ミノタウロス
鎮魂歌を歌う冒険者の話は噂に聞いていた。
酷く軽装な装備に目立った武器は持っていない。ギルドには滅多に顔を出さず、辺境の村々にふらりと立ち寄っては依頼を受けていく。
正式な依頼にならないものでもだ。
貧しい寒村は来訪を待ち望み、町は眉唾物として噂する。
ギルドは顔をしかめるばかりだ。
活動実態も能力も居場所もつかめない冒険者。
そんな者はギルドに登録しておく資格すらないと言う者までいる。
「――最悪なことに、それが現れるとミノタウロスの死骸が大量に発見される、と言われていました」
「それこそ嘘だろう。……と言いたいけれど、目の前に積み上げられちゃぁな」
「流離う森の冒険者の話は、百年ほど前から始まっています」
「そりゃ長生きなこって」
「何言ってんのよ。人間が長生きできるわけないじゃん」
うへぇ、と行儀悪く舌を出した女魔法使いに、槍使いの男は米神を引きつらせる。
エルフの細剣使いは、これ見よがしに嘆息しながら続きを言う。
「知人です」
「はぁ!? ちょっとそれ最初に言いなさいよね」
「おい、雇い主になんて口の利き方だよ」
「別の良いのですが。――次が来ましたね」
言うが早いか飛んでいった鏃が三つ首狼の米神に突き刺さる。
深部に行くにつれ凶暴さを増す魔物が、ひっきりなしに続けば、いかに勇猛な戦士でも命を落とす。
「道はこの先よ。さっさと見つけて帰りましょう」
人捜しの呪文を唱えていた女魔法使いは、ふわりと浮いた枯れ枝が導くままに歩き出す。
件の冒険者が見つかったのは、二月後であった。
*
「こんな森の底までよく来たね。歓迎するけどもてなしは出来ないよ? だって家とかないからね」
けらけらと笑いながら言うのは、なるほど話通りのおかしな女。
百目口は面で表情がわからないものの、そうとわかるように楽しそうだ。
げんなりした二人の案内人と護衛を見て、エルフの細剣使いは米神をもむ。
周囲は死屍累々。
魔物の血で噎せるようだったからだ。
「お久しぶりです。またお会いできて光栄です」
「うん。イースレイヤーだったよね。顔が同じだからわかりやすいよ」
こんな辺鄙な所に何の用だと聞けば、百目口に用があり、ここ数百年探していたのだという。
「ちょっと待って、この人は人間でしょう? 数百年も生きられないっての。エルフの血でも混じってるの?」
「そのようなものです。――案内ご苦労でした。ここで依頼完了です」
確認の書類にサインをすると、二人は「出口どっちだ」、「あっちよ」といなくなった。
危ない森は堪能したので、一分一秒すらいたくないのだろう。
「百目口だなどと名乗るから、探すのが手間でしたよ」
「同じ名前は使えないよ。人間が数百年も生きるわけ無いからね」
「エルフの血が入っていると言えば良いのです。あなたと来たら、いつまで不器用なのですか。へらへら笑うんじゃありません」
「うへぇーい」
血に引きつけられる魔物すら、濃すぎる臭いに逃げる中、二人は座り込んで顔をつきあわせる。
「魔物の軍前が現れました。数はおおよそ五百。ゴブリンとオークも居ます。奴らは村を三つ襲い滅ぼすと、エルフの故郷に向けて進軍中です。おそらく今は七百ほどに膨れ上がっているかと」
「百目口さんの守備範囲は、そーんなに広くないんだよ」
「我々の管轄なのはわかっています。恥を忍んでお願いしています」
「この土地が手薄になって、こっちに軍勢が出来ても困る。ゴブリンの上位種よりミノタウロスの上位種の方がやっかいだから、百目口さんは、この森に住み着いた」
王を呼べ、と彼女は言う。
自分の守れる範囲には限界があるのだから、と。
「エルフのお堅いクソ爺共に伝えてよ。――自分のケツも拭けないなら後進に譲れって」
「私が残ります」
「力不足さ」
唇を噛んだイースレイヤーは、それでも引き下がらなかった。
「ならば、人数を増やします」
「……ふぅ」
「あなたに匹敵した武力なら、ご納得いただけるのでしょう」
やがて熱意に根負けした百目口は、魔物の大掃除を終えてからと条件をつけ、話を受けた。
「……要求はエルフの長老達にする」
*
血まみれで人か魔物か見分けのつかない二人連れを、それでも村が受け入れたのは、聞きなれた鎮魂歌が聞こえたからだ。
「というわけで、しばらく森から離れるよ。魔物は端から刈り取ったけれど、すぐに沸くから十分注意するんだよー?」
深々と頭を下げた村長を一瞥して、二人は旅立つ。
目指すのはエルフが住まう領地――ユリス。
*
変わらぬ街並みは懐かしさを感じるが、それでも記憶より古めかし印象があった。
物々しい装備に行き交う兵士。
険しい表情をする冒険者の中には人間や亜人種も混じっている。
今やユリスは最前線の町となろうとしていた。
そこに構えられた城には各地の名のある名士が勢揃いし、エルフの長老達も重い腰を上げ、集まっていた。
「もう軍前は目と鼻の先に」
「数は線を越えました」
「上位種は確認しただけで半数に上り、上位戦士の姿も確認されています」
「捕虜は三百に上り、近日中には雑兵が二千に膨れ上がるかと」
「率いるのはロード級。おそらくゴブリンシャーマンです」
ゴブリンでありながら魔法を駆使し、ロードまで上り詰めた魔物が率いる。
かつてない状況だった。
普通、シャーマンは上位種止まり。
ロードまでたどり着くなど歴史に類を見ない。
魔法を駆使され、戦う前に捕虜となった村や町の住人が、ゴブリンを生む苗床となっている。略奪に秀でた軍勢が、目と鼻の先まで迫っている。
議会の対策は裏目にでて、冒険者の犠牲も多く出ていた。
と、
「イースレイヤー様がご帰還なされました」
使用人の一言に名士達は喜んだ。
エルフの細剣使い。多くの冒険譚を生み出した、生きる伝説。
英雄の一人。
麗しい要望のエルフの中で、どこか精悍な顔つきのエルフが現れた。
しかし人々は、その後ろに続く小汚い仮面の女を見て、顔をしかめる。
「よく起こしになられました」
「長々と会議を続けることが得意なエルフに、あるまじき早計だね。助けて貰えると思ってる」
「なんだ貴様、長にそのような口をきいて!」
女が長老に返した言葉に、若いエルフ達は殺気立つ。
「止めないか! 申し訳ございませぬ」
「なっ!」
「あのエルフが、膝を折った」
「どういうことだ」
「あれは誰だ」
会議となる場は見晴らしの良いホールの中心にあった。
報告を迅速に聞くためであるし、一目で誰がいるのか知らせるためでもある。
常駐する殆どの冒険者が、エルフが見守る中、仮面の女は頭を下げる長老達の、その最も権威ある老人の頭を足蹴にする。
悲鳴が上がった。
「ゴブリンなど物の数にあらず、と豪語したのはそちらだったじゃないか。なのに、なのに、どーしたの。この体たらく」
「新種のロードが現れた故、多くの対策が効かず」
「これだけ揃えたなら、ごり押しで殺せば良いと思うのだけれど……ははぁ、ゴブリンなぞに殺される不名誉に耐えられなかった? 可哀想な孫達を生かしておきたかった?」
「そのような事はございません。しかし、そう思われても仕方が無いことです」
「この不手際、どう埋め合わせをしてくれる? こちらの担当は、いささか手強いと思わない?」
恐れて縮こまる長老達の姿に、いよいよ注目が集まる中、イースレイヤーが言う。
「父上、叔父様方。ここは精鋭、冒険者全員を速やかに深淵の森へ向かわせるしかありません」
「持ち分を交代せよ、とのお達しか」
「一時的にではあります。目に付く魔物の殆どは狩ってきました」
「お前達にゴブリン退治が出来ないなら、ミノタウロス退治をしてもらうしかない。村を守れ、旅人の道を守れ、魔物を殺せ、お前達だけが死ね。名誉は得られるだろうさ」
ゴブリンに殺されるよりはね、と歌うように高らかに言葉は続けられた。
「私共はどうなっても構いませぬ。しかし他の者はお許しを! 英雄王の――」
「だーめ」
縋り付いてきた長老を蹴り飛ばし、百目口は呻く。
「お前達は約束を破った。イースレイヤーを使わした小賢しさ、見逃せるわけもなし。友情は潰えた。この手は二度と使えないと心得よ」
それだけ言うと、百目口は会議場を出て行く。
残ったイースレイヤーが、倒れ伏す父親を助け起こす。
「すまない、イースレイヤー……。お前の友情を、壊してしまった」
「……。いいのです。軍を深淵の森へ向かわせ、名誉ある死を賜りましょう」
ずかずかと行ってしまった百目口は一度も振り返らず、ゴブリンの軍勢へ衝突した。
*
歌を歌う。
呪文を連ならせた旋律が、周囲の草花に力を与え、小石を槍、枝を針のように飛ばしていく。
落ち葉は盾に、土は罠に形を変え、途切れなく続く呪文がゴブリンの軍勢に襲いかかる。
「なんだあの魔法は……」
尻餅をついた物見の兵士は、恐れたように声を震わせる。
女を中心に、森が意思を持ってゴブリンを襲っている。さながら嵐のごとく。
ロープがまるで、うねる剣のようにゴブリンを斬り殺していくのを見ながら、夢を見ているのでは無いかと目を擦った。
歌はただの呪文の連なりだ。
付与魔法の連続だというのに、それでも信じられないというのに、途切れること無く続いていく。
まるで兼国王の一翼を担った、戦乙女のように。
あれほど苦戦した上位種が枝に串刺しにされ死んでいく。頭を失った雑兵が総崩れになる前に、砂丘のように変質した地面が、魔物共を飲み始め、足を奪った。
悲痛な叫び声。
慈悲を請う懇願を上げるゴブリンを端から飲み込み生き埋めに、上位種も全て、飲み込まれ、後に残るのは、荒れた大地ばかりだった。
「捕虜のいる本陣に向かってロードの首をスパーンとやってくる。一月はかかるから、あちらのことはお願いね」
*
王よ、王よ、我らが偉大なる建国王。
西に東に北に南に、押さえた魔物の軍勢が押し寄せております。
町は火に焼かれ、村は滅ぼされ、皆苦しんでおります。
戦士達は限界です。
これ以上はもう、耐えられませぬ。
悲痛な訴えに、王は立ち上がります。
西に東に北に南に、精鋭を派遣しよう。
魔物の軍勢を押さえ続けよう。
約束しよう、約束しよう。
永久に続く契約だ。
西に東に北に南の精鋭よ、永久に役目を担うべし。
エルフが言いました。
ならば、私は故郷の森のゴブリンを。
ドワーフが言いました。
であれば儂は火竜を担おうぞ。
竜族が言いました。
となれば拙僧、水妖を任された。
神官が言いました。
これも神のお導き、私は悪魔退治に向かいます。
王座を離れた精鋭は四方に散り散りに。
こうして国は、再び栄華を取り戻しました。
*
最近は大量のエルフが街道を行き交い、森に入っていく。
ミノタウロスも活性化もあって、冒険者の人数が増えた。
鎮魂歌も滅多に聞かなくなった。
あの人は無事なのだろうか。
エルフの里で、大規模なゴブリンの発生があったと聞いたが、それと同じくらいの時期に姿を消している。
あの歌が懐かしい。
老婆は村の出入り縁に座りながら待っていた。
すると、肩を叩かれる。
「おばーちゃん、こんな所でどうしたの? お家に入れて貰えないの?」
「ばあちゃんは人を待ってんのさ」
「そうなんだ」
「あんたはどこへ行くんだい?」
「帰るんだよ。待ち人に早く会えるといいね」
「ありがとうよ」
背中を見送った老婆は立ち上がる。
「家に帰るさね」
*
友達が一人いなくなった。
死んだわけじゃないのが、余計に落ち込む。
落ち込みながらも勝手に手足は動いて、ミノタウロスを殺していく。
エルフの精鋭はすっかり深淵の森に恐れをなして帰って行った。ミノタウロスに殺されたのは総勢二百ほどと聞いている。冒険者を入れれば更に多いだろう。
今後エルフがどうなるかは、百目口に関係の無いことだ。
口ずさむ呪文が握った小石に力を与える。
矢のように飛び、ミノタウロスの眉間を貫いた。
とどめを刺そうと倒れたミノタウロスに近づいて、背後から射られた矢に、百目口は足を止める。
「どーしているの。お仲間は森に帰ったよ」
「ええ、知っています」
「……もう三日。後を付いてくるのは、どーして」
イースレイヤーは「さてね」とはぐらかしながら、飛び降りる。木の枝がしなった音がする。
「ミノタウロス殺しが、やみつきになりました」
「ここには定住できる土地も、道具も、食べ物も、深い眠りも無い。食べられるのはミノタウロスに、ほんの少しの草花だけ。エルフが住める土地じゃないよ。気まぐれは無しにして、はやくお家に帰りなよ」
「そういうあなたは、いつまで森で狩りを続けるのですか」
「世界が終わるか、私が死ぬまでだよ。ねー、イースレイヤー。ここは魔物の住まう場所だ」
「あなただって――」
イースレイヤーは言いかけて、言葉を見失ったかのように沈黙した。
枯れ草の踏む音すら聞こえない森の中、対峙した二人はお互いを見つめる。
まともな者なら深淵の森には踏み入らない。
まともでない者も、住もうとは思わない。
人間が住めるような場所では無いからだ。
ミノタウロスが住み着き、他の魔物も多く生息し、水場にすら怪魚がいる。
食料となる木の実を成らせる植物も少なければ、毒草の方が多い草花。
「帰りなさい、イースレイヤー」
唇を噛みながら去った後ろ姿を見送って、百目口は身を翻す。
時の流れは残酷だ。
築いた全てを無に還す。
けれど新しく作られていくものを守る約束をしたのだから、百目口は永遠に森の中を徘徊し続ける。