迷宮
「ミノタウロスが、多くなってる」
百目口はそう言うと、うんざりと森の最深部に向かって歩き出す。
エルフの精鋭といえど、ミノタウロスの巣くう深淵の森は手に余る。
そんなことはわかっていたが、いくら何でも残りすぎだろう。
「あーあ。また大掃除だ」
ぶるりと震えたのは、冬が近いからだった。
雪は降らないまでも、気温は下がる。
森の最深部にあるのは朽ち果てた教会の残骸だ。
その地下に巨大な迷宮が存在していることを、殆どの人は知らないだろう。
国が興った当時、栄えていた場所も木々に飲み込まれ跡形も無い。
「さぁて、迷宮のミノタウロス殺しと行こうかな」
唱えた呪文によって飛んだ斧が、入り口を守る魔物の眉間に突き刺さった。
中は薄暗く、たいまつの光すら足下を照らすだけ。
よどんだ空気が肺にまとわりつくようだ。
地下へ地下へと百目口は進み、ぶもぶも言うミノタウロスを殺していく。
一頭でも外に出れば町を危険にさらすような、そんな強者共がひしめいていた。同族関係なく蠱毒の中に閉じ込められた虫のごとく、魔物達が殺し合う。
奥へ進むにつれて、体がうずいていく。
「あぁ、わかるよ。古巣に戻ってきたんだものね」
心臓を撫でながら、紡がれた呪文が魔物を穿つ。
*
昔々、あるところに兄妹が居ました。
兄は頑健で、妹思いでした。
あるとき両親が亡くなり、冒険者となりました。
貧しいながらも幸せな日々を過ごす兄妹は、いつしか国を創ります。
兄はいつも国と妹のことを考えていました。
そして国と妹を二つとも守る方法を見つけたのです。
「寿命が無い魔物が二ついる。一つはスライム。一つは悪魔」
その二つを妹に混ぜたのです。
妹は寿命の無い三つの命が混じった一つとなりました。
「兄さん、どうしてこんなことを」
「永久に国を魔物から守るのだ」
妹は嘆き、兄の元を去りました。
*
「……つまり、百目口は三分の二が魔物なのです」
イースレイヤーは沈痛な表情で語る。
にわかには信じがたい話だった。
話を聞き、合いの手を入れるのは、彼が信頼するパーティメンバーだ。亜人種からなる、件の深淵の森遠征にも同行した彼らは、しこたま酔わせたエルフの話を聞き、言葉を失っている。
「隠されている話ではありません。しかし、あまりにも昔の話なので忘れられてしまいました。それもそうでしょう。誰が好き好んで、建国王の狂気を吹聴したいでしょうか。自国の王にはいつでも輝かしくあってほしいのです」
「それで……妹さんは、王女様はどうなったんだい?」
婀娜っぽい魔術師の女が酒を飲み干しながら聞く。
「魔王が封じられし迷宮を守っています。人からも、魔物からも」
「森か」
口数の少ない剣士が、珍しく言う。
頷き返しながらイースレイヤーは、やけになったように杯を呷った。
「確か建国史の終わりでは、復活した魔王を命と賭して王が封じたのだとか」
「ええ、そうです。我々王の精鋭も、彼女も共に戦いました。長い戦いでした。多くの国民が、兵士が、魔物が死にました……」
「なんで百目口なんて名乗ってんだい?」
「百対の目と口があるからでしょう」
「はぁ?」
「……スライムか」
「胸くそ悪いでしょう? 何が妹思いの兄ですか」
「なんだい、あたいにもわかるように言いなさいな」
ふう、とこれ見よがしに首を振った剣士に噛みつく女魔術師。
眺めるだけだった竜族の戦士が「本当なのか」と聞き返す。
「つまり、彼女は分裂するのです」
「百に?」
「百に。彼女の三分の一はスライムです」
「……相手はミノタウロスだ」
切られるうちに、その数になったのだろうとイースレイヤーが言えば、全員がなんとも言えない顔をする。
「王女様も災難だねぇ。エルフくらいしか一緒に居られないじゃないか。お救いする王子様はどこにいるんだか」
「見捨てないのが、不思議だ」
「そうよのぉ。こんな国、捨ててしまいたいと思わないのが不思議じゃて」
「とても優しい人なのです」
おかげで深淵の森から魔物が溢れ出てくることが無い。
「私は、何もしてあげられませんでした……」
「あー、また落ち込み始めた。誰か変わってちょうだいよぉ。あたいじゃ無理だって」
「そういうな、魔女。仲間の愚痴くらい聞いてやれ。滅多に言わない弱音だ、酒の肴になるぞい」
「さすがに笑えないわよ」
あははは、と笑いながら女魔術師は笑う。
「でー、王子様候補。けっきょくどうなんだい、惚れてるの? ねぇねぇ」
乙女のように変わった女魔術師にげんなりとした視線があつまる。
女というのは何年経っても恋の話には敏感だ。
*
「おっすおっす、久しぶりだねぇ」
会いたくも無かったけれど、と言いながら、寝台に眠る男の手を握る。
筋骨隆々の男が死んだように眠っているのは迷宮の最深部。
血まみれになった百目口は、手も洗わずに頬を撫でた。蝋のように堅く、氷のように冷たい。
命を無くした建国王の姿に目尻を下げる。
「魔物はいつになったら弱体化して、地上から消え去るの? もう数千年は経ったんだけど」
つん、と鼻をはじく。
魔物が多くなれば魔王の復活が危惧される。
逆に魔物が減っても、建国王の目が覚めることは無い。
「はやく魔王を倒して帰ってきてよ。私の体を戻して、また一緒に冒険に行こう」
小さい子供みたいな悪戯をいくつもした後、気が済んだ百目口は迷宮を出ることにした。
次に来るのは百年後か千年後かはわからない。
ただ、兄が眠る地を守りながら、鎮魂歌を歌い続けるのだ。