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第3章

 戸口に寄り掛かるようにして、ラジオが顔を見せた。

 足を止めてこちらをまっすぐに見る。いつもの笑顔はなく、無表情だ。何か思ったのか、わずかに眉を寄せ、一歩進む………その目に、ふと光が揺れて消えた。

 歩み寄ったラジオの手が、軽く私の肩に載った。

 ───何?

 顔を上げた。彼は私の方は見ずに微かな笑みを浮かべて肩に手を置いたまま、「お待たせしてすみません。はじめまして、逢坂です」と眼鏡の彼に頭を下げた。

 はじめまして?

 知り合いだと言っていたのに。私は挨拶を交わす二人を見た。趣味の良いスーツにきちんとネクタイを締めて、会社員らしい雰囲気の眼鏡の彼は、ラジオとは歳も離れていそうだ。一方のラジオは黒いTシャツに縦落ちしたジーンズというラフなスタイルがいつも通り。

 首を傾げていると、ラジオが「こちらは友人の石崎さん」と私を紹介した。私は慌てて横に向き直り、「はじめまして」とお辞儀をした。彼も「ご挨拶が遅れて」と深く頭を下げ、ラジオが受け取った名刺を見せてくれた。

 ≪和泉諒介≫。大阪の会社の人だ。

「どうしてミオさんがいるの?」

 穏やかな調子で、横目で私を見て微笑む。ほっと肩の力が抜けた。ラジオは手を離し、私と和泉さんの間の………いつもの椅子の背にGジャンを掛けて腰を下ろした。

「…今日は休みで、たまたま寄ったの」

「たまたまいらしたんですか」と和泉さんが言うと、ラジオは「ミオさんとは大抵たまたま会うんです」と笑った。「こいつらの溜まり場なんですよ」と遠山さん。和泉さんはくすっと笑って頷いた。

「ラジオ君ってもっと年上かと思ってた。T大だっけ。一年か二年?」

「二十四になりました」

「………」

 二人は互いの発言を笑顔で聞き流した。

 女の子みたいな顔立ちの童顔。華奢な体つき。幼さを残したハスキーボイス。

 ………年齢不詳を超越して正体不明だよな。

 それより、彼は今、≪ラジオ君≫と呼んだ。

「二人は初めて会ったの?」

「うん。直接会うのは初めて」

 話によると二人は昨年、パソコン通信を介して知り合った。洋楽や映画の会議室で抜群の知識量を誇る和泉さんとは音楽の趣味が一致して、すぐに意気投合したという。和泉さんが彼を「ラジオ」と呼ぶのはハンドルネームに≪ラジオ≫と名乗っているからで───どうやらラジオの秘密を知っているわけではないようだ。

「……早速ですが始めましょう。時間もあまりないことですし」

とラジオが腕時計を見て口調を改めた。

「ミオさんでしたらいても構わないと思います。口も堅いし、理解のある人です。それに、女性の意見があるのもいいでしょう」

 和泉さんは訝る様子で私を見ていた。───やはり邪魔だったのかもしれない。

「私、やっぱり失礼します」

「いて、ミオさん。和泉さん、ブルーの生首はもう観ましたか?」

「……あ!」

 私が初めて六角屋に来た時にラジオが話していた映画のワンシーン。「ブルーの生首が怖くて観たい映画が観られない」と話していた………彼のことだ。彼は「いや、まだ」と苦笑した。

「あれは家そのものが人を襲うという映画なんだ。その前後にも同様の映画は数多く作られていて、後にはヒットシリーズがいくつも生まれたくらい、家に起こる怪奇現象はホラー映画のモチーフとして多く取り上げられている。中でも有名なのは……和泉さん、『ポルターガイスト』は観てませんか?」

「うん。有名だから筋は知ってるけど」

「あれよね。私も怖くて観てないけど」

 苦笑で和泉さんを見ると目が合った。

「ポルターガイストって、悪霊が音を立てたり物を動かしたりするのよね?」

「そういう説もある」

 ラジオは頷きながら椅子の背に凭れた。

「オカルト、超自然現象って言った方が話しやすいかな。日本で『オカルト』という言葉を一般に広めたのはそうした恐怖映画の人気だったと僕は思っているんだけど、おかげでオカルトは恐怖と悪霊の代名詞になってしまった。本来ならば、超自然───現在知られている自然の法則では説明できない神秘的なことを差す言葉で、実証的な研究もされている。ポルターガイストもその現象の一つで、映画や小説に数多く取り上げられている通り、多くの事例が報告されているんだよ」

「…うん」

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

「は?」

「枯れ尾花の研究か」と和泉さん。「そう」と微笑むラジオの前に、遠山さんがコーヒーを置いた。

「目の前にカップがある」

 萩焼のカップを軽く持ち上げ、また下ろす。

「今ここに僕一人しかいなくて、本でも読んでいて触ってもいないのにカップが動いてカタカタと鳴ったとする。それはポルターガイストと呼ばれる。でも僕がこうして手を下ろして」と両手を膝に載せ、カップを睨む。「動け動け…と念じて、手で触れることなく動いたらそれは何て呼ばれるか」

 和泉さんは目を見開いて「ああ、そうか」と呟いた。ラジオが頷く。

「サイコキネシス。両者の違いは僕が『カップよ動け』と念じたか否か。あるいはそのように念じたという自覚の有無」

「自覚」

「うん。超心理学的見地からオカルト現象を捉えるとそうなる」

「……超心理学?」と私。和泉さんの「うん」という声と重なった。私だけ間抜けな感じがした。

「心理学とどう違うの?」

「同じだよ」と彼は両手を組んで顎を載せた。「さっきの『超自然』が自然の神秘なら『超心理』は心の神秘。『カップよ動け』と念じて動いたら不思議でしょ?だけどその不思議な現象を『人によるもの』と考える、心理学の一分野なんだ」

「あ、なるほど…」

「もっとも僕は幽霊を否定しない。人の身体から構築される『精神』が」

 ラジオは両手を広げて胸を押さえるようなしぐさで人の体を示し、そこから何か取り出すような手つきで腕を前に伸ばした。

「ポルターガイストに代表されるような、つまり『精神』が『自分の体以外のもの』に物理的な力を与えるとするなら、そうした『精神の力』が『体の外に出る』と考えられる。幽霊の場合はその力がどこから発せられているのか、ということが課題になる。カップが動くという現象を起こしているのが『人である』と考える以上、超心理学では体を持たない幽霊を否定することになるんだけど、」

 早口で話しながら彼はいくつかの語句に力を込め、そこで言葉を切ってくすっと笑った。

「体の外に出た精神の力、エネルギーだよね、……それがカップを動かさなかったら、そのエネルギーは使われなかったことになる。あるいはおすもうさんの張り手くらいの力だったとして、カップを動かすのに使った力が指で突っついたくらいなら、力は余ることになる。そのエネルギーはどうなるんだろう。精神の力が体の外に出て留まる、というのが幽霊なんじゃないかな……と、これは僕個人の意見だからね」

 ラジオは人差し指の先を唇にあてて、内緒だよ、と言うように軽くウインクした。

「ただ、膨大なデータをもってしてもそれを証拠としきれないことが、オカルトを神秘としてしまう。……宗教もオカルトなんだよ。いわゆる『奇跡』」

「うん」

 和泉さんとハモった。遠山さんは聞いていないのか、また椅子に座って本を読んでいる。

「もちろん報告された事例の中にはトリックがあるものもあって、疑ってかかる必要もあるんだけど、……それらの現象は精神が持つ『力』の発現と考えてほしい。つまり、『うらめしやー』と現れる幽霊さんと」

とラジオは両手を前にだらりと下げ、次いでその手で拳を握り、小さくガッツポーズ。

「元気ハツラツ、ファイト一発、俗に言う『健全な肉体に宿る健全な精神』との本質、……二つの本質は実は同じものだと考えることから始めるとする」

 真面目なのか不真面目なのか。

 そもそもなぜこんな話を突然始めたのか。「ここまではいい?」と訊かれて、「つまり」と額を掻いた。

「ポルターガイストは生きた人間のしわざとも考えられている、と」

「見事な総括ありがとう」

「一言で済んだんじゃない!」

 ラジオは「ははは」と笑って、和泉さんに「ね?」と微笑みかけた。和泉さんはまだ不審そうな表情だ。私は「でもちょっと待って」とカップを退けてカウンターに身を寄せ、ラジオの顔を覗き込んだ。

「さっきの話で言うと、幽霊…っていうか、どこから発せられているのかわからない精神の力というのもあるんでしょ?自分の精神が物を動かしているとは限らないじゃない」

 どこから、と言いながら宙を手で撫でた。………ラジオの癖が移ってしまった。

「そう。証拠としきれないってさっきも言ったでしょう。断言はできない。ただ、このようにも考えられるということで、様々な考え方を集めてみようってことなんだ。さっきの例で言うとこれらの現象は前者が『心霊現象』後者は『超能力』と呼ばれるわけだけど、それらの言葉が持つイメージの垣根を取り払って考えていく」

「イメージの垣根…。うん、わかった。みんな、幽霊のしわざって考えると怖くて、超能力だとすごいって反応になるじゃない。だけどその両者は同じ根っこを持っていると考えればいいのね」

 ラジオは頷いて、足元に置いた鞄から煙草を取り出した。和泉さんを振り向く。

「構いませんか」

「どうぞ。僕も吸うから」

「いえ、ミオさんが同席しても」

「……ああ」胸ポケットから煙草を出した和泉さんは、目を細めて頷いた。「構いません」それを聞いて、ラジオはふうっと大きく溜息を吐いてにこっと笑った。

「さて前置きを簡潔に済ませたところで」

「こんだけ喋って簡潔か!」

「はは」と和泉さんが頬杖を突いた。ラジオは煙草の封を切るとふいに真顔になった。

「和泉さんのお知り合いの女性について伺います」

 ───ここまでの「精神云々」はこのためだったのか。

 ラジオは大学で精神医学を学んでいる。和泉さんはそれを知っていて、その女性の………精神について彼と話しに来たのだ。

「やっぱり私…」

 その女性のプライバシーに抵触する。席を外すよと言いかけた時、ラジオが言った。

「さっきのポルターガイストだけど、事例の多くが女性に起きた現象なんだ。そのほとんどが思春期の少女、そして若い女性」

 煙草の箱の底を指先でとんとんと弾く。ぎゅっと詰まった煙草の中から、一本だけが頭を出した。彼はそれを口でくわえて引き抜き、火を点けた。和泉さんが真顔で私を見ていた。女性の意見があるのもいいでしょう、とラジオが言ったのはこういう意味だったのだ。

「一年の吉凶を占い、神に伺いを立て祈る巫女、黄泉の国から死者の魂を呼び自らの身に降ろす口寄せ、はるか昔から女性はそうした役目を担ってきた。その多くが処女なのは、神に身を捧げるという信仰的思想の下敷きになっているけど、実のところ僕はそれはあんまり関係ないと思っている。要は……多感であること、不安定であること、そして、……知らないこと」

「知らないこと?」と和泉さん。

「男性を知らないのもその一つ」ラジオは小さく頷いた。

「『汚れを知らない』という言い方がある。セックスに限らず世の中の悪や何か、人の心の奥に渦巻く負の感情、それを知らない。または潔癖でそれらを嫌う。それはまだ成長過程にあり、世間や人を知らない……思春期の少女に当てはめることができる」

 それらの言葉を指に挟んだ煙草の先で指し示すように彼は手を軽く動かし、立ち昇る煙を見つめながらゆっくりと言った。

「それか、子供みたいに素直で、強く思い込む人。純粋……そんな人ではありませんか」

 しんと静まった。

 ───耳の奧に何か感じる。聞こえない音───耳鳴り───

「………」

 わずかに俯いて顔をこちらに向けたラジオは眉を寄せ目を閉じて、すぐに目を開いた。

 潤んだ目に映る光が揺れて瞬く。私は彼が泣いてしまうのではないかと思った。

 彼は今、何かを感じている。

 聞こえない音を───耳を塞いでも聞こえてくる、心の声。

 精神の力………それが体の外に発せられるなら、思うことも聞こえない音となって発せられるかもしれない。それを敏感に感じ取ってしまう───ラジオ。

 カラカラと涼しい音をさせて、遠山さんがグラスに氷水を注いだ。ラジオは掠れた小声で「サンキュ」とグラスを手にして、水をごくごくと飲んだ。カランと氷の音。

 耳の奧にぴりぴりと感じていたものが消えた。

 心地よい氷の音が場を和ませた。考え込んでいた和泉さんは「ええ、そうです」と照れたような苦笑いを浮かべた。それが何となく───印象に残った。


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