夢から見る
いつからだろうか。僕には感情というものがない。どんな酷いことを言われようが何も感じないのだ。それをある人は異常だと思い、ある人はそれを羨ましいと思う。しかし、僕は感情を知りたい。感情を知ることでどんな良いことを得るのか、とても興味があった。だから、僕は神様にひとつ願った。
「僕を人間にしてくれ」
そして、僕の願いは叶えられた。感情の欠落している僕に人の形を与え、良い環境も与えた神様の狙いは分からないが、感謝しきれないほど感謝した。そして、何も悪い事はしない、と心に決めていたのにやってしまった。
「何なんだよ、さっきの夢…」
僕は目覚まし時計のうるさい音に目を覚ます。今までと幾度となく見てきた夢であるせいか、やけに生々しかった。誰が夢を僕に送り付けているのか気になる。そして、僕に夢を送っているやつに文句を言いたい。『どうして、あんな、苦しい夢を僕に見させるんだ、もっと楽しい夢を与えてくれ』と。やはり、神様は不公平だ。…神様がいるのかは知らないが兎に角不公平だ。
「あー、もう学校行きたくない…ズル休みしよう」
口に出し、意思決定をした。両親は共働きであり、家にはブラコンで引きこもりの妹しかいない。担任の電話番号はスマホに入っているはずだ。ダブルベッドから身を起こして煌びやかな彫刻が施されている木製の勉強机に置いてあるスマホを手に取る。ラインの通知が恐ろしい事になっていた。
「誰だよ、100件以上送り付けてきたやつは」
見てみると幼馴染でクラスメイトの彩沙だった。
『卵焼き、上手く焼けた!』
『明日、あげるね!』
等々、正直どうでも良いような事ばかりを連絡してきていた。まとめて『おはよう』のスタンプを返して学校に行かない事を伝えた。送った瞬間、既読が着き、返信が返ってくる。
『病気?大丈夫?』
速い。どうしてこんなに返信が速いんだ…。
『心配するな。明日には行けるようになると思う。』
これ以上話していては担任に欠席連絡出来なくなる。彩沙とのやり取りをやめ、連絡帳を開いた。担任の名前を見つけ、電話をかける。何回かコール音が鳴ってから電話が繋がった。
「零落。どうしたんだこんな朝から…ふわぁっ…」
父親の同級生であり、親友であった担任とは幼い時からの知り合いである。両親が、今回のように海外出張の時にはよく預けられていた。
「…また二日酔いですか、先生」
眉目秀麗であり、人望も厚い先生の唯一の弱点、それは酒に溺れやすい事だ。それを直せば良い人なのに。
「よく分かったなぁ…と言うことで寝させてくれ…」
「駄目です。今日は学校がありますから担任が行かないと学級崩壊が起きますよ?」
ある程度話を飛躍させても酒人になっている担任なら信じてくれるだろう。
「あー、そうだなぁ。じゃあ、零落が学校に行って欠席連絡してくれないか?」
「断ります。僕は欠席連絡をする為に電話したんです。だから、今日は学校に行きません。理解してください。この、ポンコツ大人」
階下で妹の声がする。微かにだが聞こえる声の断片から『朝食の準備が出来た』等のことを言っているのだと推測できる。
「辛辣な言葉だなぁ…知っているか?二日酔いは以外と辛いんだ…」
「担任でしょ?」
「…零落は酷いやつだ…分かったよ、行くよ、行って欠席連絡しておくよ」
「ありがとうございます。やっぱり持つべきなのは良い大人ですね」
「軽く皮肉っているよね?あーあ…じゃあ、今から家を出ないと遅刻だから」
そして、唐突に電話が切れた。あの駄目人間にはならないようにと父親から口酸っぱく言われる理由が少しわかった気がする。
「お兄ちゃん?そろそろご飯食べてくれないとこれからの生活に支障をきたすと思うよ?」
自室の扉からノック音が聞こえ、ひょこりと妹が顔を出した。なかなか食事に顔を出さないから心配したのだろうか。
「ごめんね、愛羅。遅くなって。今日は学校を休むつもりなんだ」
スマホを置き、妹に言う。
「分かった。薬は?」
「要らない。酷くなったら飲もうかな」
分かった、無理しないでね、と言う妹に頷き掛けて頭を撫でてやると猫みたいな声を出して甘えてきた。
「そろそろ兄離れしてくれないと大人になれないぞ?」
そういうも、いつも負けて妹を甘やかしてしまう僕に非がある。
「ご飯は食べるね、せっかく愛羅が用意してくれたんだもん、食べないと勿体無い」
うん、と頷く、素直で可愛らしい妹がなぜあんな仕打ちを受けたのか、僕には到底分からない。
あれは去年の夏休みに入る直前のことだった。
愛羅はいつものように徒歩十分圏内の中学校に向かった。家での様子とは打って変わり、大人しく優等生を演じている愛羅は定期テストではいつも学年一位をキープしていた。夏休み前にも関わらず、各教科の小テストが行われた。そして、今日、その小テストを返却される。愛羅は緊張した面持ちで家を出たが、きっと全て満点なのだろう。僕は前回の土曜日に行事があったため、今日は休みだ。一日中家にいるつもりである。愛羅は午前授業だと言っていたからお昼ご飯は家で食べるだろう。そう思い、午前11時頃、台所に立つ。フライパンをIHコンロの上に置き、油をしいた時だった。
ガタンッ
玄関のドアが乱暴に開け放たれ、愛羅がひどい格好で僕に抱きついてきた。
「愛羅?」
愛羅の手にはA4サイズの紙が握られている。社会のテストの様だ。
「愛羅?」
何の変哲もないテストの解答用紙。何があったのか分からない。愛羅はひとしきり泣くと僕にその紙を開いて見せた。そして、理解する。
「…2時間目に返されたんだけど、私、2時間目が終わってからトイレに行ったの。帰ってきて、自分の机にしまったはずのテスト用紙が置いてあったから戻そうとして…」
そして、愛羅は涙を服の裾で拭うと無理をして笑顔を作った。その笑顔は痛々しく、自分の本音を無理して隠していることがバレバレだ。
「お昼ご飯、何が良い?」
そうとしか問えなかった。もっと愛羅の心が癒えるような、気の利いた言葉も出ず、兄失格だと感じる。
「お兄ちゃんの愛情が欲しいね」
これには無理をせず、良い笑顔で答えてくれた。
それから、愛羅は不登校になる。
「今日、お兄ちゃんが帰ってきたら一緒に映画館に行こうと考えていたんだけど無理…かな」
愛羅は気遣うように言う。そういえば先週から愛羅がパソコンをよく弄っていたがそれは映画の為だったのか。
「良いよ。行く。それまでに具合を良くするよ。それに、今日はズル休みする気満々だからね。一日中、どこかに行こうか」
愛羅は、「ズル休みは良くないよ」と言うも嬉しそうな顔をしている。実は愛羅は不登校になった直前、家から一歩も出ず、ほぼ引きこもり状態だった。最近は僕が誘えば一緒に来てくれるまでになった。自分から出掛けよう、と言ってきたことはかなりの進歩である。
愛羅がインターネットで予約を取った映画館はこの市内で一番大きいショッピングモールだった。ショッピングモールには色々な店が入っており、一日中楽しめるような仕様になっていた。愛羅の希望により、昼までゲームセンターで、上映が始まる夕方まではファッション店で暇を潰す事になる。
電車を乗り継いで約1時間、祁答院グループのショッピングモールに着く。平日だからか、いつもよりも人が少なく、やや閑散とした雰囲気があった。愛羅はどうやらゲームセンターに初めて足を踏み入れるらしく、全身から楽しんでいることが伝わってきた。
「クレーンゲーム、してみたかったんだ!」
強化ガラスに三面を囲まれたクレーンゲーム機にへばりつき、離れない愛羅は僕に何やら伝えている。
「…それ、とって欲しいとか言わないよね?」
背中に冷たい汗が流れる。愛羅の、良い感じの笑顔がそれが正解だと告げている。そして、僕に百円玉を五枚、握らせた。
「これでとって欲しいな?」
可愛く首を傾げられても取れないものは取れない。
「取れなくても文句は言わないでくれよ?」
そう断っておいてから機械に百円玉を一枚投入する。カチャリ、と金が落ちる音がし、ディスプレイに数字が表れる。躊躇うことなく操作し、良い位置にアームを動かした。そして、下へアームを下ろした。
「わあっ!」
愛羅が歓声を上げた。アームに捕まったターゲット、スマートフォンの持ち運び式充電器が愛羅の手に収まる。
「ありがとう!すごいね」
素直に喜ぶ愛羅の姿に嬉しさを感じる。そして、愛羅にあんな事、テスト用紙に言われのない誹謗中傷を書き込んだ奴に怒りを感じる。出来ることならば妹に代わり、そいつを制裁したい。
「残り400円あるけど何したい?」
一回で取れてしまった為に愛羅から渡されたお金が余った。愛羅は暫し考えてから言う。
「早いけどこれでアイスとか買って半分ずっこしない?」
僕は財布を取り出して所持金を確認する。二人分余裕で買うことができる。
「良いよ。僕が二人分買えるから一個ずつ買おう」
そう提案しても愛羅は首を横に振った。
「半分こしたいの」
なんて可愛い妹だ。僕は悶絶しながら頷いた。
「分かったよ。愛羅がそうしたいならそうする」
感情なんて不必要なものを僕に備えなければこんな苦しい思いをせずに済んだものを。僕は彼女と対面する。
『貴方は私を強く恨んでいるのでしょう。でもね、貴方にとり、感情は必要なものだったのよ。感情を抜くなんてことはしたくないの、分かって。感情がないのは死と等しいことだと』
感情、感情うるさい。とっとと死んでくれれば良いのに。若しくは、僕から感情を奪って“死と等しい”とやらの状況を生み出してもらいたい。それ程に目の前の人を視界に入れたくなかった。
アイスを食べ、昼食も流れで一緒に食べてしまった。
その後、愛羅が見たがっていた、今時の少女が着ていそうな服を取り揃えている店で時間を潰し、上映20分前に映画館に向かう。
映画館はやはり平日だからか人があまりいなかった。
『また、巡り会う時まで貴方の記憶からこの出来事を消しておきましょう』
食事中に頭に響いた、あの声は最近見る夢によく出てくる。あれは、一体誰なんだ…?僕の幻聴なのか?
愛羅がボップコーンとドリンクを選びに行った時、考えていた。
そして、あの不可解な出来事は不意に起こった。
「零落、それは幻聴でも、夢でもありません、現実に、過去に起こった事なのです」
そんな声が耳に響き、僕の瞼は閉じた。落ちる意識の中で考えたことと言えば愛羅のことしか無かった。




