2 王都へ
「おい、大丈夫か?」
こちらの身を案じる声に振り向けば、そこにはコスプレみたいな恰好をした女がいた。
初雪のような白髪を腰まで伸ばしており、吊り目がちの鋭い瞳は黄金の輝きを湛えている。
各所を金属のプレートで補強した黒いハードレザーとブーツを見事に着こなす高身長の八頭身で、美人だが顔に大きな傷があり凶悪さのほうが勝っている印象だ。
そして何より目を惹くのが頭の上にぴょこんと生えたもふもふの三角耳と、ふさふさの尻尾。
すると謎の犬耳女は何かを嗅ぎつけたように鼻をスンスン鳴らし顔を僅かにしかめた。
「チッ、上のほうが少し燃えてやがるな。おいお前、死にたくなけりゃここで待ってろ」
「え? あ、ちょっと!?」
俺が呼び止める間もなく犬耳女は人間とは思えない速度で山の上へ駆けだして行ってしまった。
とりあえず人間(?)とは出会えた。右も左もわからない山の中を彷徨うよりは彼女の言いつけ通りここで待ったほうが得策だろう。
知らない言葉のはずなのに不思議と理解できたのが不気味ではあるが、今は他に頼れる相手もいない。
それから三〇分ほど待つと消火作業を終えたのか女が戻ってきた。
「お、逃げずに待ってたか。お前素直だな」
「これ以上動いても余計に迷うだけですし」
「とりあえず先にコイツを解体しちまいたいんだが?」
親指で示した先にはジャンボジェットより巨大な竜の死骸。これを一人で? 無茶な。
と、最初は思っていたのだが、女は恐ろしく冴えた剣の妙技で竜の身体をバラバラに解体してゆき、日が暮れる頃には竜の死骸はすっかり各部位ごとに分けられ女が持っていた背負い下げの中に丸ごと一匹納まってしまった。どうなってんだ。
「へっへ、紅蓮竜の成体が丸々一匹。こんだけありゃ一生遊んで暮らせるぜ」
「すご……」
「おーいボサっとしてんな、さっさと野営の準備しねえと日が暮れちまうぞ」
「あ、はい」
それから俺たちはそれぞれテントを張り火を熾して野営の準備を整え、女がドラゴン肉をご馳走してくれると言うのでお言葉に甘えることにした。
「そら、焼けたぞ」
こんがりと焼けた肉の表面から汗のように油が滴りなんとも言えない香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「本当に俺まで頂いちゃっていいんですか?」
「いいんだよ。どうせ食いきれないほどあんだからよ」
「じゃあ遠慮なく。いただきます!」
程よく焼けた肉を手づかみして豪快にかぶりつくと熱々の肉汁が弾け、肉の旨味が口の中いっぱいに広がる。
焚き火で焼いているのでほんのりスモーキーな香りがついて本当に美味い。柔らかくて食べやすいしいくらでも食えそうだ。
「あふっ! あふっ!」
「美味そうに食うなぁ。ほれ、若ぇんだからもっと食え」
久々に会った親戚のおじさんみたく肉ばかり勧められドラゴン肉をたらふく堪能して人心地ついたころ、お茶をすすって一息ついた女が改まった様子で口を開いた。
「お前、名前は」
「ハヤトです。あなたは?」
「俺はジーラ、武芸家だ。見たことねぇ乗り物と装備だがお前どこから来た」
「日本です。山を登っていたら突然霧が出てきて気付いたらここにいました。……あの、ここはどこなんですか?」
「オーザム大陸南西部ロンテラの近くだ」
聞いたことのない地名だ。
となるとここはやっぱり……。
「……異世界」
「やっぱり異界の民か。たまに来るんだよ、世界の境界を渡ってどこからか迷い込んでくる奴らがよ」
もしかしたら父さんもこの世界に……?
「金田宗一という名前に聞き覚えは? 行方不明になった俺の父なんです」
「いや、ねぇな」
「そうですか……」
「そうがっかりすんなよ。この世にゃ失せ人探しの魔法だってあるんだ。お互い生きてりゃその内また会えるさ」
なるほど、そういうのもあるのか。
父さんがまだ生きているかはわからないけど、俺みたいにこの世界に迷い込んだ可能性は低くないはずだ。
いつか準備を整えて探しに行こう。
「あの、ジーラさんはどうしてこの山に?」
「普段火山の奥地に引きこもってるはずの紅蓮竜が王都の上空を通過したつってな。何かの凶兆かもしれねぇからってギルドに調査を頼まれたのさ」
なるほど。じゃあ俺は本当に運よく助かったんだな。
助かったはいいけど、俺、これからどうなるんだろう。
「決めた。俺がしばらく面倒見てやるよ」
「え、いいんですか!?」
「拾った出会いこそ大事にせよってな。その諺どおり生きてきて今まで何度か命を助けられたこともある。自分が大変だってときに親父の心配しちまうようなお前ならいつか俺の助けになるはずだ」
ニカッと人好きのする笑みを浮かべるジーラさん。見た目はちょっと怖いけど姐さん気質な人のようだ。
他に頼れる人もいないし、この人なら信用できそうでもある。今は彼女の善意に甘えさせてもらおう。
「この恩はいずれ必ず。しばらくよろしくお願いします」
「おう、んじゃ今日はもう寝ろ。明日は早いぞ」
「わかりました。おやすみなさい」
自分のテントに入り寝袋に包まって瞼を閉じると焚き火の弾ける音だけが耳に届く。
俺、ちゃんと元の世界に帰れるかな……。
父さんに続いて俺までいなくなったら母さんはどうなる。
妹の愛華だってまだ小学校に上がったばかりで手のかかる年頃だ。俺がいなくなったらきっと二人とも泣くだろう。
不安や気がかりばかりが頭をよぎったが、次第に疲れが重く身体にのしかかりいつしか俺は眠りの底へと落ちていった────────。
◇
翌日、俺達は日の出と共に山を降りた。
昨夜竜の肉を食べたからか全身に力が漲っていてとても調子がいい。
全身のバネとサスの反動を使ってどんな道でもぐんぐん超えていける。
だというのに生身のジーラさんの背中に一向に追いつけそうにもないのはどういうことか。やはり彼女、人間ではないらしい。
「お、ちゃんとついて来れたな。結構本気で下ってきたのによ。すげぇなその乗り物」
「バイクです。コイツの整備もどうにかしないとなぁ……」
この世界でこれからもコイツに乗るためには機械に詳しい職人に見てもらうしかないけど俺にはそのツテが無い
「どういうわけか普段よりずっと身体が軽いのにそれでも追いつけないんですからジーラさんも大概ですよ」
「そりゃ一線は退いたつってもこれでも一応特級冒険者だからな。身体が軽いのは昨夜食った竜肉のおかげだろうよ。あれはマナが豊富だから食うだけで進度が上がる」
「進度?」
「肉体の強さの指数だ。俺は七だぜ」
それって世間的にどれくらいの強さなんだろう。
でもきっとあの巨大な紅蓮竜を一太刀で倒してしまうくらいなのだからこの世界の中でも相当強いはずだ。
「っと、見えてきたぜ。あれがロンテルだ」
徐々に周囲の森がまばらになり、大きな湖が見えてきた。
湖のほとりには港があって大きな金属製の船が何隻も泊っており、そこから流れ出る大河を船がかなりの速度で行きかっていた。
それにしても面白い形の船だ。船の先端に長いブレードが垂直に立っていて、船の横から突き出た二枚の羽が水面に対して斜めに浸水している。
どういう原理で動いているんだろう。
「まずはあそこで冒険者登録してお前の身分証を作る。そしたらすぐに船で王都に帰るぞ。王都にゃ機械に詳しい知り合いがいる。お前のバイクもそいつに任せりゃなんとかなるだろ」
元の世界に戻る方法を探すにもセローの機動力は必須だろう。
まずは王都で準備を整えよう。すべてはそれからだ。
◇ ◇ ◇
「これで登録は終わりです。お疲れ様でした」
町の中央にある冒険者ギルドで登録を済ませ、俺は晴れて五級冒険者になった。
ここから依頼をこなして貢献度を重ねていくことで等級が四、三、二、一と繰り上がっていく。
等級が上がれば国とギルドが指定する危険地域へ入れるようになり、依頼報酬にも等級に応じたボーナスが加算される。
一級の上には特級があるらしく、これは歴史に残るような偉業を成し遂げた冒険者にだけ与えられる栄誉称号らしい。
登録は自分の名前と出身地、犯罪歴の有無や簡単な生い立ちを説明して、進度を測定する水晶玉に手を置いておしまい。
ジーラさんが立ち会ってくれたおかげで異世界人の俺でもすんなりとタグを貰うことができた。
「なんか思ったよりあっさりでしたね」
「そりゃ特級の俺がついてんだから当然だろ。真偽判定の魔法もあるし、後ろ暗い輩はそもそもここで弾かれる」
登録時に「はい」か「いいえ」で答えられる質問ばかりだったのはそういうことか。
なお先程貰ったタグは犯罪行為を犯すと罪の種類によって五色に変化するらしい。
盗みや詐欺は青。強姦は黄色。放火は赤。暴行と恐喝は緑。殺人は黒。
他の冒険者から色のついていないタグを譲り受けたり買ったりするのもダメで、その場合は七色に光り輝く。
だから冒険者タグがある程度の身の潔白を証明する身分証になるというわけだ。
ちなみに測定の結果、今の俺の進度は三だった。
生まれたばかりの赤ん坊が進度一で、普通に町で生活していれば死ぬまでに二へ上がるかどうかといったところらしい。
「うっし、じゃあ登録も済んだし王都に戻んぞ。どうせ暇だし船の中で文字でも教えてやるよ」
「ありがとうございます」
言葉は問題なく聞き取れるしこちらの意図も通じるが、文字だけは音読してもらわないと何と書いてあるがわからないので文字を教えてくれるのはとてもありがたい。
俺たちはギルドで王都まで船の護衛依頼を受け、その日の夕方に出港予定の貨物船に乗り込みロンテラを出発した。
◇
高速貨物船に乗り川を下って早三日。
人工の運河は途中で他の川と合流して向こう岸が見えないほどの大河へ変わり、やがて大河に浮かぶ中洲の上に築かれた大都市へとたどり着いた。
「見えたぜ、あれが王都メガロポリスだ!」
その光景を一言で表すなら、水上に浮かぶ機械仕掛けの都。これ以外にないだろう。
縦に割れた岩山の中央で巨大な水車が大河の流れを受けゆっくりと回っており、その力を無数の歯車たちが都市全体へ伝達する様はどこか生物めいてさえいる。
岩山の山頂には武骨な城が建っていて、大河の両岸と中州を繋ぐ鉄橋の上を大勢の人々と背中に荷物を載せた大きなカタツムリたち忙しなくが行きかっていた。
ここカジュラ王国は高度な治水・土木技術と造船技術によって栄えた国らしい。あの異形の大都市はまさに王国の技術力の象徴なのだろう。
ここから始まるのだ。俺の新たな生活が。
まずはここで力を蓄える。準備が整ったら旅に出て、必ず元の世界に帰る方法を見つけてやる!
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