死角
初めて応募するために作品を書きました。読みにくいかもしれませんが、目を通していただけたら幸いです。
私は何事にも死角が存在すると思う。普通死角とは見えない範囲を指し、自動車の運転時や事件・事故の際に「死角が・・・」と使われる。しかしこれら以外にも普段から死角は潜んでいるのではないか?死角=見えない範囲ということなら、一人では気づけない部分、考えもしないところも死角といえる。普段何気なく生活していると視点が一定の範囲に定まってしまい、それより外へ広がることを恐れ、慣れた範囲で物事を見るようになる。いつもこうしているから、安定感があるからなど様々な理由が一定の範囲内にはあるが、死角にはない。そもそも死角となっている時点で本人は気づいていない。その死角を範囲内へと入れてくれるのが他人である。きっと人それぞれ物事の視点の範囲があり、互いに死角を埋めていくことで新たな発見なり成長をしているのだと考える。見えない範囲を見えるようにしてしまえば、恐怖はだいぶ薄れて好奇心の方が勝るだろう。
例えば、ある人が海外へ行きたいと思っているがなかなか行けないとする。いけない理由は仕事や学業が忙しい、金銭面の余裕がない、周囲の理解を得にくい状況など様々あるうちのひとつに「海外への恐怖」があるとする。これは本人が自覚しているので視点の範囲内である。だが、海外は恐怖だけで満ちているところではない。楽しいことや語学力を鍛えるチャンス、日本では見られない風景に出会えるといったいい面にも満ち溢れているところだ。そこへ海外旅行経験者がきて話を聞かせたらどうだろう。その人の範囲内には海外は思うほど怖くないという経験がある。ある人からしたら死角である「海外への恐怖」が話を聞くことによって死角ではなくなり海外へと行くきっかけになることだって十分ありえるだろう。次第に好奇心が生まれ自分から動いてこの体験を広めていくかもしれない。こうして他人から話を聞くことなどによって死角が自らの視点内へと入ることもある。
最初に何事にも死角があると述べたが、結論をいうと死角を埋めていくことでこれからの人生がさらに面白いものになる可能性があることを伝えたかった。私はたった十数年しか生きていないので壮大な人生論を誰かに語るには早すぎると思う。まだそのようなことを書くべきではないのかもしれないと思うが、一つの考えとして流してもらえたら幸いだ。私はこれからの人生で死角を埋めつつ、誰かの死角を埋めることができればきっと自分にもいいことがくると信じている。