1 紅蓮竜
小鳥のさえずりをかき消す空冷単気筒エンジンの軽やかな嘶きが林道に響き渡る。
天気は快晴。絶好のアウトドア日和。
この前変えたサスペンションの調子も絶好調。かなりの悪路だが衝撃をうまく吸収してくれている。
五月の連休初日、俺は愛車のセロー250を駆り県内にある山へ一人キャンプに来ていた。
セローに乗り始めてもうすぐ1年。俺がコイツに慣れたのもあるのだろうが、最近は人の手が入っていないような獣道でも足を付かずに走破できるようになってきた。
元々バランス感覚は良いほうだったけどここ最近バランスの極意というか、どんな道でも転ばないで運転できるコツみたいなのを掴んだように思う。
父さんがいなくなったのもちょうど今日みたいな五月晴れの日だった。
あの日一緒にキャンプに来ていた父さんは俺の前から忽然と姿を消した。
まるで最初からそこにいなかったかのように、跡形もなく。
ほんの一瞬、火にかけた鍋に意識を向けたその数秒の間に向かいに座っていた父さんは消えてしまった。
警察に届け出て山を捜索してもらったが痕跡すら見つからず、それっきり父さんは家に帰ってきていない。
今年で免許が取れる歳になりバイク好きだった父さんのガレージで眠っていたセローを貰った俺は、休みになるとコイツに乗ってこの山へ来るようになった。
最初はいなくなった父さんを探して。
山道を走っていればそのうち父さんがひょっこり出てきてくれるような気がして毎週のように通い詰めた。
だけどいつしか俺は山を走ることそのものに楽しみを見出すようになり、オフロードの沼にどっぷりと嵌まり込んでいた。
人のいない山の中をバイクで駆け抜けるのはなんだか自分が強くなったような気がして気分がいい。
山間の小川のほとりに辿り着きテントを張るために大きな石をどけていると、誰かが視界の端を横切った気がした。
「あっ、やられた!」
なんとなく嫌な予感がしてバイクの様子を見に行くと、マフラーにカブトムシが詰まっていた。
近所の子供のイタズラだろうか。というかまだ5月だぞ。カブトムシの季節には早すぎる。
どうにも不気味だ。今日はもう帰ったほうがいいかもしれない。
マフラーから慎重にカブトムシを引き抜いて自然に返してやり、急いで来た道を引き返すと今度は急に霧が出てきた。
山の天気は変わりやすいとはいえ今日は雲一つない快晴。これはどうにも変だ。
猛烈に嫌な予感がしてその場に停車すると上空を「轟っ!」と巨大な影が通り過ぎる。
な、なんだ!? 飛行機みたいに大きな影だった。
なのにエンジンの音はまるでしない。何か俺の想像を遥かに超える事態が起きている。
直後、暴風が『轟ッ!』と吹き荒れ周囲の霧を吹き飛ばし、ソイツの姿が顕わになった。
「……ド、ドラゴン?」
まさにそうとしか形容できない生物がそこにいた。
全身を覆う真紅の鱗。
頭には大きな角が2本あり、空を飛ぶための翼もある。
十数メートルはあろうかという巨体はただそこにあるだけで威圧感があった。
というかがっつりロックオンされちゃってないか俺。
ドラゴンが鼻から息を大きく吸い込むと口の端から火の粉がチリチリと舞う。
って、やばいやばいやばい!?
俺は即座に反転しアクセルを全開にして走り出す。
刹那、ドラゴンの口から灼熱の劫火が吐き出されセローのテールランプに炎の息吹が迫る。熱ちちちちちちち!?
炎が車体を飲み込む寸前、2メートルほどの段差へどうにか滑り込んだ俺の頭上を炎がギリギリ掠めて轟と通り過ぎる。
すると俺を仕留めそこなったことに気付いたドラゴンが周囲の木々をなぎ倒しながら四つん這いになって追いかけてきた。
くそっ、なんだアイツ!? なんか周囲の地形も変わってるし何がどうなってんだ!
ともあれ足を止めたら丸焦げにされることは請け合いである。
今はとにかく逃げるしかない。
ギアを切り替えて山道を転がるように駆け下る俺に再び炎の息吹が迫る。
周囲に飛び込めそうな段差はない。
だったら速度で振り切ってやる!
アクセルを限界まで回して木々の合間を縫うように駆け下っていく俺の尻にドラゴンの炎が迫る。
すると急に視界が開けて眼下に山間を流れる川が見えた。
傾斜角は三〇度くらい。ほぼ崖みたいな坂だ。
転んでも止まっても死ぬ! ここが踏ん張りどころだビビるな行け!
「うぉらぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
俺は速度を落とすことなく車体を地面に押し付けるようにして急勾配を駆け下る。
途中転びそうになりヒヤッとしたが、どうにかバランスを取り底の浅い川を速度にものを言わせて突っ切ると背後でドラゴンが腹立たしそうに吼えた。
このまま逃げ切ってやる!
アクセルを限界まで回し道なき道を全力で爆走する。不思議とどこを通れば転ばずに進めるかが手に取るようにわかった。
エンジンが唸るたびに脳汁が溢れ出し恐怖が快感に変わっていく。
藪を飛び越え横滑りしながら着地し、そのまま木々の間をジグザグに駆け回る。
行ける行ける行けるッ!
チラリとミラーを見るとドラゴンがいない。
次の瞬間、頭上を巨大な影が追い越し木々をなぎ倒して俺の目の前に絶望が降り立った。
「ハハッ、そりゃドラゴンなんだから飛べるよな……」
ゴロゴロと遠雷のような唸り声をあげるドラゴン。
とても見逃してくれそうには見えなかった。
楽に狩れると思った相手が思いのほかちょこまか動いたらそりゃ腹も立つだろう。
絶体絶命。ドラゴンの咢がゆっくりと開き、紅蓮の劫火が喉奥で燃え上がり────。
「────絶剣『薄氷』」
真横から飛んできた斬撃がドラゴンの首を断ち切り、ドラゴンの頭が口を開いたままボトリと落ちる。
首の断面は凍りついており、失った頭を求めるように身体がヨタヨタとよろめきとうとうズシンと崩れ落ちた。
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