(86)
ちょっと風邪でひどい目に遭っていました。
保育園児がいると、いろいろな病気をもらってきて大変です。下の赤ちゃんも、自動的に自宅で免疫スパルタ教育です。
いよいよ尉繚が徐福たちに対して、行動を起こします。
動く死体を目の当たりにした尉繚は、どんな手段に出るのでしょうか。
驪山陵の建設現場に、馬車が入っていく。毎日多くの資材が、地下宮殿のために地の底に吸い込まれていく。
だが、その中には目的の違う荷物も紛れ込んでいる。
「こちらは、直接盧生様にお届けするものです」
「では、こちらの通路から地下離宮へ……」
その日は、荷物の一部が地下離宮に運ばれていった。
盧生と侯生は地下の工事の安全を祈願するため、地下で儀式を行うことがよくある。そのために必要な物品が、時々届いて離宮に運ばれる。
その日も、官吏たちはいつもと同じだろうと思っていた。
その荷物の中身が何なのか、己の職域を守ることに腐心する彼らは気にしたこともなかった。
荷物を置いて官吏や運搬業者が去ってしまうと、盧生は離宮の奥に向かって呼びかけた。
「おーい、実験材料が来たぞ!
手分けして資材置き場に運んでくれ」
その声を聞いて、離宮から方士服をまとった助手たちがわらわらと出てくる。そして、積み上げられた荷物を運び去っていく。
さらに、そこに徐福もやって来た。
「蓬莱からの手紙は?」
「は、ここに」
盧生は、運搬業者から受け取った封筒を徐福に渡す。きれいな封筒に入れられ、きっちりと封をされた手紙だ。
徐福はその場で封を切り、手紙を読み始めた。
「ほう、蓬莱は安泰か……それは良かった。それに連れて行った兵士どもを始末するとは、あやつらもなかなかやりおる。
まあ、秘密が破られれば未来がなくなるのはあいつらだからな」
読み進めるにつれて、その表情が曇る。
「む、仙黄草はあちらの在庫も少ないのか。となると、常の安全のためとは言え、今の調子で使い続けてはまずいな。
それに、動く死体も……望むようにできる訳ではない、か。その通りだな。
これからは、資源の管理をより厳しく考えねばならん」
渋面で呟き、離宮へと身を翻す。
そこに、侯生が声をかける。
「元々、安定して手に入る材料ばかりではありませんでしたが……しかし、ようやく研究がうまく軌道に乗ってきたというのに……。
なかなか思い通りに進みませぬな」
「仕方ない、未知への探求とはそういうものだ。
しかも我らのこの研究は大々的に表に出して協力を求めることができぬ。そんな事をすれば、島の未来も世の安全も保てまい。
今はただ、秘密が固く守られていることでよしとしよう。
欲をかくと、余計なものを呼び込みかねん」
徐福は、侯生を諭すように言う。
今の自分たちにとって一番大切なことは、この機密を守る体制を維持して研究の内容が他に漏れるのを防ぐことだ。
その大前提のためなら、多少の不自由は仕方ないと。
何とか今の機密を維持したまま、研究の効率を上げるのが先だと。
……そう、現状のままなら秘密が漏れる事はまずないと思っていた。これまでうまくいっているから、大丈夫だと思い込んでいた。
よもや、その秘密を暴かんとする余計なものがすぐ側に潜んでいようとは、夢にも思わなかった。
助手たちは、暗くじめじめした資材置き場に運んできた荷物を下ろした。
「棺もここでいいか?」
「ああ、使う時に持ち出すからここでいい」
動く死体が入っているであろう三つの棺も、そこに並べて置かれる。助手たちは、それを見ながら一息ついて言う。
「ふーっ、こうやって棺ごしならともかく、中身はあまり見たくないよなぁ」
「ああ、今回のは特に劣化が激しいらしいぞ」
「そりゃ、こいつを使って選別される死刑囚はお気の毒だ」
仕事が一段落したし上の者が聞いていないので、助手たちは雑談に花を咲かせる。
「でも、下手にきれいな死体より選ばれる奴の質は上がるだろ。実際ここで仕事するにゃ、ドロドロの腐乱死体くらい触れんと話にならんよ」
「それは言える。死体がきれいだと耐性が弱い奴でも選ばれちまうもんな。
仲間にしてみて役に立たんとか、それじゃ意味ねえよ」
助手たちが口にするのは、棺の中の動く死体を使う選別のことだ。
ここで研究を手伝う助手たちは、皆動く死体を使う選別によって適性を見出された者だ。すなわち、動く死体に初見で触れることができた者。
だから動く死体が搬入されてくるたび、自分たちのその時のことを思い出してついつい話に花を咲かせるのだ。
「俺の時の奴は片腕がなくてさ……」
「俺は思いっきり殴ったら背骨が折れて二つに折れ曲がって……」
「あれ壊したのおまえだったのかよ!?
選ばれる奴にゃ言えねえが、あまりすぐ壊されると使える回数が減っちまって助手が増えないだろ……」
一しきり話が終わると、一人が棺を見つめて言う。
「で、使うんだから、次の選別までに誰か梱包開けとけよ。
劣化が激しいって話だから、その時壊さないようにだけは気を付けて、さ」
そう、選別に使う動く死体の準備をするのも助手たちの仕事だ。選別の時に死刑囚たちが棺から起き上がる死体を見るように、梱包を開けて拘束を外さなくては。
「俺はこれから別の仕事があるから、おまえらやっとけよ~」
「ハァ……グチャグチャの腐乱死体とか心が萎える」
「いいだろ別に、感染する訳でも食われる訳でもないんだから。何なら、今から人食い死体の方に行く俺と仕事替わるか?」
「いやいや!人食い死体よりはこっちの方がまだいいさ!」
荷物を運んできた助手たちは次々と資材置き場を出ていき、一番下っ端らしい二人だけがそこに残された。
二人は梱包を解くための鋏を手に取り、棺の蓋に手をかけた。
「あーあ、早くやっちまおう」
本来なら動く死体が入っているはずの、棺の蓋を外そうとした。
棺の中で、息を潜めている者がいた。
爽やかな香りを放つ草に囲まれ、動く死体と同じように梱包されているように見えるそれの中身は、実は死体ではなかった。
かすかに息をし、血の通うそれは、まさしく生きた人間だ。
彼らは、棺の中で周りの助手たちの会話を聞いていた。
(選別?死刑囚?これを使って何をするというのだ。
いや、それより……感染?食われる?だとすると、やはりあれは化け物……!)
死人には有り得ない速さで頭を回転させるのは、尉繚。隠密行動と工作活動に長けた、秦が誇る工作部隊の長だ。
尉繚は今、死体のふりをして棺の中に潜んでいた。
死体のように身じろぎ一つせず、しかしいつでも梱包の下に隠した武器を握れるように、神経を研ぎ澄ましていた。
動く死体と対峙したその日、尉繚は決意した。これを取り寄せた邪悪な方士たちの根城に自ら乗り込み、この目で事の真相を確かめると。
もはや、悠長に策を練っている暇はない。
徐福たちはこれまでにも、何度か同じ荷を取り寄せている。つまり奴らの手元には、既にあれと同じ化け物が何体もいるということ。
いつ、あの化け物が大量に世に放たれるか分からない。
そうなれば、国どころか人の世そのものが危ない。
そうなる前に、何としても何らかの手を打たねば。
だが、どのような手を打てばいいのかすらはっきり分からない。方士どもがあれを使い、何をしようとしているのか分からないから。
下手に動けば、暴発を招きかえって最悪の事態につながりかねない。
時間の猶予はなさそうだが、そこの調査は必要だ。
ゆえに尉繚は、決断した。自分と少数の信頼できる部下のみで直接的の拠点に潜入し、実地調査とできる限りの処置をすると。
尉繚は、腕の経つ二人の部下とともに死体のふりをして棺に隠れた。そして、捕らえて従わせた送屍屋に運ばせた。
こうすれば、自分たちは確実に敵の根城に入れる。
うまくやれば、その場で徐福の首を掻き切ることもできるだろう。
もっとも、向こうが備えていれば逆に自分の首が飛ぶことも有り得るが……元より危険は承知の上だ。
尉繚はこれまで、始皇帝のためにいくつもの危険な任務をこなしてきた。こういうのは、もう慣れっこだ。
自分の危険と引き換えに始皇帝と国の危機が回避されるなら、やらない理由はない。
たとえ化け物が相手でも、尉繚の忠誠心が揺らぐことはない。
こうして、尉繚は棺に入ったまま咸陽へ、驪山陵へ入った。何の疑いも抱かぬ中継ぎの馬車と助手たちの手で、資材置き場に運ばれた。
それからは、外の会話に耳を傾けながら出る機会を伺っている。
この棺にも外見からは分からないが、改造が施されている。中にいて窒息しないよう空気が通い、さらに外の音がよく聞こえるように。
そのうえ、香草の下と梱包の中にはたっぷりと武器が仕込まれている。
準備は、やれるだけやった。
国のために、失敗は許されないのだから。
(話の流れから、奴らが国のものである刑徒をも横取りしていることが分かった。これだけでも、十分重罪だ。
だが、それを使って行われている研究……一体どんなおぞましいものを作っているというのか!)
助手たちの会話を聞いて断片に触れるうち、尉繚の頭の中で恐ろしい破滅の未来予想が描かれていく。
(何としても、奴らの企みを潰す!!
陛下の治世を乱す賊、滅ぶべし!!)
ごとりと、棺の蓋が動く音がする。
尉繚は、両手の鋭い短刀を握りしめた。