『探す』
階段を一歩一歩降りる。
上か下か、どちらに幼女が消えたのか分からないが、取り敢えず下だ。
何故ならみんな落ちているから、下の方のフロアなら落ちてももしかしたら助かるかも知れない。
もし幼女が見つからなかったらその時はその時だ。
いやむしろ、居ない方が安心なのだが。怖いし。
見つけなくてはならないが、見つからないで欲しい。
そんな気持ちだ。
探索したりするホラー映画の住人はみんなこんな気持ちなのだろうか。
ハァハァと、緊張で心臓がバクバクして息が荒れる。
踊り場を曲がる度に、幼女が居るんじゃないかとビクビクする。
さっきホラー映画に例えたが、忘れたい。
だってホラー映画だと、突然バーッと上からとか後ろからとか現れるじゃないか。
「ああ、嫌だ嫌だ。」
思わず独り言を漏らす。
こうも静かだと自分で音を立てないと恐怖で圧し潰されてしまう。
10階ほど下がっただろうか。
フロアの表示が見当たらない。こんなものなのだろうか?
階段なんて普段使わないので分からない。
いつもエレベーターだ。
避難訓練の時に使うって話もあったが、課長が拒否した。
腰をやられてるからこの高層から降りるのは無理だとかなんとか言って。
あの時は課長グッジョブと思ったな。
でもその課長が真っ先に…。
いや考えないようにしよう。悲しくなるし怖くなる。
さらに5階は下がる。
おかしい、静かすぎないか?
エレベーターが混んでいるし階段使って降りる人間が居てもいいと思うのだが誰にも会わない。
違和感がある。
一旦フロアに戻ってみるか。
そう思って手近なドアを開ける。
ギィと音を立てて開くドア。
また違和感。
「フロアってこっち側だったか?」
ドアの中を覗く。
案の定、そこはフロアではなかった。
青いタイルの床、奥に個室、壁に絵画?
パッと見トイレなのだが妙だ。
よく見るとドアの脇に洗面台があった。
矢張りトイレか?
不思議に思い俺は一歩そこに足を踏み入れる。
絵画は、基本的に青い。
青色の夜空に黄色い月、草原があって、真ん中に一軒家が描かれている。
絵には詳しくないが、夜空とか草原のタッチが太い筆で描かれてる感じがする塗り方だ。
ゴッホとかのタッチを荒くした感じと言うのだろうか。
不思議な絵だ。見てると吸い込まれる感じがする。
さて、目を逸らすのはそろそろ限界だろう。
個室だ。
ホラー映画だったら絶対何かある。
完全に鬼門だ。
だが、あの不気味な幼女を探しに来たのだ。
バールを右手に構え、左手で恐る恐るドアを開く。
いくぞ、いくぞ。
バッと勢いよくドアを開いた。
そして後ろに下がる。
が、個室の中には何も無い?
和式の便座が見えただけだ。
本当にトイレなのか…。
ホーっと安堵の息が漏れる。
しかし、なんでこんな所に隠し部屋みたいなトイレがあるんだ。
わけがわからない。
まあいい、一回フロアに戻ろう。
多分トイレと反対方向にあるドアに行けば戻れるはず。
いい加減静寂に飽きたし戻るべきだ。
じゃないと気が狂いそうだ。
このトイレから出ようと振り返る。
「ひっ!」
裏返った声が出る。
それもそのはず、目の前に俯いた子供がいたからだ。
「こんばんは。」
子供が俯いたまま挨拶する。
男の子だ。幼女じゃない。
思わず振り上げかけたバールのようなものを下げる。
「こんばんは、こんなところで何をしているんだい?」
迷子だろうかと思い、安心させるようにやさしく声をかけた。
どう見ても普通の男の子だ。
服装も普通、どこにでも見かける様な感じでおかしなところもない。
そう、無いと思っていた。
その男の子が顔を上げるまでは。
無い、無い、無い。
男の子の眼が、無い。
俺が声をかけると男の子は顔を上げた。
本来目があるべきところに空洞が広がっていた。
「ぁひ…」
喉が鳴る。
ふざけんな、こんなんマジでホラー映画じゃねえか!
掠れた声を出して棒立ちしている場合ではない。
逃げなくては。
俺は眼の無い男の子を避けて階段の踊り場に文字通り躍り出る。
よたよたした足取りで階段をさらに下る。
すぐそこのフロアに逃げても良かったが、それだと追いつかれそうで出来なかった。
恐怖心が、生存本能が俺の脚を突き動かす。
3階ほど駆け下りた所で、今度こそフロア側のドアを開く。
フロアだ!
良かった!フロアだ!
見覚えのあるオフィスのフロアに心底安堵し、エレベーターに駆け寄る。
下ボタンをみっともなく連打する。
1階か2階まで逃げるぞ。
階段は絶対近寄らない。
逃げる、逃げる、逃げなきゃ、逃げたい。
連打、連打、連打。
エレベーターよ、早く来い。
階数表示が40から下がっていく。
今は何階だ?なんでもいい。早く来てくれ。
「村田?もう戻って来たのか?」
水田だ、水田が俺に声をかける。
「あれ、水田?何故こんなところに?」
いつの間に降りて来ていたのか。
エレベーターを使ったのか。
ああ、見知った顔が居るだけで安心する。
今なら俺はお前に抱かれても良いよ。
「村田、あの子供は見つからなかったのか?」
水田が聞く。
「子供…?ああ、別のガキが居た!眼の無い化け物みたいなガキが!」
「はあ?」
水田が思わず聞き返す。
まあ信じられないかも知れない。
「階段降りてたら変なトイレがあったんだよ!そこには何も、絵しかなかったんだけど!出る時に知らない男のガキが居て、眼がなかったんだ!」
水田にちゃんと伝えようとするが、言葉がパズルのようにバラバラにしか出てこない。
それでも頭の良い水田ならわかってくれると信じて話す。
「ガキが」「不思議な絵が」「トイレに」「20階ぐらい降りて」
バラバラな言葉を、水田はふむふむとかみしめるように聞いてくれた。
そして、不思議そうな顔をする。
「お前は、だいたい15階ぐらい下がった所でその変なトイレを見つけたんだな?20階ぐらいか。」
「ああ、そうだ。」
流石水田だ。わかってくれてる。
「それでさらに下がってフロアに戻って来たと、本当か?」
「本当だ!お前に嘘ついてなんになるんだ!ふざける場合じゃないことぐらい分かってる!」
「そうか、その様子だと本当なんだろうな…、マジでろくでもない。」
「どうした?何か今ので分かったのか?」
「嗚呼、クソ、分からない事が増えただけさ。どうしたらいいんだ?」
水田が誰に対してでもなく、尋ねる。
俺は答える事なんてできない。俺も分からないからだ。
チーン!
エレベーターが到着した音がする。
そしてガーッとエレベーターのドアが開いた。
「よし、エレベーターだ!あの眼の無いガキが来る前に下に行くぞ!水田!お前も一緒に来い!」
俺は水田を連れてエレベーターに乗り込もうとする。
しかし、水田は逆に俺をフロア側に引っ張る。
「待て、行くな。」
「どうしたんだよ水田?早く下に行かないと…。」
「いや、階段でもおかしかったのにエレベーターに乗ったらどうなるか分からない。あいつも落ちる前にエレベーターに乗って移動していたしもしかしたらそれがトリガーになっている…?いや、でも俺は40階、1階、35階と移動しているから…別の条件があって…くそ…。」
「はあ?何言ってるんだ水田…あ?」
俺はその瞬間、また得体のしれない恐怖に襲われた。
到着したエレベーターのフロア表示は35を示していた。
「村田、お前は階段を下りてそのままフロアに戻ったって言ったよな。でも、ここは35階、お前が最初に階段に向かった階だ。」
「ぁ…」
また声にならない声が出る。
下がったのに、下がれてない?
フロアの中をよく見ると、見慣れたフロア。
俺のデスクもある。
缶コーヒーのおまけのミニカーがいくつか並んでいる。
見慣れたデスクだ。
「こんなSFじみたセリフを口にする事が人生であろうとはな…村田、このビルは、階段は時空がねじれていると思う。」
「時空がねじれている?」
言葉の意味は分かる。
だが、あまりの非現実的な言葉にオウム返しをしてしまう。
「本気でわけがわからない。でも階段を下りても下に行けるわけじゃ無いみたいだ。ははは、村田、今俺変な事言ってるな。」
「はは…ははは…」
この超常的な現象を目の当たりにし、俺と水田は乾いた笑いで、笑いあった。