妙なシチュエーションに出くわした。
面倒くさいのは嫌だったので、再び踵を返そうとしたところで思いとどまる。戻れば先ほど告白してきた子がまだいるかもしれない。その子と再び相まみえるのは気まずいことこの上ない。司馬の頭の中で進むか戻るかを天秤にかけると、わずかにこのまま進む方が得策と出た。
司馬は目を合わせないようにして、彼らの脇を通り過ぎようとする。すると、
「あ、司馬! 助けてくれよ~!」
男子が涙ながらに司馬の名前を呼んだ。男の名は野良将平。司馬のクラスメイトである。野良は茶髪のアフロ頭を震わせながらおびえていた。
「私が愛の告白をしたっていうのに何が”助けてくれ”よ。失礼ね! あなたは嬉しそうに尻尾振って私の飼い犬になればいいのよ!」
その女子は眉間にブルドッグのような深いシワを寄せて、男の方を睨みつける。まるで、ブルドッグがトイプードルを追いつめている、そんな様相だった。
「これはこれは野良くん。お取り込み中失礼」
司馬が会釈してそのまま立ち去ろうとすると、
「うおおおい! 今、絶対面倒くさいと思ったろ!?」
と、噛みついてきた。司馬は頭をかきながらため息をついた。
「すまん。急用があってな」
「親友を犠牲にしてまで済まさなきゃいけない用事って何!?」
「え、ほら、早く売店行かないと焼きそばパンなくなるだろ?」
「僕、焼きそばパンに負けたの!?」
「背に腹は変えられないしな」
「薄情者! このすっとこどっこい! お前が買った焼きそばパンなんてそばと紅ショウガの量が逆転してしまえ!」
「おいおい、それはもはや焼きそばパンではないぞ」
そんな軽口を叩いていると、その横で会話を聞いていたブルドッグがワナワナと肩を揺らし始める。
「無視するんじゃないわよ! それで、野良くん、返事を聞かせてくれるかしら!? ほら、一回まわってワンッて言いなさいよ!」
「……」
野良は俯きながらその場で回転。しかし、ちょうど後ろ向きになったタイミングで、司馬に目配せをした。司馬もコクンと頷く。
「よしっ、逃げろっ」
「あ! 待ちなさいよ!」
司馬と野良は阿吽の呼吸で同時に駆け出した。
※
「それにしても、野良はいつも変な奴をおびき寄せるなあ」
売店に向かう途中、司馬はそう呟きながら野良の縮れ毛をワシャワシャと乱暴に撫でた。野良は迷惑そうな面持ちで司馬の手を払いのける。
「うーん、僕も不思議なんだよなあ。こないだなんて魔術研究部の女の子から猛アタックされてさ。”ふたりきりでお話ししよう”って部室に呼び出されて行ってみたら、魔法陣の真ん中に拘束されてさ。あやうく黒魔術のいけにえになるところだったよ……」
「もはや犯罪だろ、それ……」
野良は小学生の頃から知っている幼馴染だった。ふたりとも地元から離れた私立高校に入学したため昔なじみは他になく、いつもふたりで行動することが多かった。野良は昔からビジュアル的に小動物系の人懐っこさがあり、一部のマニアックな女子たちの間で人気があった。その人気は高校二年生になった今でも健在で、女子から告白された (飼育宣言された)回数も司馬と大差ないだろう。しかし、残念なことにふたりとも実りがないことについても同じだった。
「それはそうと、司馬はなんでこんなところにいるんだよ?」
「ああ、ちょっと呼び出されてな」
「まさか、告白!? 誰!?」
野良が目を輝かせながら司馬の両肩を掴む。
「横山――だったか?」
「え、二組の横山有紀?? メッチャ可愛い子じゃん!? それでそれで!? 付き合うことにしたの!?」
「いや、断った」
「何故に!?」
「別に好きとかじゃないからな」
野良は司馬の言葉を聞いてため息をついた。
「もったいないなあ。横山さんだったら僕、一生忠誠を誓うのに!」
「お前、恋愛と飼育を混同していないか?」
「司馬は身長も高くて顔もいいのに宝の持ち腐れ! そんなことしてるといつまでたっても彼女出来ないよ?」
「お前に言われたくないし、その必要もない」
好きでもないのに付き合うのは相手に失礼だし、自分の気持ちを偽っているようで気持ちが悪い。
売店に辿り着くと、野良が最後に残った焼きそばパンをかっさらっていき、司馬は焼きそばパンにありつくことはできなかった。
ここまで読了いただきありがとうございました!