新海監督と脚本家岡田さん
新海監督と脚本家岡田さんはとても良く似ている。両方とも恋愛を扱う共通性がある。ただ両者は男女で違っていてよりによって新海監督は男性向けの恋愛という超ニッチを扱ってる。だからこそ新海監督は世に出られなかったと言える。男性を深く掘り下げた恋愛物なんて世の中にないんだ。何故か?需要が無いからだ。
私はなろうのハーレム物を恋愛物として語るのが大嫌いだ。アホだと思ってる。なろうのハーレム物は過去アメリカでヒットしたヒロイックファンタジーの姫でしかないと見ている。その後継者が多分スターウォーズだろう。それらの源流はドラクエなどのモデルとなった西洋ファンタジーの竜に囚われた姫の原型に他ならない。
後はこれらの姫をジャンプ的な敵を倒して仲間が増えていく流れに結びつければ良い。そして戦記物なら曹操の部下であり、RPG的なパーティーへと落とし込めば良い。なろうハーレム物の女は竜が持ってる宝以外の何でもない。じゃ物なのか?なら女と言う性の対象である事以外そうだ。
そこに恋愛物と同列に考えてハーレムを語るのがアホだとしか思えないんだ。根本的に質が違う。もちろんこれらのハーレム物は過去の恋愛系のハーレム物から来ている。それで勘違いをしてるだけだ。それならリゼロの様に重点的にストーリーの展開を使って恋愛を描かなければならない。そんな作品見た事が無い。
上手く過去の恋愛系のハーレム物の量産型キャラをアレンジして使ってるだけだ。作者の描きたい欲求が性欲に近いほど恋愛物に多分近づく。リゼロはそうなのか?ならそれは違うと思うけど、リゼロの作者の描きたいものは性欲対象のキャラ以外薄いと強く感じる。他がこの人薄いんだなとおもうだけ。
なろうよりよっぽど女だらけのきららの方が男性向け恋愛物に近い。そういったものと違う系統の恋愛物で多分ラブコメのコメが足りないんだと思う。君の名は前半コメがきつかったけど、逆にラブが弱かったと思う。それが顕著なのは前半部分憧れのお姉さんが主人公にはいたはずで、その辺りコメの部分が強かったと見ている。
それらを総合して突っ込むとシリアスな男性主人公の男性作家による恋愛者となる。ああこれでニッチ需要が無いってのが分かったと思う。そしてきらら系などと繋がりが無いのが分かると思う。きららよりもニッチ作家だったわけだ。岡田さんはニッチじゃないけど、その立場が問題だ、90年代実写系TVドラマ恋愛物を男性向けオタク市場で展開していたのがニッチなんだ。
実はこれ過去はニッチじゃないんだ。新海監督も同じ流れだけど、エロゲ市場ってのはこのラブコメとシリアス恋愛物が微妙な作品が多い。何故ニッチになったか?というと時代が変わってしまったからなんだ。ニッチだけど、昔は市場ではメインストリートだったとなる。今この流れを受け継ぐのがラブコメ色が強いがリゼロになる。ファンタジー色はエロゲにおいてはそれほどニッチじゃない。
YONOを見れば分かると思う。逆にゼロ年代に学園者の流行のさきがけとなったためメインストーリーとのときメモからニッチから抜け出せなく成っただけで。
冴えかのを見てて丸戸さんの理想とするエロゲが超展開だったのか?となったのだが、ああYUNOだったのねと後から納得できた。アニメの酷評に泣きそうになってる人が居てもおかしくない。だってその後アニメ業界に大きな影響を与えたエロゲクリエイターの数多くに衝撃を与えた作品だったのだから。
それを後からアニメ化しても多分古ぼけたゼロ戦でステルス戦闘機に挑むようなものだよなって。ゼロ戦も確か衝撃を与えたはずなので。ドイツのジェット戦闘機も衝撃を与えいたはず。プロペラ機主軸だったから革命的なものになる。その後ジェットばかりになるので、どれほどの衝撃だったか良く分かる。
原作との比較でYUNOが糞化したのは確かだが、根本的にゲームシステムが傑作の作品を一本道のアニメにして良くなるはずが無く、かつ時代の先駆者を20年もあとにアニメ化する愚行。企画がアホだったとしか言えない。そんなこんなで古臭い二人だけど、見事に岡田さんは金の稼げない作家になりはててしまった。
今の時代はオタク市場に需要が無いからね。なおかつ私は岡田さんが金が稼げなくなったもっと大きな理由として、自分の色を薄めないと駄目だと見てるんだ。新海監督と似てるのは、当時のヒットのツボを雑多に組み合わせて恋愛を軸にして、自分色をうまくこきまぜる作品つくりになる。
岡田さんは最後まで自分色が強烈だったから、この点は過去の作家のメジャーかと大差ない。自分色を大衆向けに自分で翻訳する作家になる。新海監督は別物ぐらい混ぜ物が多くて異色の作り方になった。ここまでやると少年誌とかでガチやってる漫画家とそう変わらない。様々な組み合わせでやっとヒットしたといえば七つの大罪の人だろう。あんな感じだ。
やや異色の人では虚淵氏もこの少年漫画の手法と近いが、彼が描く土台は70年代ぐらい古いSF全盛期のものになる。彼の場合同じ手法を真似しても多分ヒットし無い。何故彼が受け入れられてるか?疑問がある。まどマギは被った皮が強烈過ぎた。でもサイコパスは微塵も現代の色を感じさせない。FATE0はマンマFATEの皮だ。
虚淵氏は私も彼の成功が疑問なので、例外として無視したい気分がある。だから岡田さんとだけ比較すると、新海監督も独自色を強くしていくとやがて失敗するのではないか?と見ている。そこが宮崎駿に対してポスト宮崎駿を掲げたくないんだ。新海監督はポスト岡田さんなんだ。すでに別のモデルは居るんだ。
何が軸になってるか?と言うとヒットした雑多なものを組み合わせて、作家性を強くしないってなる。それが大ヒットの秘訣だと見ている。作家色を強くするのが駄目なんじゃない。新海監督の作家色じゃ大ヒットする作家色じゃないと書いてるんだ。岡田さんも実写市場ならそれほどニッチじゃないのだが、彼女は可笑しな立場に居る。
敢えてアニメでニッチをやる事で、広い市場では相手にされない物語をマニア向けとして再構築していると見ている。何故こんな事が可能なのか?分からない。岡田さんはTVアニメでは全く通用し無いが映画ではものすごく評判が良い。これは岡田さんがもつスタートダッシュの上手さになる。
ただそれだけでは違うんだ。もっと大きなお金儲けと作品って流れがキーだと見ている。彼女は女向けにアピールできたのは鉄血のガンダムだけである。そこではホモホモしい物語をがっつりそれなりに受け入れられて展開できた。そういった暑いエネルギーがあったからラストの陳腐化が笑いとして受け居られたと見ている。
本気でアホなものを創ってるから笑えるんだ。限界でやったけど、あらぬ方向にいってしまったほうが笑いとしては面白いんだ。ただ数多く長井監督に助けられたのと、ほかに作品が無いので信用できない。彼女はTVアニメに置いては時代遅れになってると見ている。BDじゃ高すぎるが、1回こっきりの映画なら妥当な金額で出しても良い。かといってTVの無料視聴者とは違う。
この層のターゲットは独自の面白さを産んでるんだ。その層は君の名をの前から新海監督についていた層に似ていると感じている。新海監督と岡田さんはものすごく似てるが、岡田色に注目されるためそれをいう人は少ないんだ。新海監督は色を消してしまったから。ただこの先天気を見てないが、多分新海監督は色を復帰させるのじゃないか?と見ている。
少年誌でどっぷりやってきたような素材じゃないと、自作の何がヒットしたのか?多分分からないからだ。同じ手法で新しい物を作るってのが多分中途半端になると見ている。それでも映画では過去のニッチヒットもあるので岡田さんぐらいにはやっていけるんじゃないか?と見ている。
新海監督の実力ってそんなものじゃないかな?と見てるんだ。マス向け舐めるなよ?って批判的な気持ちがやっぱあるんだ。そればかりずっとやってきた人達に対してそんな簡単に成功するものなのか?難易度の高さを知ってるので、マス向けやってみたらちょろいって体験が出来た新海監督につい厳しくなってしまうんだ。
そして同様にマス向けを馬鹿にしてる人間にもこの思いがあるんだ。なろう自分も書いてみたらちょろいんじゃない?って思ってる人すごく多いんだ。実際やらないけどね。そういう発言見るだけでむかつくんだ。