第六話 晨の若将軍
旺将軍こと旺濤覇は、涼しげな表情を浮かべ耀王が来るまで広間に待機していた。
貴公子然とした佇まいである。とはいえ身体は武人らしく、引き締まっている。が、どこか柔和な印象を受けるのは痩身だからだろうか。淡い色彩の髪に深い鳶色の瞳を持つ青年はその双眸に光を宿していた。
彼は第一皇子・氷暉を星に送って、帰ってきたところだった。長距離の移動続きなのに、その顔に疲れが見えないのはさすが武人と言うべきか。
彼はかすかに響いた靴音に気がついて礼の形をとると晨王を迎えた。
「旺濤覇、ただいま帰参いたしました。交渉の経過を報告します」
よく通る明瞭な声だ。まず、星の王と丞相の両者が承諾したことを伝えた。
「十日後、晨に向かうとのことです。西の按州から入ると取り決めました」
「ご苦労。星はやはり交渉を呑まざるをえんか」
耀王は満面の笑みである。
「えぇ。ただ、こちらの意図を測りかねたようにも見えました」
濤覇は静かな声のまま、目を伏せると言った。
「陛下、私は此度の件、あまり快く思ってはおりません。騙し討ちのようなこの方法は、晨の信頼を地に落とすことでしょう。始めてしまったものは仕方なく、私も従いますがもう二度とあってはなりません。臣の諫言をお聞きください」
耀王はその言葉にいささか罰の悪い顔をした。
雷の耀王に諫言をして、その後何事もなく国政に関われているのは今のところこの濤覇を含め、数人である。なぜそれほど信頼されているかと言えば、濤覇は若いが有能で、感情的になることはなく、いつも誠実だからだ。年は離れているが、王族の血を引く従兄弟であるのも関係するだろう。
ともかく、晨王を諌めれる旺濤覇はそれだけでも晨において、重要な役割を担っていた。
「気に留めておく」
耀王・犀は渋い顔で返答した。
どうやら、言いたいことは伝わったようだ。絢姫の虜になってしまったとはいえ、暗愚にはなっていないらしい。
濤覇は微笑で頷くと、この後、星に戻ることを伝えた。今度は、星の丞相・朱鳳を晨に案内しなくてはならない。ここ数日間で二度目となる星への入国だ。隣国とはいえ、王都と王都は距離がある。
さすがに犀も気づかいの言葉をかけた。
「少しばかり休んで行ったらどうだ?どうせ寝ておらんのだろう?」
濤覇は苦笑ぎみに答えた。
「いえ、晨に居たら出発が遅れるでしょう」
濤覇には非常に過保護な四人の姉がいる。彼女らはなんだかんだで濤覇を引き留めるに違いない。だが、濤覇も国家間の決め事なので約束の日に遅れるわけにもいかない。
「お気遣い痛み入りますが、私はこれで失礼します」
「そうか。ならば己が役を果たせ」
犀はそれ以上は何も言わなかった。
「御意のままに」
濤覇はそう言って再び掌と拳を合わせる礼をとった。
この時濤覇は、星で出会う丞相・朱鳳がこの先の彼の人生を大いに変えることになるとは微塵も予期していなかった。
それはもちろん、朱鳳こと緋凰も同じ。まさかこの見え見えの陰謀が、巡り巡って晨の滅亡と新国昊の興りを招くとはまだ誰も知らない。
濤覇は馬上から晨の王都を振り返った。
夕日が影を落としている。
天下無双と称された大廈・南尚宮。堂々とそびえ立っているのに、濤覇には少しばかり傾いて見えた。
「…大廈の倒れんとするは一木の支うる所にあらず」
つい口をついて出た不吉な言葉にかぶりを振って打ち消すと、再び馬腹を蹴った。
期日はもう迫って来ている。
(のんびりもしてられないな…)
夕日に目を細め、速度を上げた。街道を単騎、疾風のように濤覇は駆けていったのだった。




