第1話
春先の寒い夜だった。
月明かりの下で、壊れた馬車が無惨な姿を晒している。崖から落ちたらしく、二頭立ての馬はどちらも死んでいた。
衝突の弾みで馬車から投げ出されたのだろう、騎士が1人頭から血を流して倒れている。こちらも既に息をしていない。
壊れた馬車から、血のついた細い腕が見える。馬車の下敷きには辛うじてなってはいないけれど、女性が2人、抱き合うように倒れていた。服装から言って、主人とメイド。2人ともまだ若い。
落下の衝突で壊れた扉から落ちたのか、主人と思しき女性は上半身が地面にあった。そして、微かに息をしていた。
だが、それもあとわずかと分かるほどに弱々しく、虚ろな瞳は空を眺めている。だが、彼女はこの瞬間に知ってしまった。自分が策略によって殺されることを。そう、殺される。
まだ、死んではいない。
彼女は、唯一動かせる瞳を動かした。もはや痛みも感じない。何かで体が濡れている。その何かが分かるけれど、確かめることは出来ない。
月明かりで、かろうじて見える景色は残酷だった。だからこそ、彼女は思い出した。自分が死ぬのはこれが初めてではないことを。何度目の死だろうか?前世でも、策略によって殺された。
走馬灯のように思い出す、前世と今世の記憶。そうして気づく、自分はいつも同じ日に死んでいることを。
目線を動かすと、御者が見えた。彼も既に事切れている。その上着のポケットから懐中時計がぶら下がっていた。大切に、クリップで止められていたおかげだろうか、懐中時計は壊れずに時を刻んでいた。死に際で、視力が落ちてきているが、彼女の目は文字盤を読み取った。
もうすぐ日付が変わる。
逆さまの文字盤でも、針が重なれば12時だ。そうなれば、自分は運命に逆らうことが出来る。なぜだか彼女はそれを、悟った。自分を殺すものに、唯一あがらうこと。それは、一日死ぬ日付を変えること。1秒でもいい、明日死ねば、自分を陥れた者の策略を崩せる。
あと少し。
既に息をしているのかさえ分からないほどに弱っていた。だが、彼女の双眸は懐中時計に注がれる。
運命にあがらうために、今日は死ねない。
明日死ぬのだ。それが、ささやかな復讐。
自分の呼吸さえ聞こえない静寂のなか、彼女は徐々に視界が無くなってきた。だが、耳をすませば懐中時計のゼンマイの音が聞こえる。
死ぬものか、絶対に明日までは生きてやる。その思いが彼女の細い命を繋げている。早く、早く明日になれ。
カチリ
針が重なる音が静寂の中に響いた。
もはや、彼女の目には懐中時計は写っていない。
彼女はその音を聞いてほほえんだ。自分は運命に逆らった。策略を仕掛けた者の思惑通りには死ななかった。
運命の歯車を狂わせた。ほんの少しだけ。
いずれ、その狂いは大きな狂いになるはずだ。彼女はそう信じて、事切れた。次こそは、策略によって殺されない人生を歩むことを願って。